片翼の恋



宇美が目を覚ますと自分のベットの上に寝ていた。
いったいいつベットの中に入ったのだろう。
ぼやける頭で昨日のことを思い出そうとする。
しかし、ベットに入った覚えはない。
(……たしか、森下君が電話をくれて……、……なに話してたんだっけ?)
そこからあまり記憶がない。
それにだるい。ベットから起きるのも億劫なほどだるい。
頭の芯がぼやける感じがする。
それに暑いのだけれど、寒気がする。
これは完璧に熱がでている。
それも相当高そうだ。

「宇美、大丈夫か?」

ノックが聞こえたと思ったら、そう心配そうに聞く永輝の声が聞こえた。
宇美は少し戸惑いながらも
「うん、大丈夫」
と答え返した。
永輝がおぼんの上にお粥と薬を持って、入ってくる。
宇美は不思議そうにお粥と永輝を交互に見つめた。
母も父も台所に立ったところなど見たことがなかった。
永輝も最初の頃は台所に立っている姿があったが、自分に向いていないことを知ると全て宇美に任せた。
というか、無理やり宇美が台所から追い出した。
大体、幼いときから台所に立っていたのは宇美。
となるとこれは誰が作ったのだろう。
永輝は宇美がなにを考えているかわかると、照れたように笑った。
「ああ、これは美加子ちゃんが作ってくれたんだよ。俺が作るっていったんだけれど、な」
宇美はさっきまでいたはずのいとこの顔を思い浮かべる。
確かに永輝が作るよりは現実味がある。
永輝は慣れない手つきで、おかゆを小さなお椀によそった。
「クスリは二錠だからな。調子が良くなって、おかゆを食べたら飲め。それと今日は学校を休め。いいな?」
「今日?」
「ああ、昨日倒れてからお前は目を覚まさなかったんだ。もし今日も目を覚まさなければ救急車を呼ぼうとしてたんだけどな」
宇美は永輝の少し大げさな言いように少し呆れながらも、嬉しそうに笑った。
永輝の瞳に宇美一人が映っている。
それが嬉しくなくてなんなんだろう。
永輝はただ、妹を心配しているだけでも宇美は嬉しかった。
「ねえ、お兄ちゃん、大学は?」
宇美は時計の針が差している数字を見て慌ててそう言った。
いつもなら永輝が大学にいる時間のはずだ。
それなのにまだなぜいるのだろう。
永輝は少し意外そうな顔をしたが、一瞬後には呆れたような顔をする。
「あのな、熱があるおまえひとりをおいていけるか。俺はまだ単位に響く授業がないから大丈夫だ」
そう呆れたように笑いながら、宇美の額にヒエピタンを張る。
宇美はその言葉で顔に血が上っていくのがわかった。
永輝には熱のせいだと思われるだろうが、それだけではない顔の熱さを宇美にもたらす。
たた一言だけでこんなにも心が揺れる。
熱がなければ永輝にもばれているに違いない。
(熱があって……良かった……)

「じゃあ、何かあったらすぐ呼べよ。俺は隣の部屋にいるから」
永輝が部屋を出て行くと、急に寂しくなる。
熱がでていると余計に寂しがり屋になるということは本当だったのだろうか。
時計を見るともうすぐ10時になりそうだ。
「……今日はおとなしく寝てよう」
宇美は再び布団の中にもぐり、暫くすると規則正しい呼吸が聞こえてきた。


「おい、宇美、起きてるか?」
宇美がまどろんでいると、ノックの音とともに永輝の声が聞こえた。
宇美は少しかすれた声で返事をすると、「見舞いの人だ」と少し憮然とした声がする。
(見舞い?)
宇美が学校を休んだからといって、お見舞いに来る人など見当がつかない。
一瞬岩本の顔が浮かんだが、それはないだろうと頭を振る。
岩本だって小百合に誤解される馬鹿な真似はしないだろう。
それに永輝の態度が気になった。
永輝が客をあんなふうに扱うことなんてない。
むしろ生き生きとして、懸命にもてなすタイプだ。
いったい誰が来たんだろう。
「どうぞ」といって、ドアを開ける。
そこにいたのは……



「森下君?」



「よう」

拓海がばつが悪いように、片手を挙げて挨拶をする。
宇美はぼんやりと拓海の顔を眺めた。
「……おい、大丈夫か」
あまりに長いこと、宇美が拓海を見つめていたので永輝が心配になって声をかける。
宇美はだるい体をまたベットのほうへ歩かせる。
どうやら少しは熱が下がっているらしく今朝よりはまだ調子がいいようだ。
そして、手招きをして拓海を部屋の中へと招き入れる。
永輝は少々渋い顔をしていたが、拓海が部屋の中に入ったとたんその場から去っていく。
どうやら、拓海相手ではお茶も出したくないらしい。
いったいなにがあったのかと拓海のほうを見ると拓海は少し困ったような顔をする。
「いや、昨日俺と電話してた最中に倒れただろ?気になってきてみれば、お前の兄貴にお前の彼氏だと勘違いされた。ただの同級生だって言ったが、あれは信じてないな」
拓海はそういいながら、さっき入ってきたドアを見た。
宇美もそれを聞いてクスクス笑う。
確かにさっきの態度は拓海の言うことなど信じてはいないだろう。
「……あのさ、昨日の話覚えているか?」
拓海は言いにくそうに宇美にそう聞いた。
宇美は少し考えて、頷く。
ぼんやりとしてだが覚えている。
熱のせいで理性をはずしていたかと思うほど感情が表に出てしまった。
あんな醜態を見せるつもりはなかったのに。
「それでさ、お前いったいどっから男やら動物やらでてきたんだ?なんか、お前の兄貴がゲテモノ趣味みたいに聞こえたぞ」
拓海は少しおちゃらけながらそういう。
それが拓海の精一杯の優しさなんだろう。
宇美はベットの横から、一冊の本を取り出した。
『ギリシャ神話』
その本の表紙には金色の文字でそう書かれている。
「その神話ってね、神様同士の恋愛は何でもありなの。親と子で子供生んだり、兄弟でも大丈夫だし。それに同性愛とか獣に恋してしまう人もいるの。そんな世界に生まれてたなら、私もこんなに悩まなかったのかなって」
そういいながら、宇美はその本を大事そうに胸に抱く。
それがまるで、宝物のように。
(……違うわ、きっと私にとってこの本は救いなんだ)
この本の中だけは、宇美の想いを否定しない。
それがたとえかりそめでも、宇美にとっては……。
拓海はそんな宇美を見て切なげに眉を寄せた。
「それでも俺は嫉妬すると思う」
拓海は宇美の顔を見てそう言った。
それはとても切なげで、真剣で。
「たとえ先生の相手が女だろうが、人外の生物だろうが俺はそれに嫉妬する。……俺だけをみてほしいって思うだろうな。だから先生の一番には誰にだって嫉妬するぜ。たとえばお前が相手だったとしても、お前を殺してやりたいくらいには思うんだと思う。それくらい厄介なんだよ、俺たちの抱えている感情は」
確かに嫉妬するんだろうな。
宇美は漠然的にそう感じた。
きっとそれがなにであっても、宇美は嫉妬するのだろう。
そして、けしてかなわなかったことを実感するのだ。
「相沢って結構部屋綺麗にしてんだな。まあ、イメージ通りってつーかなんつーか」
話を変えるようとしているかのように拓海は周りを見渡してからかうようにして言う。
「まあ、物が少ないから」
宇美もなにも考えずにそう言った。
今だけは忘れたい。この禁忌の想いを。忘れたフリでもいいから。
「そういえばそうだな。前、恵美子の部屋に行ったときはこれで人が住めるのかってくらいに汚かったけどな」
「やっぱり仲がいいのね。笠原さんと」
「……あのな……」
宇美は何も言わずにクスクスと笑う。
拓海は憮然としていたが、宇美があまりにも笑うのでつられてぷっと吹き出す。
そして一通り笑いとおすと宇美は羨ましそうに拓海を見た。
「いいな、そういう幼馴染がいて。私もほしかったわ」
私には親しい人がいないからと、続けると拓海は眉をひそめた。
「あのな、俺たちって親しくないのかよ。それに岩本だって親しいだろ?お前は一人なんかじゃねーよ」
「……森下君、相変わらずくさい」
宇美は思わずそう言った。
そう、ごまかさなければ照れそうで。
拓海は少しめんをくらった顔をしたが、その次の瞬間ぷいっと顔をそむけた。
よく見ると、耳まで真っ赤だ。
「元気になったみたいだな」
拓海は顔を背けたまま、ボソッとそういう。
それが嫌味なんだかわからないが、確かに調子は戻ってきたようなきがする。
「そうだね、森下君がお見舞いに来てくれたおかげかも」
「……俺、そろそろ帰るわ」
拓海はそういって、今まで床に置いておいた鞄を肩にかける。
宇美が時計を見るとだいぶ遅くまで話していたらしく、相当時間がたっていた。
「うん、今日はありがとう」
宇美が素直にお礼を言うと拓海は意外そうな顔をして、少し笑った。
「ああ、またあした」
「うん、またあした」
そして、拓海のでてったあとドアはパタンと情けない音をたてた。

「宇美、まだ起きてるか?」
永輝が宇美の部屋の前でたっている気配がする。
宇美はドアを開けることで、その返事をした。
「どうしたの?おにいちゃん」
宇美は永輝の顔を見て、そう聞く。
永輝の顔は、なにかいいたそうな辛そうな顔をしている。
永輝は少し言いよどんだあと、
「リビングで話そう」
といいそのままリビングに向かっていく。
宇美は少し不審に思いながらもそれについていく。
そして、リビングにつくと永輝はソファーに座るように宇美に指示した。
宇美は戸惑いながらもソファーに座る
それを見守ったあと永輝も座った。
「もう平気か?」
永輝が心配そうにそういう。
「うん、明日には学校に行けそう」
宇美はそういいながらも、永輝の視線に不安を感じていた。
永輝は何かを言おうとしている。
重大な何かを。
宇美は逃げ出したくなる心を懸命に抑えた。
聞かなければならない。でも、なんとなく聞きたくない。
永輝は少し思案したあと、ゆっくりと口を開く。
その唇から出た言葉は宇美に多大なショックを与えた。


「俺、ドイツに行こうと思ってる」

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