「どうして……どうして……」
「さゆりさん、もう泣き止んで?」
 俺のシャツは既に濡れている。
 さゆりさんが他の男を想って流した涙で。
 本当はその涙がぬらすのさゆりさんの枕だったろう。
 俺がさゆりさんの後輩だったあの頃からこの美しい人はいつも寝ながら泣いていた。
 原因はいつも同じだ。
「もうやめなよ。あんな奴……」
 自分がそう言うしか出来ない。
「あんな奴が一緒にいなくたってさゆりさんには……」
 自分がいるよということに躊躇しなかったといえば嘘になる。
 俺はまだ力のない学生で。
 相手は一流企業に勤めている大人。
 どちらがさゆりさんにふさわしいかなんて決まっている。
 さゆりは俺のことを弟のようにしか思っていないけれど、俺にとってさゆりは侵しがたい神域で、憧れる楽園のような存在。
 だからこそ相手の男が許せない。
 なぜこんなにも綺麗な人を泣かせる?
 どうしてこんなにも美しい人を悲しませる?
 別れればいいのにと思う。
 こんなに涙を流すくせにどうして別れないの? と詰問したくなる。
 どうせなら責めればいい。
 罪深きあの人を。
 責めて責めて気がすむまで責めればいい。
 なぜ貴方だけがこんなに苦しむ?
 どうして苦しみ続けなければならない?
 俺はその原因を知っている。
 園部 卓也。
 そいつがこの人を泣かせている原因だ。

「ごめんね、礼二君。みっともないところ見せちゃったな」
 さゆりさんは鼻の頭を赤くし流れ照れくさそうにそう言った。
 けれど俺から見たらそれが無理した表情だということは一目瞭然で。
「ねえ、なんでやめないの? そんなに辛いならやめればいい」
 俺がそう提案してもいつもと同じようにさゆりさんは首を振る。
「だめよ、きっとそうしたら私は壊れてしまうから」
 さゆりさんは静かに、けれど必死に首を振る。
 それがどういうことかなんて俺には分からない。分かりたくない。
 俺はさゆりさんの腕を取った。そして強引に抱きしめる。
 けれどさゆりさんを支えるというのが俺には無理だということを示すかのように俺の腕にはさゆりさんの髪がパシパシと当たった。
「だめだよ、礼二君。同情でこういうことしちゃ。女の子は誤解するから」
「誤解じゃないよ。本当に貴方の事が好きだ」
 こういうときにしか言えない。
 勢いで言ってしまったけれど、これは本心だ。
 それを伝えたかった。
 たとえ届かなくても、返されなくても、伝えたかったんだ。
「ねえ、さゆりさん。俺は待てるよ。ずっとずっと待てるよ」
「嘘よ、無理よ。礼二君はただの同情を恋と間違っているだけだもの。ねえ、そうでしょう?」
 まるでそうである事を望んでいる表情。
 でもごめん、さゆりさん。
 俺はそれでそういうフリをするのはもう嫌なんだ。
 ただの優しい年下の男の子でいるのは嫌なんだ。
 だからごめんね。
「俺が同情と恋を間違えるわけないよ、だって」
 だからそれを全部否定してあげるよ。
 同情なんて本当はしてなかった。
 俺は楽園に忍び込む事を望む罪人だ。
 けれどさゆりさん、あなたは俺を罰せないでしょう?
 優しいから俺を許してくれるでしょう?
 ねえ、さゆりさん?
「だって、さゆりさんが幸せだった時から俺はさゆりさんが好きだったんだから。相談されるよりまえから俺はさゆりさんに惚れてたよ」
 さゆりさんの目が驚いたように見開かれる。
 だってさゆりさんが俺に相談し始めたのは俺が大学に入学して仲良くなってすぐのころだったから。
 そんなさゆりさんに俺はにっこりと笑いかける。
 けしてあなたを泣かせないよと。けしてあなた以外を見ないよと。けしてあなたを寂しがらせないよと。
 そういう意味を込めて俺は笑う。
 初めて会ったのは高校生の時。
 その時から――。
「初めて見たときから惹かれてたよ」
 さあ、あなたはそれにどう返す?
 もうさゆりさんを見ていないあの男か、永遠の愛を誓える俺か。
 どちらを選ぶ?

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