いい加減にしろと怒鳴ったらこの人はこのばかげた求愛行動をやめてくれるだろうかと真剣に考えた。
「後は「愛の……」」
「もうそろそろ飽きたんだけど、そのラブソングパレード」
 何度も何度も同じような曲を歌われて、げんなりしてしまう。
 どんなにラブソングが世の中に横行しようとも私は歌わんという主義の下、今まで歩んできたというのに。
 その目の前で気持ちよさげに歌う無神経男が一人。
「たしかにねー、アキチンラブソングばっかり歌うよねー」
「まあ、この世の歌の半分はラブソングか! って言うほどラブソングはあるからネタ切れはしないだろうけどさ」
「俺、女が歌うのってみんなラブソングだと思ってたー」
 などと偏見もありな言葉を吐く仲間達を尻目に男は懲りずに次の曲を送っている。
 このやろう、いい加減にしろよ。
「そろそろ違う爽やかな曲でも歌ったら」
 いやみでそういってやると男は不機嫌そうな顔をする。
「お前な、お前のために歌ってやってるんだから我慢しろよ」
 は? 何で私のためなわけ?
 いつも言ってるじゃない。甘ったるい歌なんてだいっ嫌いだって。
 恥ずかしい言葉が並んでいるのに、なぜそれが歌詞になると平気で言えるようになるのかがわからない。
 愛とか恋とか語る系ならまだいい。まだ、理性的なものが残っているような気がする。
 だけどねー、やっぱり聞いていて恥ずかしくなるものも少なくないし。
 彼が歌いたがるのは大抵そういう系。
 つまりだいっ嫌いなラブソングの中でもすっごい嫌いに部類する歌なのだ。
「甘ったるい歌なんて歌ってないでもっと男らしい歌を歌いなさいよ!」
「だからといって、赤崎のようにアニソンメドレーも頭にくるけどねー」
「そうそう、それもうちらが生まれる前に放送されたものばっか」
「あほか! 美しいアニソンはなー」
「こういう奴よりはましよ」
 慰めるかのように、肩をたたかれるけど……どうしてそこまで歌わなきゃならないのかわかんない。
 ちらりと曲を選んでいる男を見ると、すぐに私に気づいてにやりと笑って見せる。
「俺流の愛しかたにけちつけんなよ」
 といわれてもね。
 人の嫌がることをして何が愛し方なんだか。
 大体あんたはといいかけるところでやめた。
 わかってる、そんな理由なんてわかってるから。
「でも、アキチンって結構歌うまいよね」
 と言う仲間の声が聞こえる。
 当たり前じゃない。私は心の奥底でそう叫ぶ。
「そうだねー、そういえばすっごいうまいかも」
「あれ? 知んなかったの? アキって結構本気で歌手目指してたんだぜ?」
 そう、彼はすっごい本気で目指していた。
 声楽の勉強までしていた。
 いつも楽しそうに歌を歌っていた彼。綺麗な声で、歌っていた彼。
 そんな彼に突きつけられたのはけしてそうなれぬという事実だけ。
 最初は喉の少しの痛み。それはかぜなのだと誰もが思った。
 けれど、それは彼にとって夢をつぶされる事実となった。
 だんだん綺麗な声は出なくなっていた。そのときの泣きそうな彼の顔を私はたぶん一生忘れない。
 歌わぬ歌手はいないというのに、彼は歌うことを禁止された。
 これ以上歌ったら、声が出なくなると脅されて。
 医者にとっては忠告でも、私にとっては脅しのように聞こえた。
 彼の夢は潰えた。何かが変わったようには見えないのに。
 喉は回復を見せ、なんともなくなっても彼は歌手にはならなかった。
 それはきっとまたその声を失うことを知っていたからだと思う。そう、彼はもう歌手になるレッスンに耐えられる喉を失ったのだから。
 こうやってカラオケぐらいはできる。けれど、本格的なレッスンはできない。
 なんて皮肉なことだろう。だったなら、歌が歌えなくなったほうがよかったのに。
 それだったら完璧にあきらめられたというのに。
 歌う奴を見て、なんとも思わないでいられるだろうか。
「あ、ちゃんと聞いてろよ」
 歌う前にちゃんと確認するように、私に言う言葉。
 それはあの時と同じで。まだ、彼は夢見た自分を忘れられなくて。それでも、もうあきらめていて。
 ただ、残り香にすがるように彼は歌う。あのときのように万人に向けられたメッセージがこめられた歌ではなく。
 私だけのためだと笑って、甘ったるいラブソングを。
 奴は知っているのだろうか、その違いに泣きたくなっている私を。
 そうだったら、殴ってやろう。

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