わかっていないと思う。 すくなくてもホストであるはずのこの男にはわかるまい。 客といい感じでくっついてのろけまくっているこの男には。 「それでですね……、聞いてます? 昭人さん?」 「ああ、聞いてるよ。はいはい、それで?」 「それで、理沙さんってば……」 こいつは先輩にどれくらい付き合わせる予定なんだろう。 そろそろ終わってもいいんじゃないだろうか。 情けないことに自信をなくしていたこいつにおせっかいな先輩方がはっぱをかけてやったらしい。 実験途中はこんなことして嫌われるんじゃないかなとかなり女々しかった。 店に出せないくらいだ。それでもホストかよと思いながら、俺はこいつを慰めていた。 そのときは、少しはかわいいなと思ったことは否定しないがそのかわいさが今はぜんぜん見当たらない。 大体こいつはホストだという自覚があるのだろうか。 普通ホストだと知っているやつにはこんな話はなせないし、お客様になる可能性のある人はもっと危ない。 下手すれば、人気にも響く。 それなのに、こいつはあっぴろげにしてる。 それが人気に日々黄河なんだろうが関係ないというように。 理沙のことを自慢したいというように。 それがまた、何故か人気が出たのだけれど、おそらくそれは相手が俊だからで自分だったら人気額落ちだっただろう。 それを計算していたとは思えない。だって俊のことは稀なことだから。 夢を売る俺たちに恋人がいるだなんて普通いえないから。 少なくとも自分にはできないことだ。 たった一人だけを見つめることは。 見つめてはいけないのだと思う。 少なくともこの職業が転職だと思っている間は。 なのに、たった一人の女性が心の中に入り込んでくる。 実際にありえないずうずうしさで。 本人はどこかのお嬢様らしく、静かなくせに。 その静けさとともに心の中で居場所を作っている。 そんなことじゃいけないと思うのに。 「いらっしゃいませ、東野様」 目の前の客ににっこりと笑いながら、俺はその声を聞いた。 あの人がいる。 それだけで空気は変わった。 静けさが浮かぶ空気。 それは彼女の描く絵と似ていた。 「ご指名はございますか?」 「いえ、お任せいたします」 これは彼女が訪れるたびに行われる会話だ。 彼女はけして誰かを指名するわけではない。 通ってくるほとんどの女性にひいきする人はいるのに、彼女は誰かを選ぼうとしない。 それはきっと誰だって同じだと思っているからだ。 そう、彼女は誰だっていいのだ。ただ、そこの空間に溶け込めていれば。 溶け込めるはずないのに。きらびやかで、賑わいのあるこの店内は彼女にまるで似合っていない。 それは彼女が悪いわけではなく、この店が悪いわけじゃない。 彼女の持つ雰囲気とこの店の持つ雰囲気が相反するものだからだ。 彼女は森の奥の泉のような雰囲気を持つ女性だ。 消してこういうところが似合う女性ではない。 それをわかっていながらも、彼女はこの店に通い続けた。 そこまでして、なんで? そうまでしなきゃ、彼のことを思い出すから? あなたを置いて逝ってしまった彼のことを。 それを聞いたのは只の偶然だった。たまたま言った彼女の個展でそのような噂を聞いただけだ。 只の客だ。彼女も俺のことなんて気にしていない。 そう言い聞かせている自分が惨めだった。 何であんなに彼女のことが気になるのだろう。 ただあの雰囲気が珍しいから? ああいう女がここに来るのにちょっかいかけてやりたいと思っているから? どの理由もしっくりこなかった。 ただ、彼女が店内にいる間は彼女に意識が言っている。 口では隣の女性に優しい言葉をかけながら、気持ちは彼女の一挙一動を見守っている。 最低だと思いつつ、上の空になることだって数知れなかった。 「ようこそいらっしゃいました、東野様」 あ、俊だ。 俺の神経はきちんと向こうを向いていた。 「今日は俊君?」 彼女の顔はここからは見えない。 けれど、きっと微笑んでいるだろう。あの静かな微笑を浮かべているのだろう。 もやもやする。 俊だって、仕事だし彼女だって誰にでも見せる微笑だ。 この俺にだって……。 だって、彼女は特別なんてこのクラブにはいない。 誰も指名しないのがその証拠だ。 だけど、特別じゃなくても順位付けぐらいはあるだろう。 それなのになんでこんなに気になるのだろう。 なぜこんなに愛しく思うのだろう。 なぜ……。 「昭人さん?」 気がつくと、上の空になっていたらしくお客様が不思議そうに首をかしげていた。 俺は内心あわてるが、そんなこと顔には出せない。 「申し訳ありません。思わず見ほれてしまって」 どうやら場にあった返し方ができたらしく、「まあ」とため息をつかれてしまった。 自分の言葉に顔を赤くする女性を見て、ああ、この人とは違うと思ってしまう。 まるで病気だ。 あの人は苦手なはずだった。少なくてもここで会わなければ会うことなどなかっただろうに。 それに俺は人にはさめているのか、あまり人に執着を覚えたことなどなかったのに。 彼女は自分の心の中にたやすく住み着いた。 自覚することなく、心を侵していく。 「それで、理沙さんったらね」 「そうなの……良い方ね」 「ああ、すっごいいい人だよ」 彼女は俊の彼女の話を聞くとほっとするらしく、いつもよりも穏やかな話し方だと思う。 きっと、そこらにいるホストにもてはやされるより彼女持ちの俊と話していたほうが気が楽なのだろう。 ホスト失格な話題なのに、俊は何故かそれをとがめられたことがない。 きっと雰囲気でわかってしまうのだろう。愛する人がいると。 だから同伴を求められたことはないが、気軽に話せるホストとしてそれなりの人気はある。 異端だし、No.1になれるような器ではないが、確実な人気がそこにはあった。 だからこそ、店も何もいえないのだが。 そして、きっと俊は彼女のお気に入りだ。 指名はしないが、一番落ち着いて話せる相手だと思う。 それが彼女にとって一番望んでいることだろう。 彼女はここに偽りの恋愛を求めているわけじゃない。 ただ、心を癒しに来るだけだ。 だからこそ、一番俊が望ましいのだろう。 しかし俺にはその事実さえも嫉妬の対象にしているようでぐつぐつと炎が燃え盛るような気がした。 彼女のことが好きなのだ。 心のどこかでそういう声が聞こえる。 彼女のことが嫌いなのだ。 理性がもう侵されたくないと否定する。 愛してるのじゃないのか。 本能がそれを指摘する。 愛してなんかいない。 プライドがそれをなかったことにする。 好きだ、好きじゃない。 愛してる、愛してない。 俺の心は二つの意見で裂かれそうだ。 そして俺は心のどこかで彼女にもう来てほしくないと願う。 ここは俺のテリトリーだ。もう、荒らされたくなんかない。 けれど、その心であいたいと願う。 けしてその心に自分が映らなくても、その声を聞きその姿を見たいと。 どのくらい葛藤と続ければ気が済むのだろう。 どれくらい、この悩みは続くのだろう……。 |