桜の追懐



「あ、卒業アルバムだ……」
 もうすでに10年前ぐらいになる高校の卒業アルバムが本棚の裏から出てきた。
 今日が引越しでなかったら、もしかしたら一生出てこなかったかもしれない。
 少し大げさだとは思うが、本棚なんてめったに動かさないし引っ越す直前までこの本棚をここにおいていくか迷っていたのだから。
「これもまた運命って言うのかな?」
 そのとき流れたドラマで流れたような言葉を口にのせた。
 そういえば高校のときは「運命の愛」とかそういう類のドラマや映画が好きだった。
 そっと積もった埃を掃って中を開く。
 手が汚くなるのもかまわずに。
 そこにはみずみずしいころの自分たちがいた。
 そこには彼と同じ写真に収まっている私が笑っていた。私の写るほとんどの写真に彼はいた。
 ああ、これでは勘違いしてしまうではないか。
 彼の近くにいたのは自分ではないかと。
 いや、ずっとそう思っていた。
 けれど、そうではなかった。彼の眼の先にわたしは存在しなかった。
 隣にいたのは私でも、彼の瞳には映っていなかったのだ。
 そう、それを知ったのは皮肉にも別れる直前だったけれど。



「今日で卒業かよ。なんか高校の三年間って長いんだか短いんだかわかんねーよな。中学の三年間はときかれたら間違いなく長かったっていえるけどよ」
「わたしはどちらもなんともいえないけどね。でも始まった当初は長いなと思ってたけど終わった今じゃ短くかんじるわね」
 私達は少し寂しかったのかもしれない。他愛のない会話の中でも少しの沈黙が気になった。いつもならばそんな沈黙は私達には似合わない。けれどたまにはいいかもしれない。そう思うのは最後だからだろうか。
「お前とも今日でお別れか。幼稚園からだから……何年だ? 俺と一緒にいたの」
「……会ってから考えれば14年だけど、お互いを認識したのってもっと後じゃなかった?」
「そりゃ、そーか」
 健司と私は特別仲がいいってほどじゃなかった。
 ただ他の幼馴染より一緒にいる時間が長かっただけだ。
 クラスが離れたことがないわけではないけれど、それでも隣のクラスだったりして交流自体は途切れたことがなかった。
 幼稚園時代は男の子と遊ぶのが恥ずかしかったし、それに遊ぶ内容も男の子と違っていたからただ空間をともにしているだけだった。
 そりゃ、男の子の中でもままごとや人形で遊ばない子がいないわけではなかった。けれど健司は典型的なガキ大将だったし、女の子を馬鹿にしたり苛めたりしていた。そして一緒に遊んでいる男の子も「男女」とか「弱虫」とかいってからかっていた。
 だからわたしは小さいとき健司が嫌いだといっても過言ではなかった。
 私達が話をするようになったのはそれから4年後の小学校3年生のときだった。
 わたしは皆を引っ張っていくようなタイプではなく、むしろ人は人、自分は自分というマイペースタイプだ。グループに所属していないわけではないが、それを重要視したことはなかった。ただ仲のいい人たちが集まっているだけだと思っていた。だから他のグループの人たちも私のことを信頼してくれていたし、好かれていたとも思う。勿論全ての人が私に行為を持っているわけではなかったと思うが、それでも嫌われていたりしたことはなかった。ただ一人を残しては。
 そう、そのただ一人が健司だった。
 きっと彼は私が自分に従わないことに腹をたてていたのだろう。何かにつけて私にちょっかいを出してきた。
 私はあまり人の目を気にしたことがなかったが、周りから見れば私と健司の仲は最低だったのだという。
 確かに健司は私を毛嫌いしていた。そしてわたしも幼稚園からの彼への感情がそんなに簡単に変わるわけではなく好意などつめの先ほども持ち合わせていなかった。
 しかし私は相手にしていなかった。別に嫌いなら無視していればとり合えず心は荒らされないし、意地悪をされてもいつものことだと割り切れた。
 けれど、健司はそれが気に食わなかったらしい。
 私のことをみれば大きな声で冷やかしたり、突っかかってきたりしている。
 そしてそれを無視しながらも、本当は反撃したかった私。
 そんな私達の関係が変わったのは運動会だった。
「あー、実行委員は日下部と木山な」
 仲の悪い私達を心配したのか担任は私と健司を実行委員に指名した。
 運動会では全員何かしらの委員に入らなければならない。
 私達のクラスは人気のある役職とそうでない役職が別れてしまい、ぎりぎりで先生が指名制にするまで決まらなかった。
 勿論私は反発したがそれを受け入れてくれるわけではなかった。
 健司も嫌そうにしながら、それを受け入れた。私にはそれが信じられない裏切りに思えていた。
 お互いがいつまでもお互いの存在を受け入れないことを誓ったわけでもないのに。
 結局私が折れて私と健司は実行委員になった。
 しかし、最初の頃は険悪そのもので、私は少しほっとした。
 別に彼と話さなくても実行委員はクラスごとに分けないでだいたい男女別だから支障はなかった。
 しかしやはりどうしても話さなければならないときもある。
 それに毎回いらいらしていた。
 けれど、同時に惹かれていたのかもしれない。
 彼との距離は少しずつだけれど縮まってきていた。
 それはまるで魔法にかかったかのように。
 それはまるで運命付けられていたかのように。
 結局それは錯覚でしかなかったけれど。
「おれさ、あの時実はお前が羨ましかったんだよな」
 健司は前とは違った笑顔で答えてくれる。
 それは安心しきった笑顔で。
 仲間に向ける笑顔で。
 昔のわたしはそれに戸惑いながらも嬉しかった。
 今のわたしはそれに満足していない。 
 なんて、強欲になったのだろう。
 けして手に入らないものがほしいだなんて子供そのものじゃないか。
 そう思いながらも、わたしは健司を見ずに桜を見ていた。
 健司が見たら分かってしまうだろう。
 それくらい私の瞳は揺らいでる。行かないでといっている。
 健司を求めている。
 けれどそれを気づかれるわけには行かない。
 全てを諦めなければいけない私の最後の砦が壊れてしまうから。
 なぜあのまま、嫌いなままで終わる事ができなかったのだろう。
 なぜ、親友で満足しなかったのだろう。
 なぜ、こんなに胸が痛むのだろう。
「俺さ、お前にすっげー感謝しているんだ! 先生が俺を生徒と見なくなったのも先生と仲のよかったお前が進言してくれたからだろ? おかげで俺は先生の唯一になれたんだ」
 そう笑う健司に先生と付き合っていることを伝えられたのは昨日だったことを思いだす。
 まさか、私が何気なく先生に言った一言がきっかけになろうとなんて知らなかった。
 その時、健司に恋をしていた自分を知り、またその恋は知ると同時に失うことになった。
 失ったことを感じているのになぜわたしは未だにその欠片を離さないでいるんだろう。
 なぜこんなにも女々しかったのだろう。
 あの頃のわたしは少なくとも女々しくはなかった。
 人と苦しい付き合いをするのなら、一人でいたほうがましだと思っていた。
 そしてそれは当たっている。
 けれど、そんなに簡単にいくわけではないことをわたしは今の今まで知らなかったのだ。
「まあ、年上の女だから健司には荷が重いだろうけど、頑張ってね」
「うるせーな」
 こんな会話をするのも最後になるだろう。
 私は東京の専門学校へ進学する事が決まっている。転勤する先生を追って、健司は大学を地方に決めた。
 先生は嫌がっただろうけど、健司の意志は強かった。
 それはそれで恋する男なんて馬鹿馬鹿しいと思っていた健司が変わった証拠なのだろうか。
 苦しい。
 こんなに恋をすることは苦しかっただろうか。
 こんなに腹立たしいことだっただろうか。
 違う、わたしは今まで恋をしてこなかった。
 ただ、つきあっていただけだ。ただ、恋を装っていただけだ。
 きっと、私の心は初めて健司に本当の恋をしたのだろう。
 だから、失恋も初めてで、その痛みに驚いているのだ。
「俺、先生から愛しているって言われるまでその意味を知らなかったよ。すっげー綺麗な言葉だったんだな」
 私も初めて知ったよ。
 健司に言われてその苦さが。
 とても苦しい言葉だった。
 好きな人が他の人を愛するということだけでこの言葉はこんなに変わるのだ。
「ああ、健司がつまらない男に変わっていくのねー。昔はあんなに女なんてっていう感じだったのにー」
 こいつの事を好きだと気づくのがもっと早かったらどんなことになっていただろう。
 いや、どうもなっていないに違いない。
 だってこいつは先生に会うまで恋など馬鹿にしていたのだから。
 結局こいつにとって私は取るに足らないただの女友達だったのだ。
「お前ってさ、桜に似てるよな。潔いっていうか、誰にもたどり着けないところにいるっていうか」
 突然の言葉に驚きを隠せなかった。
 花なんて気にしたことのない男だったのに。
 ……いや、ここ最近は違う。
 先生に花を贈るようになってから、こいつは格段に花に詳しくなったのだ。
 愛の花言葉がある花を選んで捧げていた。
 その中で一番多かったのは薔薇だった。
 そのことを聞いて、わたしは思わず笑ってしまった。
 なんてべたな男だろう。そして――なんて馬鹿な男だろう。
 本当に馬鹿みたいだ。
 桜の花言葉は「精神美」
 こんなにどろどろしているのに?
 こんなに嫉妬の嵐がかけめくっているのに?
 いや、違う。
 これは私を的確にあらわしているわけではなく、ただ健司が私に求めることなのだろう。
 桜のように気高くあってほしい。
 それはきっと私に対する健司の理想。
『羨ましかった』
 きっと羨望の先であったわたしは健司にとってそういう存在なのだろう。
 恋人にはなりえないもう一つの『理想の姿』。
 ああ、何という皮肉な事だろう。
 こいつは桜のイメージを私にかぶせて、終わらせたいのだろう。
 いや、私だってそうだ。
 数日前まで私は健司に『けして恋仲にはならない永遠の男友達』という称号を与えていたのだから。
 男友達の理想として付き合っていたのだから。
 数日前に気づいた想いは、数日のうちに前の称号を取り破り捨てたくなるほど膨れ上がっていた。
 でも、けして表には出したくない。
 そう、私はこれで別れたのだ。
 ずっと恋心をさらけ出さないまま。
 誰にも気づかれなかった恋心を抱えたまま。
 愛しい男が、愛する人との生活に歩みを進めていくところを。
 わたしは黙ってその背中を見ていたのだ。


「……」
 私の頬に涙が伝う。
 未だにこの想いは消えていない。
 だからこそ、私はあの人の元へ嫁ぐのだろう。
 ごめんなさい。
 けして貴方を愛していないわけじゃない。
 だけど、未だに学生の故意を引きずっているわたしはきっと貴方を健司と重ねるでしょう。
 それでも愛してくれた貴方。
 誰よりも大切だけれど、けして一番愛しているわけじゃない。
 ごめんなさい。
 それでも貴方と歩みたかった。
 誰よりも健司に似ていて異なる貴方と。
 ごめんなさい。
 貴方を利用しているかもしれない。
 だけど、何も知らない振りをして抱きしめてくれたから。
 だからわたしはあんたの元へ嫁ぐ決心をしたのです。


 私はその日卒業アルバムを捨てた。
 捨てられない恋心の代わりに。
 健司のことを忘れられないことは永遠の伴侶を選んだ時に思い知った。
 だったら、永遠に想い続けよう。
 けして色あせることのなかった片想いを。
 永遠に。

あとがき
 えっと、分かりづらくてすいません!! ついでに大幅に遅くなってすいません!!
 この伴侶というのは実は健司の双子の弟設定だったのですが……なぜかそこまで入りませんでした。
 いや、別に赤の他人のそっくりさんでもいいですよ。
 ゴマシオXさんリクエスト「切ない、やるせない」はなし。どうでしょうか?
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