ずるいと思った。 私がほしいものは全て持っているような気がしてならなかった。 「お姉ちゃん、腕上げた?」 思わず出た言葉がこれだった。 お姉ちゃんの料理の腕は妹の贔屓目で通してもあまりうまいとはいえない。 まあ、私も人のこと言えないけど。 しかし、両親が結構遅くまで帰ってこないからたいていがお姉ちゃんか自炊だ。 なんで自炊しているのに料理の腕が上がらないのかは……多分遺伝だ。お母さんも下手だから。 唯一おいしいと思えるのは煮込み料理だろうか。 カレーとかシチューとかは人様に出せるくらいには作れる。まあ、ルーを使っているから誰が作ってもうまいだろうけど。 しかしこの目の前の料理はおいしそうな見た目を裏切らない出来栄えだ。 お姉ちゃんが作ったとはとても思えないくらい。 そう思っている事が顔に出たのかお姉ちゃんの顔がどんどん複雑そうな顔になっている。 「それ、紗波さんが作ったのよ」 げ、やば! つまり私は知らなかったとはいえ紗波さんのほうがお姉ちゃんのよりおいしいといったも当然だった。 「やっぱり新鮮な味だからかな?」 私はとっさにそうフォローするがそれが効いているかはお姉ちゃんの顔を見ればすぐ分かる。 しかし、何でこんなに上手いんだ紗波さん。 アキ兄も一人暮らしだから下手というわけでもないけど、上手いってわけでもない。 私は一緒に暮らしてるにもかかわらず食べたことないって事は紗波さんはあまり作らないということだ。 せっかくの特技なのにと思うのは私も上手くないからだろうか。 「まあ、ダーリンに上手くできないはずないんだけどね」 いつもなら手放しで褒めるお姉ちゃんもこればかりは女としてのプライドを傷つけられたらしく複雑な顔をしている。 やっぱりいくらバカップルといったって問題が出ないわけではないんだなと妙に感心してしまう。 「でもいいのよ! ダーリンは「千咲の料理ならどんなものでも僕にとっては世界一ですよ」って言ってくれるから!」 ……前言撤回。バカップルに敵はいない。 ため息をつく私を不思議そうに見ているお姉ちゃんは紗波さんが絡まなければとても素敵なバイリンガルガールだ。 志津子さんとは違った意味で仕事のできる女だろう。 ずっと前に用事があってお姉ちゃんの仕事場にいったが英語ペラペラなお姉ちゃんはかっこいい。 それが何で紗波さんが絡むと変になるんだろう? 「そういえばさ、ずっと不思議に思ってたんだけど」 お姉ちゃんは紗波さんの作ったスープを飲みながら切り出した。 私が顔を上げると変な顔をしている。 「どうして普段は「紗波さん」なのにアキちゃんが絡むと「義兄さん」なの?」 「え?」 「別に昔から「紗波さん」って呼んでたのに何でアキちゃんの前ではそうなのかなーって」 痛いところを突かれた。 実はそれには理由が――くだらない理由があるんだけどお姉ちゃんには言いたくないんだよね。 「うーん、たいした理由はないかも」 「そうなの?」 「うん、ただ変な癖がついてるだけだと思う」 「そう? まあ、ダーリンも「お義兄さん」って呼ばれたいって言ってたからたまには呼んであげて?」 は? 紗波さんがそんな事言うの? はっきりいって意外だった。 紗波さんはお姉ちゃん以外の人はどうでもいい人だと思ったから。 例外はアキ兄くらいで、それだってなにかを要求するわけがない。 「えー、本人にはいえないよ! はずい!」 「えー、なにそれ? 仮にも同じ屋根の下で眠ってるのよ? 今更恥ずかしいことないじゃない」 「恥ずかしいっての! じゃあお姉ちゃんはお母さんに「ママ」って呼べる?」 相当とお姉ちゃんはちょっと考えた後渋い顔をした。 「……呼べないわね」 「でしょ?」 私が勝ち誇った顔をしたのが気に入らないのかお姉ちゃんはムッとした顔で「でも……」と続ける。 「私はお母さんのこと、誰にも「ママ」なんて呼ばないもの」 はい、嘘! 「紗波さんと出会った時かわいこぶって呼んでたって私知ってる」 その言葉は急所をついたのかさらに渋い顔をした。 しかし美人っていうのは得だと思う。 どんな顔をしていてもそれなりに見られる顔になるんだから。 同じ遺伝子が組み込まれているはずなのになぜその顔は私と違うんだろう。悩むところだ。 「もういい。穂夏が照れ屋さんな事は知っているから」 「……」 悠然とそう微笑むお姉ちゃんにかなわないなと思うときがある。 いや、今までかなうと思った事がないかもしれない。 お姉ちゃんだっていろいろな事ができないけれど、やっぱりいつもかなわない。 いつもお姉ちゃんは私の前で笑っている。 そんなお姉ちゃんは私の誇りで、そして少し憎らしい相手。 「でもなんでダーリンは「紗波さん」でアキちゃんは「アキ兄」なの?」 お姉ちゃんの質問に私は少し考えた。 紗波さんとアキ兄とあったのはほとんど同じ時期のはずだ。 私が生まれた直後にここに引っ越してきたらしいから。 なのになぜ紗波さんは「紗波さん」でアキ兄は「アキ兄」なのか。 「……年が近かったからかな?」 「年が近いって言っても8歳差と10歳差でしょ? あんまり変わらないと思うんだけど」 「……じゃあおねえちゃんが「紗波さん」って呼んでからうつったんじゃないの?」 「あ、そうか。ダーリンと付き合う前は「紗波さん」って呼んでたんだっけ。うわ、なつかしーな」 頬に手を当てて照れるお姉ちゃんは幸せそのものだと思う。 それはけして悪いことではない。 お姉ちゃんは知らないから。私の前ではしゃいでも悪いことじゃない。 人は無知は罪だという。 けれど本当は違うんじゃないかと思う。 何も知らなかったからこそ、人を傷つけても許される事だってあるのだ。 人は無垢なものが好きだから。 だからただ単純に自分の幸せを喜べるお姉ちゃんを私は憎めないのだと思う。 「はいはい、ごちそうさま。じゃあ私、宿題あるから」 わざとからかう口調で言う私にお姉ちゃんは頬を膨らませる。 お姉ちゃんは綺麗なのにそういう仕草はすっごく可愛い。 きっと私が男だったらそういうのに惹かれるだろう。 守ってあげたいと思うかもしれない。 ああ、なんて罪な人。 何も知らずに微笑むあなたはあんなに綺麗。 さすが紗波さん。見る目は超一流。 だけどやっぱりお姉ちゃんの旦那様だけあって鈍感。 いや、もしかしたら知っていて黙っているのかもしれない。 穏やかに微笑みながら、憐れんでいたのかもしれない。 でも、それでもあの人は微笑み続ける。 知っていても知らなくても、きっと一生口には出さない。 ああ、やっぱり天使は神様のような人に恋をしてる。 それを責めることなどできはしない。そしてそれが出来てもする気がない。 ただ私はこの二人に嫉妬しているだけだと知っているから。 別に嫉妬が汚いとか思わないけれど、けして歓迎されるものではないから口を噤む。 そして――。 私が「アキ兄」と呼んでいるのは多分アキ兄を遠い人だと思いたくないからだ。 さん付けだとどうしても年が離れていることに気がついてしまうから。 だから私はその年の差を意識したくなくて小さい頃から「アキ兄」と呼んでいるのだと思う。 っつーか、ませてたな、あのころの私。 こんな理由恥ずかしくておねえちゃんには言えやしないわ。 「穂夏ちゃん、今いいかい?」 「紗波さん?」 英語のプリントに悪戦苦闘していた私は慌ててドアを開けた。 慌てる必要なんてこれっぽっちもないんだけどやっぱり普段部屋に入ってこない人が来たら反射的にそうするでしょう? いや、頻繁にこられても困るんだけど。 「ごめん、今忙しかった?」 「いいですよ。弟さんのむっずかしープリントやってただけですから」 わざと「難しい」にアクセントを思いっきりいれた。 紗波さんが私に弱く、アキ兄が紗波さんに弱いということはもう既に知っている。 紗波さんにそれとなく注意されるアキ兄を思い出してざまーみろと思わないでもない。 「そう……、その暁灯のことなんだけど……最近変わったことないかな?」 「変わったこと?」 紗波さんは困ったように微笑んだ。それはどう見ても従順な犬を思い出させる。 まるで子犬に見つめられているような感覚を覚えながら私は首を傾げた。 今日だってアキ兄のアパートに入ったが、別に変な事はなかった。 ただ私をからかって、私を見ずに私と分かれた。いつものことだ。 「なにかあったんですか?」 でも紗波さんがいうのなら何かしらあったのだろう。それを思わせるような何か。 私は意味もなく焦りを感じる。 「えっと、たいしたことないんだけど……あのアパートを今年中には出るって言うんだ」 「え?」 私は少し困惑しているのが分かった。 アキ兄があそこを出たがっていることは前々から知っていた。 けれど、それは多分ずっと先のことだと思っていた。 「で、でも学校とかどうするんですか?」 「ああ、どうやらどこかの田舎で募集しているところがあるからそっちにいこうと思うって」 「どこかって……」 「そこら辺はまだ決まってないからいえないらしい。まあ、そう言うところはいつものことだからいいけど。一回公務員試験受かっているからそっちのほうが安定しているしって言ってた」 確かにうちの学校は私立だから公務員試験なんて関係なくて、でもそれほど給料が安いってわけでもないと思う。少なくとも1年もたたないで辞めていく教師なんて聞いた事がない。 「まあ、多分そうなったらもう一回受けることになるだろうけど暁灯なら受かると思うし……」 「紗波さんは納得したの? それで?」 納得はしてないと私は確信していながらもそう聞いた。納得していたなら私にアキ兄に変わった事がないか聞かないだろう。 紗波さんは少し迷った表情になった。 「あと、穂夏ちゃんにもあんまりいい影響は与えないだろうって言ってたけど……。でも暁灯がそういうこと気にするとは思えないんだ」 私はその言葉を聞いて頭の中が沸騰するように思えた。 逃げたのだとわかる。 私達から逃げていくのだという事が分かる。 それはいい。そうしなければならないと思っていたから。 でもその言い訳に私を使った事が許せない。 あまりにも悔しくて。あまりにも悲しかった。 利用されたのだと。私に害はないけれど利用されたのが悔しい。 ただ利用されたのが悔しいんじゃなくて、私から逃げる言い訳に私を使うところが悔しい。 利用するならするといい。でも、こんな利用のされ方はあんまりだと思う。 その本当の理由をいえない事は知っている。 だったら他の理由が必要だ。そしてそれはいくらあっても邪魔にはならない。 でも、それじゃあ……。 ――まるで私が邪魔だったみたいじゃないか。 多分私は紗波さんがいなかったら大声で泣いていたと思う。 |