「ねえ、恒一」
「なんなの? いきなり?」
 風呂上りの弟の襟首を捕まえて、自分の部屋に連行していく姉。
 結構それって考えようによっちゃ今はこいつしか相談する相手がいない。
 それに今はこいつは会社の先輩とラブラブ恋愛中だし、役に立たないなんてことはないだろう。
「あのさ、俺明日早いんだけど」
 社会人になってまだ三年の恒一は眠そうな顔で訴える。
 けれど、こればかりは悪いけど姉のためだと思って聞いてもらおう。
 年齢は違うけど学年は同じで、双子のように育ってきた私たちじゃない。
 こういうときぐらいは協力してほしい。
「恒一、はっきり聞くわ」
「な、なに?」
 いきなりのシリアス声に驚いたのか、眠そうにほそめられていた恒一の目は何故かおびえが走る。
 正直言ってその反応はいかがなものかとは思うけど、今はこっちが頼む立場。わがままは言わないわ。
「あんた、俊の携帯番号って知ってる?」
「……姉さんだって知ってるだろ?」
 怪訝そうな顔をして恒一は私に聞く。
 そう、普通は知っていなければならないはずなのよ。
 俊は恒一の友達でもあり、私の現恋人でもあるはずなのだから。
 恒一もそう思っているらしく、首をかしげている。
「知らない」
「は?」
「知らないわ」
 私の答えに恒一はさらに不思議なものを見るように見た。
 だって私が先月俊と話していたところを見てるんだから当たり前よね。
「……俊、携帯変えたの?」
 恒一の問いに私は静かに首を振る。
 ますます変な顔をする恒一に有無を言わさず私は自分の携帯を開いた。
 そして俊のアドレス画面を恒一の目の前に差し出す。
「何だ、やっぱり知って……あれ?」
 恒一は呆れたようにいうが、だんだんその顔が不思議そうな顔に変化している。
 俊の電話番号をじっと見つめて何もいわなくなる。
 そりゃそうだよな。私だって最近知ったんだから。
「これって……」
「そう、プライベート用の番号じゃないの」
 私はきっとこれが恒一の前じゃなかったらなけなかっただろう。
 けれど、恒一は今までずっと一緒に育ってきた姉弟だから。
 私の涙はほろほろと自然にあふれてきた。
「知らなかったわよ! 今日知ったのよ! 真弓に俊のアドレスを見せてもらってね!」
 ずっと彼女だと思っていた。
 ちょっと言葉少ない、かわいい彼氏だと思っていた。
 なのに何なのだ。
 何なのだ、今の状況は。
 彼女なんかじゃかった。
 知り合い以下の女だったのだ。
 それを、それを。
 あの時言ったのではなかったか。
 好きだといってくれたのではなかったか。
「あの、嘘つきっ!」
 いつか死ね。女心をもてあそんだあいつは死あるのみだわ!
 いや、実際死んだら死んだで困るけど。
 というかもう何も信じられない!
「もしかしたら姉貴専用の携帯かも……」
「あいつにそんな金ないわよ」
 ただあいつにプライベート用と仕事用の携帯があるのは仕事上しょうがないことだけど、仕事用のほうの携帯を教えていただいていたことがむかつく。
 あいつの仕事ってホストよ!? ってことはなに? 私はお客様扱い?
 いっぺん死んで、根性たたきなおしてこい!
 もしかしてあれかしら。
 あまりにも色気がない職業だから、少しはいい夢見させてあげようっていうホスト的親切?
 たしかに仕事で会うのは編集者さんとか同業者だけだし、たいした出会いはないわ。  だけどあんたにそこまでされる必要ないわよ!
「そ、そんなことないって。あいつだって最近そこそこ売れてきてるみたいだし……」
「年下の男にだまされたって言ったらみんな同情してくれるかしら?」
「だからあんまり悲観すんなって」
 いかにもあわてて恒一はなだめるけどもうそれすらもどうでもよくなってくる。
 ホストにだまされる女って、そりゃ日常茶飯事よね。
 みんなばかばかしすぎて慰めてすらくれないかもしれない。
 たしかにホストは女をだまして、夢を与える仕事だもんね。
 私は傍から見れば勘違い女だわ。
 ……あれ? ってことは?
「恒一、もしかしてこうなることわかってたんじゃないの?」
「は? わかるわけないじゃん! 俺も姉さんが恋人だと思ってたんだから!」
 そりゃそうよね。
 恒一は一応善良な私の弟だもの。いくら友達でも俊と一緒にこんな悪趣味なことするわけないわ。
「俺、一応俊に聞こうか?」
 それもな、なんかいや。そうしたら俊と恒一の間にも傷入れちゃうことになるだろうし、第一女々しいわ、それじゃあ。
「いい」
「え?」
「いいって言ってるのよ。明日になったらメールで……って言っても多分仕事用だろうけど……そっちに別れるって入れとくから。それで全部終わりにするわ」
「って、まだそうだって決まったわけじゃないだろ!?」
 恒一はそういってくれるけど、やっぱりこの飯だと私のプライドが許さないのよね。
 ああ、所詮あいつにとっては客と同意義なんだから別れるも何もないか。
「もういいわ、どうでも。あいつにはもう愛想がついた。もう関係ない。わかったわね?」
「ちょ、ちょっと待てよ……」
「じゃ、お休み」
「姉さん!?」
 恒一の情けない声が響いたけれど私はそれを無視して部屋にこもった。
 私だって考えたことのない事態に戸惑っているのかもしれない。
 何で正義感の強いはずの弟がこんなに簡単に俊を許しているのか知ればよかったのだ。
 浮気すらも許せない恒一が俊を許すわけないのに。
 そう、すべて知っていたのだ、恒一は。
 でもまあ、それを知るのはもう少し後のことなのだけれど。
 そのときの私はすでに怒りに頭に血が上って、俊をののしっていた。


「で、信じてくれたの?」
「……言わないで、私は今自己嫌悪中なんだから!」
 バーで久しぶりに会った俊は照れくさそうに笑った。
 すべてはこいつのたくらみだったことにむかつきを覚えている。
 そしてそれがかわいい理由だったとしても、許す材料になんてしてやらないわ。
「いくらなんでも俺だってあんたをお客扱いするわけないじゃん」
「あんたの言葉の少なさに嫌気がさしたのよ」
「えー、実際は理沙の勘違いじゃん」
 ええ、そうね。そのとおりだわ。
 よくよく見れば気づくことなのよね。
 あれが弟の携帯番号だったってことに。
 もちろん、真弓が共犯。
 いくらなんでも教えてもらったの、一年前だし、そのころからたくらんでいたのならよけい許せないわ。
 どうやら俊は年下ということと、仕事のことで結構私の愛が信じられなかったらしい。
 負い目というか、年下だからということでただかわいがっているだけではないのか。
 お客さんのようにホストである自分を好きになっているのではないか。
 たしかに私から言わせればくだらないに尽きるんだけど、そのくだらないところに突っ走ったのよね私の彼氏は。
 まあ、仕方ないって言えば仕方がない。
 だって俊と会ったのは結局ホストクラブだし、付き合おうとか愛してるとかそういうことで始まったわけじゃないから。
 しかし、ここまで純情だとは思わなかったわ。
 これでホストなんてやっていけるのかしら?
 別に私は俊にホストを続けることに賛成のわけじゃないけど、反対もしてないんだよね。
 浮気の心配とかないわけじゃないんだけど、この職業のわりに俊はすれてないし大丈夫だって思うのは私の偏見かしら? っていうかあれくらいあったら浮気とか疑うはずなのに浮気だとは思わなかった私っていったい。
「しかし、あれぐらいのことであわててくれて俺うれしかったなー」
 と俊は甘えてきた。
 こういうところが女心をドキッとさせる秘訣かもね。
 ああ、許してしまいそう。
 こいつはやっぱりホストは転職かもしれない。
 まあ、そのキャラがいつまでも続くわけないんだけど。
 ていうか、恋人がいるホストって人気出るのかしら?
「ねえ、理沙? 悩むんなら俺のうちで悩まない?」
 言っとくけど俺はお客さんは家に入れないよ? と囁かれる。
 私はどうしようかなと悩んだ。
 まだ少し怒っているのは事実だけど、俊と二人っきりになりたいのも事実。
 とりあえずこのカクテルを飲み干してから考えようっと。
 私はそのブルーのカクテルに手を出した。


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