昔の私は薄明かりの中どう進めばいい変わらなかった。彼も同様に。 でも今私は薄明かりの中決意を決める。彼とは違い。 放課後、私は二人に話した。アキ兄と私のことを全部。それが私の決意の印だから。 「……なるほどね。そういうわけか」 桜は苺ミルクを飲みながらうんうんと頷いた。 ……ってことは……。 「そういうわけって……桜勘付いてたの?」 桜は鋭い。そして賢い。 桜はうーんと考え込むように頬に指を当てた。うーん、美少女はそういう仕草がすごく様になるから得だよなと思う。 「というより、どうして穂夏は暁灯先生にそんなに夢中なのかなって思ってた。暁灯先生が誰のこと好きだって事は分からなかったけどね」 「は? 夢中?」 私にはそんな自覚はない。 むしろ無関心に見えるほうだと思った。 学校で一番アキ兄と話すのは私じゃないし、むしろアキ兄を避けているといわれても反論はできないだろう。 なのになぜ? 「なんていうか、穂夏の暁灯先生を見る目がね、なんだか微妙な目なんだよね」 「微妙?」 桜の言葉はさらに私を戸惑わせる。 師原も分からないようで首をひねっている。 「何でお前はそういうあいまいな表現するかなー、分かるように話せよ」 「世の中はあんたみたいにはっきりしないことのほうが多いのよ! あんたみたいに白と黒しかないわけじゃないんだから!」 「なんだよ! それ! 俺にだって灰色くらいあるわい!」 「うそつけ! 単純思考しか持ち合わせてない本能で動く男の癖に!」 「なんだと!」 「なによ! 何か言い返したいことでもあるわけ!?」 「……話がずれてるわ」 いきなり喧嘩をし始めた二人を止める気力をなくした私はただそうつっこんだだけだった。 別に険悪な喧嘩じゃないし、ただじゃれあっているだけだと思うから止めようがないんだけど。 「まあ、あれなのよ。穂夏って暁灯先生が穂夏のほうを向いてなければ切なそうな目で見つめまくってるって自覚してる?」 「……は?」 桜が師原との喧嘩に飽きたのか、私のほうを見て言った一声に私は言葉を失った。 勿論自覚なんてしてない。 けれど心当たりはいくつもあった。 「穂夏、顔真っ赤」 呆れたように桜が指摘するが自分ではどうすることもできない。 ううう、末代までの恥だわ。 「あ、そうだよなー、俺ずっとそれで相楽っちのこと好きなのかと思ってたもん」 続いた師原の言葉は私の脳には一瞬理解不可能だった。 むしろずっと不可能であってほしかった。 けど私の健気で賢明で愚劣な脳は認識したらしい。 つまり師原にもばれていて、その上私の過去の気持ちに気づいた。ただひとつの間違いはそれが現在進行形で語られていることだ。 私はなんて答えようか頭で考える前に言葉に出していた。 「残念でした。私の気持ちはもうそこを通り過ぎてます」 私は自分でも驚くほど冷静に事実を告げた。 はっきりと口に出して肯定したのはこれが初めてだ。 初恋なのだと思ったときから私はその想いを口に出したことはない。 ずっと苦しかったけれど、これは誰かと分け合えるような苦しさではないと思ったし、誰かに知られるのも怖かった。 そして何より自分が認めてしまうことも怖かった。 でも決心してしまった私は自分で思っているほど臆病ではなくなったらしい。 もしくは自暴自棄とも言う。 「って事はもうそんな想いはないってこと?」 なに、そのいかにも「嘘つき」と書いてないのが不思議なくらい正直な表情は。 っつーか、違うほうにつっこめよ。 私がアキ兄のこと過去でも好きだって認めたのよ。 そこに何の反応がないのが少し寂しい今日この頃。 「うーん、もうそこはとっくの昔に諦めたしもう既にアキ兄と一緒にいても胸が高鳴るとかなくなったしね。多分私がアキ兄と一緒にいるのは同情からだよ」 そう、同情。 同情が安っぽいかどうかなんて私は知らない。 ただアキ兄とあまりに一緒にいたせいでアキ兄の痛みが私にダイレクトに伝わるだけ。 そんな痛みをただ取り除いてやりたいと思ってしまうだけ。 ただ哀れみを持った同情ではなく、同じような痛みを持った同情。 それが行き過ぎて依存していることを私は自覚している。 でも、依存が悪いことだなんて思わない。 そうでなければ私はアキ兄のそばにいられなかったのだから。そして私はまだアキ兄が必要だ。 「同情だったらそんなにのめりこまないんじゃねーの?」 まるで理解不能だというように師原はそういう。 のめりこむ、……のめりこむねー。 実をいうと私はいつからのめりこんでいるのか分からないから実感すらないのだ。 まあ、物心ついたときから感情の種類は変われど、アキ兄を見つめ続けてたから最初からのめりこんでいたといっても過言ではないのだけれど。 「同情の重みが穂夏にとってはかなり重いのね、きっと。私、そんな同情したことないわ」 と呆れたように桜はいうけれど、私が一番近い表現がそうなのだから仕方がないじゃないか。 私の想いは恋じゃない。肉親の情でもない。ただ、私の思いとアキ兄の想いが繋がっていて。 私の諦めた残骸がまだアキ兄には残っているだけのことなのだと。 「……俺さー、実は江原が相楽っちのこと好きだと思ってて、すっげー羨ましく思えたんだよね」 「え?」 なんつーこというんだろ、こいつ。 まあ、誤解したのは桜も同じみたいだからどうでもいいけど、羨ましい? 過去の自分が叫んでいる。 羨ましいのはお前じゃないかって。 何でこんなに辛い関係が羨ましいんだって。 「なんかさ、それが恋愛って形じゃないと俺たちは結ばれないんだよね」 「は?」 一瞬誰のことをさしているのか分からなかった。 ただそこには少しだけの寂しさがあった。 すぐに志津子さんとのことを言っているとは頭でわかっていても、それがどういう意味かいわれるまで分からなかった。 「俺と志津子さんは恋愛じゃないと不自然なわけ。恋愛から始まったから友達にはなれないと思う。友達になろうっていわれたって俺の想いが強すぎて多分志津子さんはさりげなく離れていくんだと思う」 切ない師原の声。 師原はただ単純に志津子さんのことを好きだったわけじゃなかったのだ。 子供だって本気の恋をする。 子供だからこそ恋に本気になる。 けれど、師原の恋は本当に子供の恋でくくっていいものだろうか。 こんなにも大人びた師原の恋を子供の単純な恋と思えない。 そういう恋の後には何かしらつながりがあればいい。 けれど。そんな事――。 「そんな事……」 ないとは言えなかった。 志津子さんと師原は恋愛をはさまなければ不自然なのかもしれないと思った。 志津子さんに恋をしていない師原は想像がつかなかった。 以前のその頃の師原も知っているはずなのに、なぜか考えられないのだ。 まるで最初から師原は志津子さんに恋をするのだと決定付けられたように、そうするために存在するかのようにそれ以外考えられなかった。 志津子さんにただ運命を捧げている、自分の想いを全てかけている師原しか思い出せなかった。 「だから、俺は江原が羨ましかった。どんなに辛い関係でも、江原は相楽っちと切れない関係があるから。どんなに切ない関係でも、俺はそれがほしかった。けして離れない絆がほしかった。でも無いから自分で作るしかできないんだ。だから自然にそんな関係がある江原がすっげー羨ましかった」 そう師原は笑った。泣くでもなく、絶望するでもなく、苦笑するわけでもなく、ただ本当に笑った。 私は泣きそうになる。 それはきっと師原の感情があまりに一途だからだ。 昔の私と被る。アキ兄と被る。けれどどれとも違う深く一途な感情を師原は育てている。 「私は……、私は! 師原が……師原が羨ましかったよ! ずっと志津子さんを見つめて、自分の感情に正直な師原が羨ましかった! 私は諦めたから、諦めない師原が羨ましかった!」 師原は驚いたように私の顔を見た。 私の顔はきっと泣くのを我慢しているから怒ったような顔になっているだろう。 そして声は震えている。 みっともないなーと思う。けれどこれが今の等身大の私だ。背伸びしているわけでも丸まっているわけでもない、本当の私だ。 師原の口元に笑みが宿った。 暖かく、慰めるような笑み。 師原にそんな笑い方ができるとは思わなかったから、私は思いっきり目を丸くしたと思う。 けれど、それに釣られるかのように私の口元も笑みをかたどってった。 「……何よ、二人とも。私も仲間に入れなさいよね! 私だって、本当は二人が羨ましいんだから! そんなに真剣で強い想い抱えたことない私から見れば二人とも羨ましいのよ!」 桜がすねたようにそういうから、私は思わず師原と顔を見合わせてしまった。 今は思いっきり笑いたい。 そして泣きたい。 「ねえ、穂夏。穂夏はさ、もうそんな想いはないって言ったけどそうじゃないんだと私は思うよ。ただその想いを抱えて一緒にいるのは辛かったから穂夏は忘れたフリをしたんだよ。だって穂夏の目は、恋している目だったもん。切ない切ない恋をしている目だったもん。師原と同じくらい情熱をたたえた目だったもん。諦める必要ないと思うよ」 「桜……」 「私はね、穂夏。恋愛が何よりも大事だとは思わない。それよりももっと大事な情があってもおかしくない。それは人それぞれ。だから激しい激しい想いが全て恋愛だとは思わない。だけど穂夏はちがうと思う。ただ飾り物が多くて、プラスアルファーも多かったから判別しがたかっただけなんだよ。そこに同情もあってそれで穂夏じゃ間違えたんだろうけどさ、穂夏はちゃんとそれを見つめなきゃ自分がかわいそうだよ。せっかくある想いを偽ったら駄目だよ」 桜の優しい腕が私の髪を撫でる。 それは子供を慰めるように、子供に教えを諭すようにゆっくりとその存在を確かめるような動き。 私はそれに感謝した。 私はきっと気づいていける。 偽ってしまった私の感情。 まだ私は、認めたくないけれど認めていける気がした。 「諦めなきゃなんでも叶うわけじゃないけどさ、諦めなかったら叶うことだったりしたら悔しいじゃん。だから俺は諦めない。俺たちはまだ諦めなくていい年頃なんだ。だからお前も諦めるなよ」 師原の言葉は温かいくせに強かった。 「だいたいさー、恋じゃなかったらあんな目、ふつーしないよな。江原って意外と鈍感なのな」 にやっと笑う師原はいつもの師原だったけれど、どこか大人な気がした。 勿論殴ったけど、そのあと。師原もそれを予想してたように大げさに痛がった。 師原が羨ましいだけではどうも動かない。 だからこそ私は行動を起こした。自分の想いを清算するために。 それがどんな風になるかは分からないけれど。 忘れたことは清算したことにはならなかった。だからこそ決着をつける。 どんな形になるかわからないけれどきっとその時は私は大人になっている。 「アキ兄」 私は今、アキ兄の家にいた。 どうしても会いたかった。 会って伝えたかった。 もうなくしたと思っていた想いがひそかに存在したことを。 伝えられないと思っていた想いを伝えたかった。 けれど――。 「アキ兄?」 薄暗い部屋。 明かりはただ窓からネオンが薄明かりになって届くだけ。 時計を見てみると10時。 こんな時間まで帰ってこないわけがない。 胸騒ぎが起きる。 なぜ。 なぜ、そんな気分に。 私は電気をつけようとしたがスイッチを押しても明かりが灯らなかった。 だんだん慣れてきた私の目が胸騒ぎの原因を知らせる。 「――っ!!」 アキ兄の部屋にあるべきものがいくつかなくなっている。 家具はそのままだが細かいものがない。 それが指し示す事実はただひとつ。 アキ兄は私に何も言わずに出て行った。 そういえばいつ辞めることになるのか聞いていなかった。 辞表を出してすぐに止められるわけがないと高をくくっていた。 そうだ、辞表の効果が現れるまで休めばいいのだと今更気づいた。 うちの学校は先生が急な用事で休んでも補えるように1学年ごとに先生が違う。 その上、授業がどのくらい進んだかはボードに書いておくため困らない。 つまりアキ兄がどのくらい休もうが困ったことにはならないのだ。 「……アキ、兄……」 泣きたくなる。 どうしていつもアキ兄は私を置いていくのだろう。 どうして私はいつも遅れて気づくのだろう。 どうして……。 「駄目だ!」 私は誰もいないところで声を張り上げた。 だめだ、これじゃあ前の私と変わらない。 私の腕は私を抱きしめた。 倒れぬように。 けして無様に倒れぬように。 逃げ道を作らないように。 私は一点を睨んだ。 これで逃げてしまったら決意した意味がない。 私はずっとこの囲いの中から抜け出せない。 囲いの中は確かに安全だったけれど、もう切ない想いを引きずるのは真っ平ごめんだ。 もう、アキ兄をただ見つめているだけなのは飽きた。 決意はもうけして揺るがない。 もうけして、アキ兄に怯まない。 私を視界の中に入れさせる。私をアキ兄の中に存在させる。 千咲の妹ではなく、穂夏として。 アキ兄の視界に入る。 そのためなら私は――。 自分の決意を薄明かりの中、胸に秘める。 それは私自身の決着。 まだ大人ではないから諦めなくていい。 御蔵先生がそういってくれた。 お前が羨ましい。 師原がそう背中を押してくれた。 だからこそ私は動く。過去の自分に見切りをつけるために。 |