片翼の恋


13.
彼女に言われたことがショックだった。
彼女がそう思っているなんて知らなかった。
だって同じだと思っていたから。
そう、同じとは違う意味だなんて思わなかったから。



呆然としたあと、拓海はなんとなく宇美と顔をあわせたくなくて屋上に直行した。
宇美がそういうふうに考えていたなんて思いもしなかった。
確かに宇美の恋は歓迎されるべきものではないだろう。
兄妹間の恋愛なんて誰が祝福してくれるのだろう。
それに受け入れられないということもわかる。
恋愛は自由なんかじゃない。
いろんな制限がつく。
自由だったら、宇美は兄を選ばない。
苦しいとあえぐのは宇美も拓海も同じだ。
けれど、その苦しさの度合いが違う。
宇美のほうが苦しいはずだ。
いつもいつも顔をあわせていて、言葉に出せない想いが積もるのだから。
けれど、本当にそれでいいのだろうか。
「……俺には言い訳に聞こえるよ、相沢……」
思わず呟いてしまった言葉。
拓海には宇美が逃げているようにしか見えない。
想いを伝えられないのは兄妹だからではない。
関係を崩すのが怖いだけ。
たとえ受け入れられても恋人である前に兄妹なのだと思い知るのが怖いだけ。
「……でも、やっぱり似ていると同じじゃ天と地ほどの差があるんだろうな……」
やっぱり自分とは違うのだろうか。拓海はそう思うと憂鬱になった。
どうしてもそうだとは思いたくない。
やっと手に入れた、はじめて自分の心をあらわに出来る人。
この人をなんといったらいいか分からない。
けれど、確かに拓海にとって宇美は大切な人だった。
大切な仲間だった。
それをなくしたくないと思ってなにが悪いのだろう。
彼女は聖母のようだと思った。
自分にとってのマリア。神聖な聖域。
一番神聖な感情をともにできる人。
自分の罪を告白できる人。
だからあきらめてほしくないと思うのは自分の勝手だろうか。
そう思ってしまうことは罪だろうか。


屋上で夢を見た。
ああ、いつもの夢だと拓海は感じた。
いつもの“あのひと”の夢だ。
その人はいつも白いワンピースを着ている。
それが夢のしるし。
拓海の前であの人がこんなカッコウをしたことがない。
ただ見たことがあるのは、いつもの仕事用のスーツだけ。
けれどあの人はすその長い白いワンピースを着て、微笑んでいる。
ああ、なんて綺麗なのだろう。
なんて甘美な夢なのだろう。
拓海にとって、それは覚めたくない夢。
たとえ一時の幻でも、愛しい人にはかわらないから。
幻と知っているから触れないのか、それとも幻でも触れられないのか。
拓海と彼女との間にはいつも距離があった。
拓海が前へ進もうとしても、けして縮まらない距離。
けれど拓海はその夢の中では幸せそうに笑っていられた。
彼女はただ瞳に自分を移してくれていたから。
自分だけを見て微笑んでくれているから。
しかし、その夢はいつもと違った。
拓海の隣に宇美がいた。
宇美は拓海とは違う方向を見ている。
拓海が気になってそちらを見ると一人の男が透明な壁の向こうにいた。
宇美はそれを見て切なそうに手をのばしている。
「……無駄だよ?」
拓海がそういうと、宇美は拓海の顔を見て頷く。
「そう、無駄なの。だけど欲しいの」
「だったらあの壁をどうにかしないと」
「あの壁は壊せないの。誰にも壊せないの。だから、私は手をのばすことしかできないの」
拓海は再び男の顔を見た。
その顔がぼんやりとぼやけていてどういう顔をしているかわからない。
年も、顔つきもどういう格好をしているのかさえわからない。
何とか男だとわかる程度だ。
けれど、拓海はあれが宇美の兄だと直感的に気づいた。
そしてその壁は高く高くそびえたつ。
「……私には無理だわ。あの壁を越えることも、壊すこともできない」
宇美が悲しそうにそういう。
拓海はあきらめようとしている宇美の肩をつかんだ。
「まだあきらめんなよ!どうにかなるかもしれないじゃないか!」
「だったらなんであなたは何もしないの?」
宇美は恨めしそうに拓海を見た。
拓海はその言葉で振り向くと恵那川先生が悲しそうにこっちを見ていることに気づく。
「あなたにはあの壁がないじゃない。なのになんであの人をつかまないの?」
「けど、近づけないんだ」
この距離は先生と生徒の距離。年の距離。
だから近づけない。
狭めることなんて出来はしない。
けれど宇美は不満そうに拓海を見ている。
その姿はだんだん拓海から遠ざかって。
いくら捕まえようとしても、いくら待ってくれと叫んでも届かない。
拓海はそこに縛り付けられたように動けない。
「何を言ってるの、あなたは近づけるじゃない。あなたが近づこうとしないだけじゃない。手をのばさないだけじゃない」
「……何?」
「あなたはただ怖いだけ。拒絶されるのが怖いだけ。あなたは告白することができるのに」
「相沢……」
「私とは違うんだから。似てるだけなんだから」
「相沢!」
「私と一緒にしないでよ。あなたはいえば伝わるんだから」
「待てよ!」
「あなたは私に出来ないことが出来るのに。私に甘えないでよ。私という存在を支えにしないでよ。あなたは出来るはずなんだから」
拓海はその言葉にかっとなった。何かが切れたような気がした。
「……!だったら!だったらお前はどうなんだよ!お前は一人ぼっちで泣くんだろ!?そうしたら一人ぼっちだって泣くんじゃないのか?」
「そうかもしれない。けれどあなたが私のためだというのなら……」
「だから、お前だって兄妹だって忘れていいんだよ!俺があの人に告白するときは!俺が生徒だということを忘れるときだ!」
「……」
「だから逃げるな!同じ想いだっていったじゃないか!今更似ているって言葉に逃げんなよ!」
宇美はただ、悲しげに笑いながら拓海から遠ざかるだけ。
けれどその瞳は救いを求めているように見えた。
宇美が何かをいっている。
けれど、拓海には聞こえない。
それを聞き返そうとする前に、拓海の意識は浮上してしまったから。


拓海が目を覚ますとその隣に宇美が座って、パックのジュースを飲んでいた。
宇美は拓海の視線に気づいたのかストローから口を離して拓海を見た。
「……起きた?」
見たらわかることを宇美はあえて拓海に聞く。
拓海はパシパシと瞬きをしながら宇美をじっと見つめた。
「……さぼりか?」
宇美がサボったことがないことは同じクラスの拓海はよく知っているけれど、そうでなければこんなところにいるわけがない。
宇美は少し笑って
「初サボり」
と拓海の頭を撫でる。
どうやら寝癖がたっているらしく、なんだかむずむずした。
拓海は寝たままでいることでそれを許容した。
「あのさ、朝のことなんだけど」
おもむろに巧みが口を開く。
宇美はなにが言いたいかわかったらしく、少しばつの悪そうな顔をした。
「……あれは私が悪かったわ。すっごく感情的になってた」
「いや、俺も少し悪いところがあったから。でもなんとなく相沢が無理しているように見えたから」
「……無理?」
「ああ、無理。わざと自分の感情を自分に気づかせないようにしている感じ」
「……そうかもね」
宇美は何か反論しようとしたが、何も出なかったらしく肯定した。
拓海は先を続ける。
「俺が言うのも変だけどさ。たまには兄妹ってことを忘れてもいいと思うんだ。俺も時々忘れるよ、生徒だってこと」
「……」
「最後の最後には気づいちゃうんだけど。でも、そうでもしなきゃ一生伝えられない、俺たちは」
「……そうね」
「俺たちがそばにいるのって、支えあえるからだろ?一緒に苦しみを分かち合えるからだろ?そりゃ全てが同じわけでもない。けどまったく違うわけでもないんだ」
「……そうね」
「だから……」
だから何を言いたいのだろう俺は。
拓海はそこで何を言ったらいいか悩んだ。
がんばれよ?
ちがう。
一緒にがんばろう?
ちがう。
俺の言いたいことは……。
そういう事じゃなくて……。



「何かあったら、泣く場所くらい貸すから」



その言葉があまりにも突拍子のないもので。
宇美は思わず笑ってしまった。
「そうね、そういうときがくれば借りるわ」
そう言った海の顔は珍しく曇りのはいにこやかな笑顔。
思わず拓海は赤面する。
きっと、どういう意味かわかったのだろう。
すごく口下手な拓海。
けれど、宇美にはそれがわかった。なにを意味しているのか。
それは出来ないことだと思ったけれど、それでもそうできるのなら。
「ねえ、森下君。今度の日曜日空いてる?」
宇美が拓海にそう聞いた。
拓海が頷くのを見て、宇美がほっとするのがわかる。
「じゃあさ、私に付き合って欲しいの。私のそばにいて欲しいの。その日は……おにいちゃんの出発日だから」
拓海は少し迷った顔をするが、暫くして決心したような顔で頷く。
拓海は決めていたから。
この先、どう動くか全てを見届けようと。
告白してもしなくても、拓海は宇美のそばにいることを望んだから。
後悔などしたくはない。
だから、拓海は宇美の申し出を受けた。
精一杯の誠意を持って。
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