空はどこまでも続く。
 人のかかわりと同じように――。


「お前って結構いい加減なこというタイプだったのな」
「なんすか、それ」
 近藤の苦笑いしながら発せられた台詞に綾彦は憮然とした顔で返す。
 どうやら途中からだろうけど、聴いていたのだ。なのにでてこなかったということはつまりそういうことだ。
 近藤は出てきにくかったと言っていたけれど、絶対そういうたまではないと思う。
 別に立ち聞きが悪いと責めるわけじゃないけれど、後日にこうやって酒の席で蒸し返されるのは男としてはどうかと思うんだけど。
 そういうと馬鹿かと返された。
「こういうのはな、しばらくしてからからかうのがいいんだよ」
「その変な美学が女が長く続かないわけじゃないですか?」
 そう茶化すと、綾彦はお子様だなーと頭をなでられるから複雑だ。
「第一あの日にそういって非難浴びるだろうって言うのは俺だし? まあ、うまくいったからいいけどね〜」
「つうかなんで俺がいい加減なんですか」
 綾彦が不満そうに言うと近藤は皮肉げにビールを傾ける。
「だって、お前よく傷心の美少女にあんなこと言えるなーと。奇跡が起こらなかったらどうするつもりだっつーの」
「……美少女?」
「……お前な……」
 変なところで反応を返す綾彦にさすがに近藤はあきれたようにため息をついた。
「そこじゃねーだろ、反応すべきは」
「だって近藤さんが意外なことを言うというか」
 本当に驚いているらしい綾彦に、今度は近藤が驚いた顔になる。
「あのこ確かに色気とかそういうのはなかったけれど、顔は結構きれいだっただろうが。お前もカメラマン志望ならもう少し審美眼磨けよ」
「いや、結構自信あるはずなんですけどね……」
 近藤のあきれたような声に綾彦は言い訳するかのようにぼそぼそと言い返す。
「うーん、理想が高いのか個性派なのかわかんないけどな……あんなになつかれたんだし、何も思わないってことはないだろ」
「……子犬っぽかった」
「……子犬……ね」
 近藤はその答えが不満だったのか、ふてくされたように無言でちびちび飲み始めた。
 綾彦はそれを尻目にだされたから揚げをパクパク食べ始めてる。
「お前にはまだ早いのかね?」
「というか、向こうが早いんでしょ」
 第一そういうのは向いていない。綾彦には特に。
 あんなに肉親に愛情深い少女をどうにかできるほど、マゾでもなければ自分を知らないわけじゃない。
 きっといたたまれなくなる。一緒にいて。
 あのときに少し掠めた思考。
 ――両親がいたらあんなふうに愛してくれただろうか。あの老人のようにやわらかいまなざしで見ていてくれただろうか。
 くだらない。もしもなんてありえないのだし。
 そうわかっていても、どうしても苦いものは飲み込めなくて。
「ばっかみてー」
 あのこの前での劣等感は消えないのかもしれない。もう最初に似てるのかもと少し疑ったのが悪かった。
 だいじょうぶ、まひるのことはきらいじゃない。いつかあってもそんなことおくびにださない自信がある。、
 けれど、それと友達づきあいは正直しんどいんじゃないだろうか。
 だって、こうなりたかったという理想がきっとまひるにあるんだから。
「近藤さーん、今日で日本にお別れなんですから飲みましょー!」
「おう、いつ過労死するかわからないんだから後悔知らずで呑もうぜー!」
 そういってドンチャン騒ぎは過ぎていく。
 苦々しい思いはここにおいていこう。どんなに望んでも手に入れられないものは、泣いている時間が無駄だ。
 もう、泣いても誰も手を差し伸べてくれないのはわかってる。
 だから、自分の足で立っていこう。
 一番好きなことをして、誰にも左右されないで、自分自身の選べる道を進もう。
 結局人間一人だと誰かは言う。
 けれどちがうと綾彦は思う。一人で生きていくものと、誰かと手をつないで生きていくものがいる。
 そしてその二人はきっと交われない。
 どちらがいいとかそういうことではなく、ぜんぜん違う生き物なのだ。
 誰かに頼らずに生きていく人間なんていない。孤独を知らないものもいない。
 けれど、どうかあのこは人と手をつなぐ人生を。だって、人の中であのこの笑顔は輝くと思うから。
 綾彦は一人で輝ける。けれど、あのこは誰が傍にいてすばらしい光を放つのだとあの撮影で綾彦は知った。


 それが、綾彦とまひるの違い――。


 翌日、タクシーの中は静かだった。昨日の飲みすぎが影響したらしく、あまり飲まない綾彦の頭は内側からハンマーでたたかれているかのような苦痛が呼び起こされる。
 病気どころか風邪気味ですらほとんどならない綾彦にとってそれは慣れない拷問のようだ。
「……あ〜、こういうとき人間って馬鹿だなーと思うよ」
 後悔は捨てても反省を捨てられないのは、歴史は繰り返すからだろうか。
 なんて馬鹿なことを考えていながら外を見る。
 流れる景色がアスファルト一色なのに妙に優しいのは疲れているからだろうか。
「大丈夫かい? アンちゃん」
 タクシーの運転手が優しく声をかけてくれる。おそらく地声は大きいだろうと予想されるような声だったけれど、綾彦に気を使ってか抑えたような声になっている。
 人間弱ってると人の優しさが身にしみるって本当だなーと思いつつ、大丈夫だと合図した。
 ああ、空港につくまでまだ時間がある。
 それまでにこの忌々しい頭痛を取り除けるのだろうか。
「運転手さーん、ちょっと寝るからついたらついたら起こしてね」
 綾彦はそういって、窓に頭をつけて目をつぶった。そうするとなぜか楽になれる気がした。
『お前、奇跡が起こらなかったらどうする気だ――』
 そう酒の席で近藤に言われたことを思い出す。
 奇跡が起こらなかったら……。綾彦はあまり医者にかからないせいか、どのくらいその余命を宣告した医者が正確なのかわからない。
 けれど、あそこのお抱えならばすごい腕の医者であってもおかしくはないだろう。
 だから本当にその宣告が外れる可能性などわずかなのかもしれない。
 けれど、奇跡が起きなくてもまひるなら立ち直る気がする。
 確かに泣くかもしれない。確かに落ち込むかもしれない。
 けれど、思いっきり泣き終わったら少しずつだけれど立とうとするんじゃないだろうか。
 あの老人の言っていたように。
『それを乗り越えられる力がもともと人間にはあると思うのですよ』
 そんな力があればいい、あの少女にも。
 ただ、もう少しだけ信じさせてやりたくてそう言った。必要だろ、そういう猶予期間は。
 奇跡が起こるんじゃないかという希望と、起こらないという絶望の間にいるからこそあんな顔をしていたんだ。
 だったら希望を取ればいい。できるだけ長く、あの子の笑顔をあの老人が見られればいい。
 それが絶望に変わったって、きっと彼女は老人にあんな笑顔見せないんだろうから。
 せめて最後の愛しい孫の笑顔を。
 せめて、あの絶望を含んだ笑顔ではなくかわいい笑顔を。
 まひるのためではない。きっとまひるのためでは。けれど、せめて命短い老人のために。
 まひるには残酷なことかもしれないけれど。
 ただの通りすがりにできるせめてものこと。
 誰かがきっと慰めたり、支えたりしてくれるだろう。たとえば両親や友人が。けれどそれは綾彦の役目ではない。
 間違っているかなんてわからない。考えて行動していたわけじゃないから。
 間違っているのかもしれない。けれど、それすら乗り越えてきっと笑ってくれるだろう。それは希望的観測だとは思うけど。
「大体俺の言葉で左右されるほど、あいつに影響力があるわけじゃないしな」
 かなり無責任な発言だけれど、どちらかというとあいつのほうがちゃんとしているんだし。
 それに、彼女は自分で判断できないほど無責任ではないだろう。綾彦と違って。
 珍しくぐるぐる回る自分の頭に頭痛がおき、考えるのはやめた。
 もうすぐ、日本から離れる時間が来る。


 そして空港に着いた綾彦は自分の先輩に初めて殺意を抱いた。



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