「なあ、やっぱり遠距離って続かないもんなのか?」
「……なんで俺に聞くんだよ?」
 分かっている。この目の前にいる鈍感男に相談していること自体、俺は切羽詰っている証拠なのだと。
 でもどうしたらいいかなんて分からないんだ。
 どうすればこの不安は取り除かれる?
 苦しくて、どうしようもないこの気持ちを。
 どうすればいい? 彼女の声が遠くなるのを感じたら。
 彼女の声が沈んでいるのに飛んでいけない自分に対するいらつき。
 寂しいと苦笑する彼女を抱きしめられない悲しさ。
 どうすれば解決するのか。
 分かっている。それならきちんと彼女に会いに行くべきだと。
 けれど、そんなことで彼女の邪魔はできない。
 この遠恋に入った理由だってそれで。
 彼女はまだその世界に入ったばかりで。俺は今の仕事が捨てられなくて。
 だからそんな甘えたことはいいたくない。
 もし俺たちのどちらかが恋愛を優先する人間だったらこうはならなかったんだろうけど、俺たちは選んでしまった。
 自分のやりたい仕事のほうを。
 俺は芸術ホールの職員。
 彼女はピアニストの卵。
 音大に入った俺たちは出会い、目の前の朝倉と一緒に卒業した。自分で選んだ道に期待と不安を持って。
 だから彼女はフランスへ留学し、俺は日本に残りそれを応援していることに後悔はない……はずだったのに。
 それがどうしていけないのだろう。自分で決めたことなのに、いまさら後悔しているのか? 俺が?
 俺は自分の運の悪さなら呪ったことがあるが、自分で決めたことで後悔してことなんかなかったのに?
 何でこんなに苦しいんだろう。
 彼女に会えないことは卒業前には分かっていたことで、もう二年近くたつのに。
 いい年こいた大人になってもこんなに悩むだなんて思っていなかった。
 大体この悩みなんて思春期だからこそだと思っていたのに。
「なんかばかみてー!」
「……お前って酒はいるとテンションに波出てくるよな。急に黙ったり、いきなり叫んだり」
 はっとわれに返ってみると朝倉が苦笑していた。
 俺はどうやら、相談しておきながら朝倉をほっといて一人で思考の迷宮に入っていたらしい。
「結局お前はそうやって自分のことは自分で解決しようとしちゃうんだよ。自分じゃ解決できないのに相談しているのに。結局自分で見つけようとしちまうんだから」
 呆れたようにそういってくれる奴に、俺は心の中で白旗を振った。
 俺だったら呆れて相談にのらないけどこいつはまだ聞くつもりらしい。
 いいのかってくらいお人よしで。
 だからこそ俺の友達なんてやってられるかもしれないんだけど、こいつのおおらかさは確かに先生向きだ。
「お前って本当に天職だよな、先生って」
「早く言えって。お前の照れ隠しはいいから」
 そう笑う奴。うーむ、これも見抜かれているか。さすが長年の友情。
 だからこそ相談しようと思ったんだけどな。
「じゃあ、するけど、笑うなよ」
 俺はこいつがそうしないと分かったうえで、そう前置きしたおいて、さっきまで考えていたことを全部ぶちまけた。


「……お前って考えすぎ」
「え、なんで!?」
「つうか、かっこ悪いと思ってるだろ。この年で恋愛で悩むなんて大人気ないとか」
 う、図星です。こいつ、先生とかよりも心理学者とかのほうが向いてんじゃないか?
「だいたいよ、そういうのに年齢なんて関係ないよ。いつだってお前みたいに悩むんだよ。それともなにか? 恋も思春期の独占物か?」
 そう真剣に話すこいつを見て、やっぱり先生が一番いいと確信した。
 こういうまじめな先生は貴重だと思う。
 こういう奴の生徒がうらやましい。きっと相談とかしたら真摯にのってくれるんだろうな。
「……俺の決断って間違ってた? 恋愛より仕事って、だめなのかな」
 よく「どちらが大事なの」と聞くような女がいるが、比べられるものではないと思う。
 父親と母親、どちらが大事かと聞くようなものだ。
 両方そろってないと自分じゃないし、切り離して考えられない大事なもの。
 だけど、選ばなければならないときが時々突然やってくる。
 そして俺たちは仕事を優先した。
 それは恋愛を諦めなきゃならないことなのか。
「たぶん学生のときは恋愛も仕事も両立するべきだと思ったんだ。だけどさ、この年になって結婚とかそういう具体的な話が出てこざる終えなくなって、でもってやっとああ、俺たちって結婚する年なんだって思い知らされて」
 多分、こんなに彼女に会いたいのはお見合いの話が出たからだと思う。
 俺はまだまだ若いって思っているけれど、両親はそろそろ結婚の準備をはじめるべきだと思っている。
 実際兄貴は今の俺の年で結婚している。
 男はまだいいが、女である彼女はまさに今が適齢期。
 そんな時、俺はそばにいれない。そばにいたら何歳で結婚してもいいんだろうけど、そばにいない彼氏よりも一緒にいられる男のほうによろめくものじゃないんだろうか。
 きっと俺はそれに文句が言えない。俺も彼女の仕事の大変さは知っているつもりだから。
 彼女にとってそばに誰かがいるということは安心できるのだろう。
 同じ職場を持っているのなら、結婚する道もあるはずだ。
「間違ってはないと思う。どちらかがついていくことになったらお前たちの場合はそれが重荷になるだろ?」
 朝倉は淡々とそういった。
「だから間違ってはいない。けど、きっと今は悩まなきゃならない時期なんだと思う。俺たちももう結婚が先の話だとごまかせなくなってきたとしだからお前はあせってるんだよ。現実に隣の誰かが結婚したとしてもおかしくなくなってるから」
 優しく優しく、朝倉は諭す。
 淡々としているのに、何故か暖かい。
「お前はいい奴だよ、自分が彼女にほれているのは分かるのに彼女が自分にほれているという自信がもてないんだ。別にあいつだってお前に同情して付き合っているわけじゃないんだから気すんなって」
 あいつだったら好きな奴がいたら別れをお前に告げるさ。
 朝倉の軽い感じで放たれた思い言葉に、俺は苦笑しざる終えない。
 そうだ、彼女はそんなに弱いわけじゃない。
 ちゃんと前を見てすすめる彼女だから、俺のこともちゃんとするのだろう。
 ああ、彼女に会いたい。
 そしてこいつの話をしたい。
 俺たちはこんなに友人に恵まれた。
 そして彼女に言いたい。
 今は無理だけど、いつか結婚しよう。
 そのときになってみなきゃ分からないけど、そのときまで俺たちがまだ想いあっていたのなら。
 左手の薬指に約束をしよう。
 そういって、抱きしめたい。

 ……君に今すぐ会いたい。


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