私達は殻を破り外に出る。
 そして世界の広さをはじめて知る。

 ――after eight years

「穂夏〜!!」
 桜の呼び声に私は振り返った。
 桜の頬は走ってきたようですごく速い。
「なによ、桜。走ってこなくたって私は逃げないわよ」
 私が呆れたような顔をしているのか、桜がむっとした顔になる。
 こういうところ、学生時代と変わらないなと思う。
 まあ、やすやす変わってもらっては困るけど。
「穂夏、あんたね。もう少し自分のこと自覚したほうがいいわ! ちょくちょく帰ってくるといって、結局帰ってこないの誰?」
 桜にそう力説されても。それにそれはまるで帰りの遅い夫に言うようなセリフだし。
 別にそういうつもりはなかったのだけど、あまりこちらに帰ってこなかった事が、私が思っているより桜には腹ただしいことだったらしい。


 私は去年の春、長崎のまあそれなりに名のしれている会社に就職した。
 これでも結構優秀なつもりだし、愛想がいいわけ出じゃないけど、ぶらぎっぽうなわけでもないからうまくいっているつもりだ。
 勿論出身大学はN大になっている。
「大体、穂夏はいつも……!」
 長い説教が始まりそうだと勘付いた私は、先手を打っておいた。
「はいはい、花嫁さんがそんな顔しながらお説教しない! 化粧がはげるわよ」
 その言葉に反応したように桜は顔を緩ませた。
 桜の格好は着替えの途中だからか、ベールは被っていないがドレスはウエディングドレスだし、髪はまだ飾りこそついていないものの綺麗に整っていた。
 もしかして新郎さんより早く見てしまったのではないだろうか。
 私がそれを指摘すると桜はやれやれと首を振った。
「だってあの人とはいつでも会えるけど穂夏とはめったに会えないのよ? ぜんぜん帰ってこない穂夏を見つけたら、チャンスを逃さないようにダッシュするしかないじゃない」
「私はすぐ帰るわけじゃないんだから慌てなくても大丈夫だよ」
「いーや、わかんないね。8年前に何も言わずにアリバイ工作だけ頼んだのよ! 信用なんて出来ません!」
 桜は未だに根に持ってるらしい、8年前のことを。
 でも、もう時効だと思うけどなー、私は。
 師原には言ったと思うんだけど、師原は桜に伝える事を忘れたらしい。というか、内容は覚えていたんだけど「言っといて」というのがすっぽり抜けたというんだから師原らしいというかなんというか。
「そういえば、師原は?」
 さっき、師原を思い出して桜に師原の事を聞いてみた。
 というか桜に会う前に師原に会うと思ってたんだよね。
 桜は主役だし、師原は絶対こういうイベントごとは私より先についているはずだもの。
「あの馬鹿はこないわよ」
 桜は怒ったように頬を膨らませた。そういう顔を見ると学生時代に戻った気がするな。
「え? なんで?」
「なんでもただ今この日本には帰れない重要な仕事についているらしいから先にメッセージカードとご祝儀だけもらっちゃったわよ」
「って事は一回帰ってきたわけ?」
 師原は英語が苦手だったくせに、外国で働き始めた。
 大学も外国の大学を出たといっていたから、外国暮らしも五年になる。
 はっきりいって意外よね、アキ兄にあんなに泣きついていたのに。
 ああ、でもあんまり意外じゃないかもしれない。
 やるぞって思ったことは根性でやり遂げる師原だから。
「ええ、その時光彦と意気投合しちゃってさ、私の悪口に花を咲かせてるんだもの、失礼しちゃうわ!」
 そういいながら桜はその時のことを思いだしたのか、憤慨し始めた。
「だいたいあいつ、光彦になんていったか分かる!? 「本当にこんなあくの強い女を妻にするなんて勇気あるよなー」よ! 光彦は笑って否定しないしさ! 何様だと思ってるの!? あの男は!」
「それが師原よ」
「それ一言で収まるのが師原よね」
 私と桜は思わず同時に噴出した。
 これだから、桜と親友はやめられない。
 でもさー、と笑い出して出た涙を拭きながら桜は続けた。
「師原もだけど、暁灯先生も呼びたかったのよね、実は。だけど一年も満たない生徒の結婚式の招待状を渡すのはちょっとなーって思ってたから穂夏のところに一緒に来てくださいってつけておいたんだけど来なかったみたいね」
「ああ、ちょっと家庭訪問の日ぶつかっちゃってね。悪かったって言ってたわよ」
 アキ兄は6年前、めでたく教職にありついた。
 結構塾講も楽しんでいたが、それでも教職という立場は嬉しかったらしい。
 アキ兄は桜の結婚式に来たがってはいたんだけど、その生徒が三年生の上にあまり素行がよくない生徒だったらしいからどうしても外せなかったのよね。
 らしいっていうのはアキ兄は生徒のプライバシーを結構大事にするから、アキ兄のクラスのことをあまり話さない。勿論めんどくさいっていうのもあるんだろうけどね。
「そうなの、残念ね。でも穂夏が暁灯先生のことを追いかけていったときはちょっと驚いたわ」
「え? そう?」
「うん、根性はいった惚れ方だとは思ってたんだけど、穂夏って結構そういう迷惑だって思ったら行動にでない子だったからちょっとびっくり」
 桜はずっと迷惑顧みないで行動にでちゃえばいいのにって思ってたのよねとカラカラ笑った。  桜は見てないようでちゃんと見てくれているような子だ。
 こういう時実感している。
 きっと桜のことだから歯がゆく思ったこともあったのだろう。
 私はどこかそういう場面になると遠慮することも見抜いてるんだから。
 これで、おなかの赤ちゃんも安泰ね。桜はいいお母さんになりそうだから。
 本当はできちゃった婚のつもりじゃなかったんだけど、式の一週間前に医者に「三ヶ月ですね」といわれた桜は思わず飛び上がってしまいそうになるほど驚いたそうだ。
 桜は結構生理不順が多かったから気づかなかったのはしょうがないんだけど、タイミングがいいのか悪いのか。
 でもおかげで、桜の幸せが倍になったようだったのできっとよかったのだろうと思う。
「桜! どこだ!?」
 遠くで桜を呼ぶ声が聞こえる。
 そういえば、桜は着替える部屋から外にいる私を見つけてダッシュで窓から飛び出したらしいから、端から見たら――。
 「花嫁、結婚式から逃走!!」って見出しが躍るのが頭に浮かんだ。
「桜、なにやってんだ、お前は!」
 必死の呼び声の主が桜を見つけたのか、その声が近くから聞こえた。
 私は申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだが、さすがは桜。平然としている。
「なにって、久しぶりに会った友との再会を楽しんでるのよ」
 当たり前のように言う桜だが、常識で考えると君の旦那さんのほうが正しいよ。
 今回のもう一人の主役である、光彦氏は呆れたような、怒ったような顔で桜を叱る。
 ああ、なんかそういう表情アキ兄も結構してるな。
 もしかしたら結構迷惑かけ放題なのかもしれない、私。
 でも私、桜ほど常識外れの行動してないつもりなんだけど。……8年前のことを除いては。
「すいません、光彦さん。私が桜をお引止めしたばかりに……」
 桜が飛び出したのはメイクさんとかも見ていただろうし、フォローできないけど少しは私のせいでもあるんだからこれくらいはいわないとと思ってたんだけど。
「いえ、桜がきっと貴方を引き止めていたんでしょう。謝らなくてはならないのはこちらです」
 どうやら桜の旦那様は妻のことはお見通しらしい。
「桜、せめて誰かに言付けをしてから出てってくれよ。おかげで俺は花嫁に逃げられた新郎だぞ」
「まあ、それも新鮮でいいかもね」
「お前な……」
「それより! 私のかっこ見て何か言うことはないの?」
 桜はそういってくるりと回って見せた。
 桜、それよりって言えることじゃないと思うよ、本人なら。
 けれど、光彦氏は少し顔を赤くして「あー」とか「うー」とか唸っていたが、顔を赤くして言う。
 素直だ、光彦氏。きっと桜に尻にひかれていることだろうと思う。
「……綺麗だよ!」
 そうやけっぱちになって言う光彦氏に私は桜の選ぶ相手にしては純情だなと思わざるおえない。
「そうでしょ!」
 でも嬉しそうな桜を見ていると、結構愛しているなーって言うのがよく分かる。
 別の意味で桜に愛されている私が言うのだから間違いない。
「本当に綺麗になったね、桜」
「穂夏も綺麗になったじゃない!」
 そう言い合えるのはやっぱり女友達ならではだなーとジーンときた。
 桜は確かに綺麗になったと思う。
 学生時代はどちらかというと可愛いという感じだったが、年月はこういうところに現れるらしい。
 今ではどっちかっていうとできる女性って感じ。
 学生に言っていた「いい女」に桜は確実になっていた。
「桜、そろそろ時間が押してるから……」
 光彦氏が、待ちくたびれたようにそう言う。
 桜も着替えを終わらせなきゃならないし、まあ、仕方ないか。
 桜は名残惜しそうにしてたが、「じゃあ、明日リトルシュガリーでお茶しよ!」となつかしの喫茶店の名をあげて新郎と共に去っていった。
 その時の桜はとても幸せそうだったのはいうまでもないでしょ。


「え、暁灯先生、まだ穂夏に手を出してないの!?」
 そんな言葉、こんな公共の場で大声で話さないでよ……。
「アキ兄は桜にとってはケダモノみたいね」
 私がそう言うと、桜はグット握りこぶしを作りながら嘆いた。
「だって暁灯先生、あれから8年よ!? 何で穂夏から誘わないのよ! プッシュよ、プッシュ! 女だって積極的じゃなきゃ!」
 そういわれてもね、アキ兄と未だそんな関係じゃないんだから。
 自慢じゃないけど、キスもしてないわよ。
 あれから確かに結構進歩はしたと思う。
 ただ、アキ兄が妹扱いするのは未だそうだし、それに私も満足しているから悪いと思うんだけど。
 それに時々未だにアキ兄は遠い目をする事がある。
 それはまだお姉ちゃんを忘れていない証拠だ。
 もうきっと一生の人と決めているのだろうと思う。
 でも、その瞳に切なさではなく懐かしさが浮かぶ事が多くなった。
 それを見るたびに私は複雑な気持ちになる。
 アキ兄の一番愛しい人は今でもお姉ちゃんだ。それは間違いない。
 けれど、お姉ちゃんのアキ兄の心の位置は確実に違ったものになってきたのだと思った。
 今まではただ身を切られるぐらいの切なさでお姉ちゃんを愛した。
 けして叶わない恋の炎で身を焼きながら、それでも目をそらせずに。
 けれど今のアキ兄は違う。
 お姉ちゃんの比重はこれまでと変わっていないのだと思うけれど、それでも懐かしさに愛しさを含ませる愛しかただ。
 ただ、穏やかに、何の葛藤もなく愛しているように思える。
 お姉ちゃんにはあれから8年もたつのにまだ会うのに心の準備が必要だけれど、それでも今ではお姉ちゃんの話をポツリポツリと語るようになった。
 それが、アキ兄が変わったということなのだろうか。
 私はそれを喜ぶべきなのに、少し寂しかった。
 考えてみれば私はお姉ちゃんに恋をしていないアキ兄に会った事がない。
 だからだろうか、今までのアキ兄とは違うようになってしまうのを感じるのは。
 それが酷く寂しくて、そしてとても嬉しくて、それに罪悪感を持った。
 まるでそこから今まで取っていた均整が崩れてしまいそうで寂しかった。
 今までのアキ兄とは違うような気がして寂しかった。
 けれど、アキ兄が前に進んでいることのように思えて嬉しかった。
 そしてそこに少しの希望を見出す私が浅ましく思えた。
 アキ兄といるとほっとするのだ、誰といるよりも。
 アキ兄は未だ島暮らしで、私は本土のほうにいるからちょくちょく会いにはいけないけれどそれでもやっぱり週に一度は行く。
 そのたびに呆れたような顔でアキ兄がわざわざ迎えにきてくれるのが嬉しかった。
 どうやら、近所では私は年下の彼女やらなんやら言われているけれどアキ兄はもう気にしていないみたいだ。
「でもさ、暁灯先生って、えっと当時が24だったから……32……なのよね。ちょっとショックかも」
「最近のアキ兄を見てないからそう言うこといえるんだよ。アキ兄、童顔に拍車かっちゃってさ、今でも二十代半ばに間違われることざらだよ?」
 桜の言葉に私はちょっとむかついたことを話した。
 まあ、24の時、十代ぎりぎりに間違われていたのだからそれなりに成長をしたのだけれどそれでも人より年をとるのが遅いような気がする。
「ひゃー、すごいね」
 桜は感心したような、羨ましそうな顔をしながら紅茶をポットからお代わりする。
 でも私は結構切実な問題だったりするのよ。
「私さ、このままいくとアキ兄より年上に見られる事がありそうな予感なんだけど!」
 実際年齢で追いつくわけもなく、外見年齢で追いついてもむなしいだけだわ。
 昔はそれでも嬉しかったけど、年がたつにつれてそれは結構嬉しくない自体を醸しだしている。
「ああ、それはきついわよね。8歳も差があるのに暁灯先生もかわいそうだわ」
 私達はくだらない話をしながら、時には今の話題で笑い、時には昔の思い出を懐かしんでいた。


「そういえばさ」
 そろそろ帰らなくてはいけない時間に差し掛かった時、桜はそう切り出した。
「そろそろ暁灯先生に甥を見に行けばって言ってみた?」
 私は桜の言葉に苦笑するしかない。
 5年前になるのだろうか、自分に甥が出来たことは結構複雑だったりする。
 当時、まだ18だった私は一気に老けた気がした。
 まあ、いいんだけどね、それは。今はもう当然のことだし。
「そうだよね、去年姪も出来たんだから行くべきだよね」
私が呆れたようにそう言うと、桜はきょとんとしたあと納得したように頷いた。
「あ、そっか、女の子も生まれたんだっけ?」
「もう紗波さんはでれでれらしいよ」
 まあこれは子供が出来た時にそうなるだろうと確信できていたことだ。
 紗波さんは基本的に子供好きだし、お姉ちゃんを溺愛しているからさぞお姉ちゃんから生まれた子供には鬱陶しいほどの愛情を注ぐだろうと。
 それが現実になったところで、当然だとは思っても疑問すらも浮かばない。
 それに男親はどちらかというと男よりも女のほうに愛情を示すのがうまいって聞いたことあるし。
 紗波さんにとってはどっちも好きなんだろうけど、女の子に対する愛し方が露骨なんだよね、きっと。
「でも、まだアキ兄は複雑らしいからね」
「そうやって暁灯先生を甘やかすのはいいこととは言えないわよ?」
 笑いながら紅茶を飲み干した桜だったら、きっと引っ張り出すぐらいはするのだろう。
 だけどやっぱりお姉ちゃんのことを完璧に吹っ切れたとはいえないアキ兄に愛の結晶そのものを見せ付けるのはやっぱりしんどいんじゃないかなと思う。
 でも、それでも。
「そうよね、そろそろアキ兄も赤ちゃん抱かせなきゃならないわよね」
 もう甥っ子は抱くという言葉が当てはまらなくなったが結構甘えん坊なので抱っこをねだるだろうし、姪っ子は今まさに赤ん坊なのだ。
 別に子供が嫌いなわけじゃないだろうし、少しは叔父さんとして子供と接することもいいだろう。
 今度、私とアキ兄の休みが重なったら同時に帰省してみようかと提案してみよう。
 アキ兄は嫌そうな顔をするだろうが、それでもしぶしぶといったように一緒に帰ってくれるだろう。
 そういう人だ。私の愛しい人は。
「じゃあ、今度は暁灯先生と一緒に帰ってきなさいよ」
 桜にそう約束させられ、私は苦笑しながら桜の突き出された小指にそっと自分のそれを絡めた。


 ねえ、アキ兄。
 私達は日々変化していく。
 小鳥が殻を破り、世界の広さを知るように私達も苦悩の殻を破り、そのたびに世界の明るさに驚くのだろう。
 日々、殻を破りながら愛しい人との時間がすぎる。
 それを私達は少し寂しく思い、そして嬉しさに身を震わせるのだろう。
 アキ兄と私の関係が徐々に変わっていくように、私達を取り巻く世界も徐々に変化する。
 そして私達は、その中で生きていく。
 愛しさと醜さを伴いながら、生きていく。
 優しさと厳しさに耐え生きていく。
 いつか、全ての錘を外し飛び立てる日を夢見て―― 


―― end

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