片翼の恋


14.
従姉妹のお姉ちゃん。
その人が宇美にとって一番尊敬できる人だった。
昔はよく「お姉ちゃん」となついていた。
けれど、永輝のことをその人が好きなのだと気づいたときその人は敵になった。
そのときに宇美は自分の想いを自覚した。
お願いだから誰も取らないで。
最初は妹の独占欲だと思っていたのに。
それはもっと激しくどろどろしたものだった。
宇美はそれ以来ずっとその想いを隠したまま生きている。


拓海に言われたことを頭の中でリフレーンする。
拓海は贔屓目ではなく、いい男だと思う。
普通なら女の子だって選びたいほうだいだろう。
それなのにかなう希望の少ない恋に身をゆだねた。
いったいいつ自覚したのだろう。
恵那川先生に恋をしていると。
その自覚したとき拓海はどう思ったのだろう。
そればかりは拓海でないとわからない。
しかし、何であんなにまっすぐこの恋を見られるのだろう。
かなうはずのないこの恋を。
まっすぐと力強く見つめられるのだろう。
自分のように禁忌がないからか。
いや、それとは違う気がする。
ただ、あの瞳には力があって。
見ているだけなのがおかしいくらいに。
どうしてみているだけなのだろう。
たとえ、振られても拓海ならあきらめそうもないのに。
(そういえば、付き合ってる人がいるって噂聞いたな)
宇美は一度その噂を聞いたことがある。
拓海もそれを聞いたのだろうか。
でも、それも違う気がした。
なぜなのだろう。
もしかしたら彼にとって彼女は届かない星のような存在なのかもしれない。
それがぴったり合うような気がした。
けれど、拓海は言った。
「自分が生徒ということを忘れたとき、告白するのだ」と。
そして「兄妹である事を忘れてもいいのだ」と。
その言葉はきっと忘れない。
けれどそんな日が来ない。
そんな勇気、自分にはない。
宇美はそう思いながら、眠りについた。
壁の向こうに永輝がいる最後の夜。
明日で全ては終わる。
たまには永輝も帰ってくるだろう。
けれど、きっとそういう意味ではなくて……。
眠りに落ちる前、その答えは出ていた。


「宇美、俺もお前が好きだよ」
どこからか聞こえる声。
宇美はその声の持ち主を必死で探す。
それは忘れられない声。
その声は永輝のものだった。
「お兄ちゃん……」
「宇美が好きだよ」
そう言われて差し伸べられる手をどうして振り払うことができるのだろう。
そろそろとその手に自分のを絡める。
その手はひどく暖かかった。
永輝はそのまま宇美を抱きしめる。
永輝の胸の鼓動まで鮮明に聞こえる。
それはまるで宇美の望んだ世界。
自分の心臓の鼓動が高まるのがわかる。
宇美は顔を上げた。
その返事をするために。
自分も好きだと告白するために。
しかし、宇美は永輝の後ろを見て目を大きく見開いた。
そこには母や、父、そしていとこ。宇美と永輝が関わってきた人たち。

「その恋は認めない」
母がそういって立ち去る。

「その恋は、祝福されない」
父はそういって母の後を行く。

「何であなたは認めてしまったの?」
いとこはそういってやっぱりいってしまう。

そしてそこには誰もいなくなった。
それがこの恋を手に入れた代償。
「あなたがいればなにもいらない」
いったい誰がそれに耐えられるだろう。
宇美には耐えられない。
たとえ、それが何よりも大切なものでも。
自分だけならその腕の中に居続けられたのだろう。
けれど相手の全てを捨てさせてまで自分は平気だろうか。
宇美はその問いに首を振らざるおえない。
平気なんかじゃない。
嫌だ。永輝に家族も、将来も捨てさせてまで。
あの瞳が悲しみを映すところなんて見たくないから。
そして再び永輝を見ると永輝は困ったような顔をして宇美を見る。
その瞳は永輝がドイツ行きを告白したときとはまったく違う目。



ああ、だめだったんだ……。



宇美はそこで目を覚ました。
この想いは成就させても実らない。
そう実感した。
それが何より辛かった。
悔しかった。
何もかも捨てられない自分に嫌悪した。
けれどそれが現実。
宇美はたった一人でベットの中で涙を流した。
最後の日にこの想いのもろさを知ってしまった。



「よう」
空港で拓海は片手を挙げて挨拶をする。
今日が最後の日。
宇美にとって思いに決着をつける日。
何かを決心しているような宇美の顔。
「きてくれてありがとう、森下君」
そういうと拓海の顔が少し悲しげになる。
「お前……なんでそんな顔してんだよ」
どうやら拓海には今日の答えがわかったらしくその顔はゆがんだままだ。
宇美は苦笑して、拓海の手を握った。
「わかってるよ。これが最後の私の意地だから」
最後の意地。
自分でその言葉をかみ締める。
「その人、前にもうちに来てたよな?宇美の友達か?もしかして彼氏とかか?」
頭の上に手をのせられて、宇美が振り向くとそこには全ての旅支度が整っている永輝の姿があった。
「いいえ、俺は……たまたま会っただけです。相沢さんとはクラスメイトです」
拓海は首を振ってそう答える。
宇美はそのやり取りがじれったくなったのか
「お兄ちゃん、いい加減にしないと飛行機に遅れるよ」
と時計を見ながらいう。
永輝も時計を見て余裕の笑みで答える。
「まだ大丈夫だよ。またいとしの妹にも挨拶が済んでないしな」
「……お兄ちゃん」
そう茶化す永輝に宇美は呆れたふりをする。
そうでないと想いがあふれてしまうから。
「じゃあな、宇美。お父さんとお母さんにもよろしく」
「……お兄ちゃん、あのね」
そういいながらゲートに向かおうとしている永輝を宇美は引き止めた。
そして拓海のほうを振り返る。
(見てて、森下君。これが私の最後の意地)



「お兄ちゃんは……どこにいても私の自慢のお兄ちゃんだよね?」



いった。
これが宇美の恋の終止符だ。
永輝は意外そうな顔をしたが、次の瞬間には笑顔で答えた。
「ああ、お前と俺はどこにいても兄妹だよ」
その答えが宇美の恋の答え。
宇美は涙をこらえてにっこりと笑う。
「いってらっしゃい、お兄ちゃん」
その声に少しの落胆も見せないように、少しも悲しみを見せないように宇美は言う。
「ああ、いってきます」
そんな宇美の気持ちも知らずに永輝はゲートをくぐった。
「おい、いいのかよ!」
拓海はたまらずといったふうに宇美に詰め寄った。
宇美は少し困ったような顔をして
「だってこうするしかないと思ったの」
という。
こうするしかなかった。自分の気持ちを伝えずにこの想いを小さくするには。
でもまだ宇美には救いがある。
「ねえ、あなたはこうならないでね」
宇美はまっすぐと拓海を見て言う。
「お願いだから私のようにならないで。あなたはちゃんと伝えてよ。そのときが私の恋を消すときなんだから」
そう決めていた。
自分の想いは果てしなく膨らんでいて自分では消せない。
だけど、拓海には消せる気がした。
成就してもしなくてもそのときが宇美の想いが消えるとき。
あなたと私の想いは同じなら、同じじゃなくなればいい。
宇美は涙を流さずに言う。
「あなたは私のできないことをしてよ。私には想いを伝えることができないのだから。あなただけはその想いを消そうとしないで」
それはわがままだったのかもしれない。
でもどんな形でも拓海にその想いを消してほしくなかった。
どんな形になっても覚えておいてほしかった。
拓海は先ほど永輝がやったように宇美の頭に手をやった。
「お前も消すなよ。きっとその想いは形は変わるけど、消せはしないんだから。一緒に抱えて生きていくって約束しろ」
その言葉に宇美は泣きたいのを我慢した。

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