「私のために死ねる?」
「は?」
「私のために死ねるかって聞いてるのよ、この八方美人」
 俺は窮地に立たされていた。
 なぜ彼女が怒ってるかわからない。
 いや、わかってはいるんだ。
 ただ、俺はその怒りの交わし方を知らない。


「大体さ、何であんたが客商売なんてしてるわけ?」
「だって、奈津はいつも俺がモデルのバイトすると嫌がるじゃん」
「それもいやだけど、あれはもっといや」
 ただいま、奈津は怒っています。
 原因は俺のバイトのことなんだけど。
「普通の喫茶店のバイトのどこがいやなんだ?」
 わからない。
 何で喫茶店のバイトごときでせめられなきゃならないんだ?
 大体モデルの仕事だって何で嫌がるかわからない。
 モデルの仕事を紹介したのはもともと奈津だ。
 というか、俺は奈津に喜んで欲しさ半分、給料欲しさ半分で始めた仕事だからこだわりはないけど。
 でも、最初のころは喜んでいたはずだ。
 なにせ、憧れのカメラマンに会うのだから。
 これに実は俺は嫉妬した。
 たかが、通信販売のモデルを撮るカメラマン。
 名も無名に近い。腕がそんなにいいわけじゃない。
 なのに何故か奈津はそのカメラマンにご執心。
 それが頭にこない彼氏はいないだろう。
 ほかの誰かに心を奪われるなんてたまったものじゃない。
 でも俺は何もいえない。
 まあ、浮気しているわけではないし、かっこ悪さとか考えてしまって何もいえないというのが正しいのだが。
 でも続けるにしたがって奈津の機嫌は目に見えて悪くなった。
 まあ、自分で言うのは何だけど、それなりに見れる顔だっていうのは自覚している。
 顔と性格があっていなくて何度苦労したかしれない。
 実際「もうちょっと派手な性格なんだと思ってた」と言われること数知れず。
 奈津に会うまでは性格のほうがコンプレックスだったんだけど、最近それが逆転してきていることに気づいた。
 奈津はともかく俺がもてていることが気に食わないらしい。
 しかも「外見だけで」持てていることが一番いやなのだそうだ。
 そこに愛を感じていいのか、それとも単に気に食わないだけなのか。
 まともな恋愛経験のない俺には悩めるところだ。
 大体、今まで告白してきた女の子だっているのにそれになんだかんだ言ったことは一度もない奈津がなぜそこまで怒るのかがわからない。
 そういうときに嫉妬する女ならともかく、奈津の気持ちがわからない。
「何で怒ってるの?」
「わからないならいいよ」
 彼女の悪い癖だ。
 話したくないと思ったらとことん話さない。
 俺は不器用だから、話してくれないとわからないのに。
 普通はこういう時話してくれるまで待つとかするんだろうけど、奈津は多分言わなきゃ話してくれないから。
 これでも彼氏彼女の関係になって1年ぐらい。
 お互いのことがある程度わかってきたぐらい。
 だからこそ。
 こういうときには聞いたほうがいいと身にしみている。
「言ってよ。なに聞いても怒らないから」
 そう笑いかけると奈津はなんともいえない顔をする。
 ちょっとだけいいかなという期待と、言ってもいいのかという不安。
 そういう顔を見せるのはやはり奈津が長女だからだろうか。
 奈津が生まれてすぐに双子の妹と弟が生まれたからか、奈津はしっかりとしたお姉さんだ。
 だからか、人に甘えたりなんだりすることがひどく下手でいつもお姉さんぶっている感じがする。
 あくまで感じなのだが、きっとお姉さんだから弱音をはかないように生きてきたからだろう。
 だからこそ、俺が言わなきゃならないんだ。
 けして、生きにくさを感じさせないために。じゃないと消えてしまいそうなところが奈津にはあるから。
 きっとこれは俺の杞憂だとは思っているけど、それでもどこか消えそうな感じがした。
「言っていいんだよ、奈津。俺はお前を甘やかしたいんだから」
 いつも奈津には甘やかされているのは俺だけど、それでもたまに甘やかしたいときもあるのだと伝えたかった。
 本当はすっごく甘やかしたいんだけど、それだときっと奈津は受け入れられないから。
 無理やり抱きしめてもうれしくもなんともないから、せめて手を広げて奈津を待つことにした。
 奈津は戸惑ったように左右に目を走らせた。
 そして決心したように唇が開く。
「……いやなのよ。啓介が外見で損するの……」
 俺は外見で得をするといわれたことがあるけど、その逆は言われたことがない。
 だからか、ひどく真摯な言葉に聞こえた。
 たしかに一見派手そうに見える外見は多分俺に損しかもたらさなかった。
 あまりに性格と違う外見は、時が立つにつれて重荷になっていった。
「たしかに嫉妬もあるかもしれないけど! だけど……いやなんだもん。ただ女の子たちが啓介の顔だけ見て判断して、性格を知って勝手に幻滅するの……。そりゃね、性格が好きだって女の子がいたら……悔しいけど、戦わなきゃならないじゃない? でもそのこたちは違うじゃん! 外見だけ見てて啓介の一等素敵なところ見てないじゃん!」
 明らかにむっとした顔で怒っている奈津が愛しいと思っているのは、奈津に俺がべた惚れだからか、それとも野郎どもに共通する気持ちか。
 どちらかといえば前者のほうが断然いい。
 奈津の顔を見ながら、そんな腐ったことを考えた。
「ありがとな、奈津」
 俺は笑いながらそういった。
 だって、顔が勝手に緩んでしまう。
 これで緩まなかったらきっとそいつはその人のことが好きではないのだろうと思う。
 だって、これってまるで愛をささやかれるよりもうれしくないか?
「でも、何で『私のために死ねる』?」
 そこがわからなかった。
 どうしてその言葉が出てくるのか。
 すると奈津の顔が真っ赤になる。
「やだ。忘れてよ」
「でも奈津らしくない言葉だよな」
 だいたい奈津が死とかそういうのを使ってくるほうが変だ。
 別に市を極端に嫌っているとかそういうわけでもないと思うんだけど、あまり身近に感じられないし話題になるほうが少ない。大体がニュースで見た内容だけだ。
 だからなんでかわからない。
 不思議そうに奈津を見ていたのか、奈津は言い訳をするようにいった。
「……たぶん、昨日ロミオ&ジュリエットの舞台をテレビで見てたから、頭に残ってたのよ。……悪かったわよ、らしくないこといったわ」
 とつぶやくように言うとつんと俺から顔をそらす。
 どうやら勢いでいってしまったことを恥じているらしく、ほっぺが真っ赤だった。
 俺は少し考えてゆっくり答えた。
「俺は死ねないな」
「?」
 奈津はそれがその問いの答えだということがわからなかったのかきょとんと首をかしげる。
「だって、そうなったら奈津、絶対泣くじゃん」
 俺はそんな奈津の反応を無視してそう続けた。
 とたんに奈津の顔は真っ赤になる。
 まるで化学反応を起こしたかのように。
「な、な、な」
 どうやら奈津には俺の言った意味がわかったらしい。
 大抵のやつは首をひねるのに。
 それは俺が言葉少ないからだってことは自覚しているけど、どうやってもそれは直らなかったけれど、何故か奈津だけにはわかるのだ。
 そういう時思う。きっとそれは奈津と俺がなんだらかんだらということではなく、奈津がただ察するくらいに聡明で感受性が強いってことなのだと。
「俺はね、奈津。奈津のためには死ねないよ。でもそれなら奈津と一緒に生きていけるだろ?」
 そっちのほうが奈津喜ぶじゃないかと笑って見せる。
 奈津は顔が赤いまま
「じゃあ、私もあんたのために死んでなんかやらないわよ」
 だから一緒に生きてましょ、とぶすくれた声で言った。
 多分それが一番の幸せだと俺たちは生まれる前から知っている。

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