片翼の恋



翌日、拓海は宇美を呼び出した。

「……森下君って古風なんだ。下駄箱に手紙なんて……」
宇美はその手紙を拓海に見せ付けるようにひらひらさせた。
「仕方ないだろ!直接呼び出しなんかしたらそれこそ変だ」
拓海はむきになって反論する。
わざわざ人目のつかない音楽準備室を選んだのもその理由だ。
宇美は拓海にとってあんまり関わりあいになりたくない人物だ。
けれど、それでも聞かなければならない。
「どうして「俺の好きな人のことを知っているんだ」」
途中から宇美と拓海の声が重なった。
それはまるで心が読まれたようで拓海はドキッとする。
おそらく顔も真っ赤になっているだろう。
思わず睨んでしまった。
「やっぱりね」
宇美は予想どおりっていう顔をする。拓海のにらみにも平然としていて。
それが余計に拓海の癇に障った。
「わかってんなら、さっさと話せ。お互い暇じゃないんだろ?」
「ここってどうやって入ったの?」
拓海の質問にも答えず、宇美が周りを見ながら質問する。
拓海はますますむっとしたが、一度気を落ち着かせるために大きく息を吸った。
「鍵はもともと壊れてんだよ。まあ、あんまり知られてないけどな」
「なるほどね」
「で、俺が答えたんだからお前も話せよ」
拓海がイライラを隠しきれていないのがそんなにおかしいのか、宇美はここに来た瞬間から笑みを絶やさない。
それが、拓海のイライラを増長させる。
普段はあまり笑わない宇美だからかもしれないが、馬鹿にされているような気がしてならない。
「そのことは皆知っているのか!?」
思わず怒鳴ってしまうのを拓海は押さえられなかった。
宇美はそれを首を振ることで否定する。
今までの笑みを消して。
そのかわりように拓海はぎょっとする。
その顔は悲しそうでも、悔しそうでもあったから。
「じゃ、じゃあ、何でお前だけ知ってるんだよ」
拓海はなるべく宇美の顔を見ないように顔を背けた。
見てしまったら何かが狂ってしまうと思ったから。
「それはあなたと私が似ているからよ」
その言葉に拓海は思わず宇美の顔を見てしまいしまったと思った。
その顔はひどく辛そうで、顔を背けたいけれど目が逸らせない。
「きっと私もあなたと同じ想いを抱えているから」
宇美の唇が言葉を紡ぐ。
それはまるで決まりきったことを喋っているように滑らかで、それでも、泣きたくなるのはその意味を感覚的にでも理解したからだろうか。
言葉を続けてほしくないと拓海は耳をふさぎたくなる。
宇美の言葉が目を背けてきた現実を思い出させる。
「……相沢……、おまえ、いったい、……誰に惚れてんだ?」
これは聞いてはいけないことだったのかもしれない。
けれど、拓海の口から無意識のうちに出た言葉。
それが宇美の中でどんな意味を成すのか知らない。
その言葉を聞いた瞬間、宇美の顔が強張るのを拓海は見逃してはしなかった。
でも、どんな気持ちで拓海の呼びつけに応じたのかを拓海は知りたかった。
拓海の目には宇美が拓海よりも辛い恋をしているように見えたから。
「……そうね、こういうからには言わなきゃフェアじゃないもの」
「別に言いたくなければ言わなくていいんだけど、でも俺は聞きたい。俺とどこが似ているのか」
拓海の答えに宇美は少し笑った。
本当に少しだったけれど、それが少し眩しく見えたのは拓海の気のせいだろうか。
「そうね、森下君ならそういうと思った。まあ、ありそうな話よ。あなたは先生が好きなんでしょ?」
それに拓海は頷いた。
もう、宇美に嘘をつく必要性がない。
宇美は窓を開けて窓枠に座り、外を眺める。
拓海を見ないように、空を眺めながら宇美の唇は動いた。

「……私は兄が好きなの」

それはもう少し外が騒がしかったらそれにかき消されるぐらいに小さな声。
その体は、少し震えていた。
拓海は一瞬目を見開いたが、どういっていいか分からず
「ふ〜ん」
と返事しただけだった。
しかしその答えに宇美が少しだけ安心しているように拓海には見えた。
「最初はただ、兄妹愛なのだと思ってたの。でも、違うと思ったのは結構早かったと思うわ」
宇美は空を見ながら淡々と話す。
拓海はそれを見守るしかできなかった。
「それを自覚したとき、自分が汚く思えたわ。よりによって血を分けた兄妹よ?どうしてって思ってた」
「……」
そういう宇美は今にもそこから飛び降りそうな感じがした。
拓海は思わず宇美の制服を握る。
それが最善の策であるかのように縋りついた。
宇美は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにあの微笑んだ顔に戻る。
それは兄のことを告白して、初めて巧みのほうを見た瞬間だった。
「大丈夫、私は飛び降りようとは思わないわ」
小さい子に諭すように宇美は静かなゆっくりとした声で言う。
そういわれて、拓海は自分のとった行動の異常さに気づいた。
その手を急いで離すと、宇美は窓枠から降りた。
「……何で俺にそんな事話すんだ?」
とってしまった行動を恥ながらも、拓海は話を進めるために口を開いた。
宇美は困ったように苦笑しながら、
「だって、私に似ていたからだわ」
とさっきと同じ答えを返す。
「似ていたから、あなたにしか話せないと思ったの。あなたにしか打ち明けられないと思ったの。たった一人で抱えていくにはこの想いは、膨らみすぎたから」
その言葉は、拓海には泣いているように思えてならなかった。
そして、同時に自分の想い人の顔が浮かぶ。
最初の出会いは偶然だった。
音楽になんて興味がなかった。ただ、楽そうだったら選んだだけだった。
けれど、彼女は本当に音楽がすきなんだと思えた。
歌うときの顔が、目に焼きついてはなれない。
彼女の歌声が、耳をくすぐるたびに胸の鼓動が高鳴った。
いつの間にか、彼女を目で追っていた。
それは憧れなのだと思っていた。年上の女性への憧れなのだと。
それが、憧れでなくなったのはいつだっただろう。
その想いは友達にも打ち明けられなかった。
ただ、貪欲に彼女を求める強欲な心。
彼女を見かけるたび、彼女の声を聞くたび勝手に高まる胸の鼓動。
その想いはだんだん肥大していき、その捌け口を求めていた。
だから始めた遊びの関係。
お互いが遊びと承知の上で関係を持った。そして消えるのだと思っていた。この想いは跡形もなく消えるのだと。
所詮、思春期の暴走に他ならないのだと思っていた。
けれど、その想いは高まるばかりで限界を知らずに大きくなる。
いつしか遊びが苦痛になった。
彼女の顔を見るたび泣きたくなるほど切なくなる。
それでも、見つめることを止めさせないこの心。
そんな思いを宇美も抱えているのだろうか。
高校生である、自分達には重すぎるこの想い。
「……いいんじゃねーの?」
ふと口に出た言葉。
それは拓海本人も驚かせた。
宇美も意味も図りかねたらしく、不思議そうに拓海を見ている。
「……なにがいいの?」
そう切り替えされて、拓海自身、なにがいいのかわからない。けれど、口にしてみてはじめて分かる自分の気持ち。
「俺たちお互いに甘えてもいいんじゃねーの?」
そう、誰かに聞いてほしかった。
「こんなことお互い以外に言える奴、いねーだろ」
お互い傷の舐めあいでもいいから。
「だから、つぶれないようにしあうしかねーんじゃねーの?」
誰かに支えてほしい。そばにいてほしい。
そう思わずにはいられない。
宇美は驚いたような顔をして、拓海を凝視していた。
そして、いきなり顔を手で覆った。
手の隙間から見える瞳は、戸惑いを隠しきれていない。
「……ちょっと、そんなに見ないで。多分、顔、赤いわ」
そう呟くように言う宇美を見て、拓海は噴出すのをこらえられない。
こんな風に戸惑っている宇美を拓海は見たことがなかった。
それだけに、今の拓海の言葉が宇美にとってどのくらいの衝撃だったかわかる。
笑い続ける拓海を宇美は恥ずかしそうに睨んで、
「あなたこそそんなにくさいセリフがいえるなんて思わなかったわ」
と負け惜しみにしか聞こえない一言。
拓海はそれを受け流し、宇美の頭に手をやった。
「まあ、お互い、手探り状態なんだからゆっくりやればいいじゃねーの?」
「手探り……か」
「そう、手探り。手探り状態だから誰かの手が必要なんだよ」
「……森下君の言うことってやっぱりくさい」
「ほっとけ」
そう言い合いながら、お互いが泣きそうになっていることを拓海たちは無視していた。

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