いつまでも一緒だとは限らない。
 でも、それでも悲しかったんだ。
 けしてこれは恋愛じゃない。
 でも、確かな愛はそこにあった。


比翼になれなかったものたちへ〜seid MANATO〜

「いつまでも一緒だと思ってたの」
 瀬李香はポツリとそうもらした。
 ただ、平坦に、けれど印象にこるように。
 麻奈都はただそれを聞いているだけしかできなかった。
 電話というのは便利そうで、全然便利じゃない。
 一緒だったらきっと肩でも抱けたことだろう。
 けれど、近くに声が聞こえる今、それができなくもどかしい。
 地球の裏側にいる彼女に麻奈都は何もできないでいた。
 昔は一緒だったのだけれど、ずっと一緒にいられないと気づいた日瀬李香と麻奈都はだんだん距離を置き始めていたのかもしれない。


 生まれる前から一緒だった麻奈都と瀬李香。
 どちらが上という意識がまったくない、男女の双子。
 麻奈都は母親似で、瀬李香は父親にだったせいかまったく似ていなかった双子だけれど自分たちはお互いを半身だと知っていたかのようにいつも一緒にいた。
 一卵性のようにまったく同じDNAを持っているわけじゃなくても、半身なのだと思っていたのだ。
 小さいときは死ぬときまで一緒だとただ純粋に考えていた。
 いや、考えてすらいなかったのかもしれない。それはこの世の常識のように感じていたのだ。
 けして考えなかった。
 どちらかが離れていくとか、二人の間に何かが入り込むとか。
 それはありえないことだったのだ、幼い二人にとって。
 生まれてくるとき一緒だったのだから死ぬときも一緒だろうと信じて疑いを持たなかった。
 けれど、成長するにしたがって知ることになる。
 麻奈都と瀬李香は違う人間なのだと。
 二人は異性であり、違う友達を持ち、違う趣味を持ち、違う才能を持ち、そして違う人生を送るのだと。
 けしてずっと一緒にいられるわけではないのだと、別々の人生を後に歩むことになるのだと知った麻奈都と瀬李香は部屋を別々にした。
 違う友達を持ち、麻奈都はサッカーに、瀬李香は吹奏楽を部活として選んだ。
 お互い必死だったのかもしれない。
 違うのならば、それを自覚しなければならないという脅迫感に駆られていたのかもしれない。
 けれど、それは結局途中半端な自覚だったのかもしれない。
 どこかで、それでも自分たちはつながっている同一なものだと信じていたかったのかもしれない。
 少なくとも麻奈都はあの時そう思ったのだ。
 決定的な違いが来たとき、瀬李香が泣いたあの時から。


 小学5年生のある夜、泣きながら瀬李香は麻奈都の部屋のドアをたたいた。
 お互いノックの習慣がなかったからドアの前に立っているのが母親ではなく瀬李香だったとき、麻奈都はいやな予感が心の中に生まれた。
 麻奈都は瀬李香を招き入れようとするが、瀬李香は泣いたまま動かない。
 どうしたのだろうとふと瀬李香の指を見ると、白く細い指に何かが付着していることに気づいた。
 それは茶色くなっていたが間違いなく瀬李香の血だった。
「どうしたんだ、それ? どこか怪我した?」
 麻奈都はできるだけ瀬李香が落ち着けるように優しい声を出したつもりだ。
 けれど、瀬李香はますます泣いた。
 そしてか細い声でようやく聞こえるような音量で答える。
「……私、初経が来たみたいなの……」
 麻奈都は正直「しょけい」という字を頭の中で変換することができなかった。
 けれど、ただ事ではないと幼心に思い、とりあえず慰めるように瀬李香の頭をなでる。
 そしていろいろ考えた末、保健の授業でそういうことをやったことを思い出す。
 それは本当に触り程度だったし、それよりも男の麻奈都にとって精通とかそっちのほうがインパクトが強くてすぐには思い出せなかった。
「とりあえず、お母さんに言う?」
 男であり、子供である麻奈都には正直手に負えない。
 大体、どこから血が出てるかもどうやってその血を止めるのかさえ知らないのだ。
 瀬李香は少し考えて、こくりとうなずいた。
 麻奈都はそれを見て、瀬李香がせめて少しでも安心するように手を優しく握る。  瀬李香はその手を弱弱しく握った。
 そして二人して、母親の寝室へ向かった。
 母親はさすがに動揺はしなくて、麻奈都を部屋に戻るように言うと瀬李香の背中をなで始める。
 麻奈都は少々理不尽なような気がしたが、麻奈都がそこにいてできることなんて何もないのだ自分に言い聞かせ部屋に戻った。
 そして再び寝ようとしたが、麻奈都の脳裏に瀬李香の涙がよみがえってきて何故か眠れなかった。
 そう、後々思えばきっとこのとき麻奈都と瀬李香は異性という名の別の生物だと認識したのだろう。
 だからこそ眠れなかったのだ。
 眠って朝起きたらきっと麻奈都と瀬李香の間には溝が広がっていることを感じ取っていたから。
 けれど、そのときはただ瀬李香の涙だけが印象に残っているだけだと思っていた。


 その夜、落ち着いたのか涙を流した後が乾いた顔で瀬李香が照れ笑いしながら麻奈都の布団にもぐりこんできた。
 別に変わったことではなかった。
 部屋が離れてからもひどく感情が揺さぶられることがあったら、二人して眠っていた。
 あまりにお互いあいまいな時期で、親もそれを黙認していたから別に変わっているとは思えなかった。
 麻奈都はうつらうつらしていたのか、眠気眼で瀬李香を布団の中に招き入れた。
「落ち着いた?」
 そう聞く麻奈都に、瀬李香は黙ってうなずいた。
 その答えに満足したのか、麻奈都の眠気はさらに広がってくる。
「ねえ、私ね大人の女になったんだって。体がその準備を始めたからだってお母さん言ってた」
「準備ってことは、瀬李香はまだ大人じゃないんだろ?」
「ううん、大人じゃないけど大人なんだって」
 瀬李香はただ静かな声でそういった。
 それが麻奈都にとって、今までの瀬李香とは違うように思えた。
「……私、女の子になっちゃったんだね」
 今までも女だったじゃないか、というのを麻奈都はぐっとこらえた。
 きっと男の麻奈都にはわからないこともあるのだろう。
 妊娠というのは女の人にとって大変なことなのだと母が言っていたことを思い出した。
 瀬李香もその用意ができたのだ。子供が作れる用意が。
「僕だってきっともうすぐ男になるんだよ」
 男である麻奈都にはきっと初潮などという明確な印が出るわけではないだろう。
 でも、変わらないままではいないだろう。
 きっと声変わりをしたり、のど仏が出てきたりするはずだ。
 今はその前兆さえ見えないけれど、いつかきっと子供から大人の男へと変化する日が来る。
 今日、瀬李香が大人の女へ変化したように。
「こうやって、違っていくんだね」
 悲しげではなかった。でも寂しげに瀬李香はそう呟いた。
 麻奈都が瀬李香と違っていることに気づいているように、瀬李香も麻奈都と瀬李香は違うものだと気づいているのだろう。
 多分、変化の起きなかった麻奈都以上に。
「そうだね、ずっと一緒にいられるわけじゃないから」
 一卵性双生児だったらよかったのかもしれない。それだったら繋がりが強固に見えたのかもしれない。片割れだといえたかもしれない。
 けれど、麻奈都と瀬李香はけして普通の兄弟以上の絆はないから。
 ただ同じときに母のお腹に出来ただけの兄弟でしかないから。
 二卵性双生児なんて普通の兄弟と何一つ変わることがないんだから。
 それがひどく寂しかった。
 顔の似ていない、片割れではない双子の片方がひどく恋しかった。
 けれど、けしてひとつにはなれないことを感じ取っていた。
 だからこそ離れなければならないことに気づいていた。
 そうしなければ、必ずどちらもお互いの存在に依存してしまいそうなことに、本能的に気づいていたから。
 ずっと何もかも分け合った兄弟。
 けれど、それももう終わりを告げなければいけないのかもしれないと思っていた。
 そしてそれを誰かに証明するかのように、もう二人で寝ることはなくなった。
 そして静かに道は別れていった。他の兄弟がそうなるように。


 双子だと意識することもなくなりお互いに大切な人が出来たとき、麻奈都は家を出て瀬李香は留学し、そのままそちらに移り住んだ。
 多分瀬李香は帰ってこないだろうと麻奈都は留学の話を聞いたとき、思った。
 瀬李香の好きな人がそちらの研究室に移り、きっとついていくために留学するのだろうと察しがついていた。
 それに対しては何の不満もないし、両親もうすうす気がついているのだろう。
 麻奈都も瀬李香も別に付き合っていることを隠し立てしなかったのだから。
 会わせたことはないけれど、たぶん自分たちがそういう年になったらそういう話が出るかもしれない。
 それに瀬李香のほうはもうほとんど婚約を済ませたも同然だった。
 麻奈都のほうはというと、まだ彼女の両親とも面識がないし、結婚という文字も話題に上ったことがない。
 まだ、学生の軽い恋愛の程度なのだろうと思っている。
 けれど瀬李香は相手は年上だし話しに上るのは早いだろう。
 それについていくとなるともちろん頭に浮かぶことでもある。
 その夜、久しぶりに二人で飲みに行った。
「結婚するの?」
 酔った勢いからか、麻奈都の口からすんなりとその言葉が出た。
 麻奈都は別に探りを入れるつもりはなかった。ただ暗黙の了解なのだと思っていたし、それは麻奈都が口出しできる問題じゃないと思ったから。
 だけれど多分ひどく酔っていたのだ。口に出すつもりがなかった言葉が出てくる。
「結婚するなら母さんたちも反対するわけではないだろうし、その方向で進めれば? 向こうにいって式を挙げるにしてもこっちで籍に入れておいたほうが楽だと思うよ?」
 詳しいことなんて知らなかったが、少なくとも言葉の違う向こうよりはこっちのほうが楽だろうと安直に考えた答えだった。
 瀬李香はちょっと眉にしわを寄せていった。
「そういう問題でもないでしょ。一生にかかわる問題だもの、もう少し真剣に考えるわ」
 そういって、瀬李香はわざとらしく話題をそらした。
 麻奈都も追求するつもりもないからそれにのっかった。
 気づくべきだったのかもしれない、瀬李香が何も言おうとしない理由に。
 ずっとそばにいる麻奈都だからこそ気づけたのかもしれないのに。
 けれど、それに気づいたのはことが起きた後で、そのときの麻奈都は瀬李香がSOSを発していたことに微塵も気がつかなかった。
 そして二人は別れていった。
 お互いの中に潜む孤独への恐怖と互いに対する執着心を見ぬふりをしながら。
 のちに麻奈都は思う。
 あの時、あの恐怖と執着心を何とかしていれば別の道が開けたのではないかと。
 少なくとも瀬李香はあんなに怖がらなくてもよかったんじゃないかと。
 けれど、それはのちの話で二人の道はその後別れ、そして瀬李香から電話が来るまで麻奈都と瀬李香はずっと会わなかった。


 それは麻奈都が付き合っている彼女と結婚式の予約をしてきた日の晩だった。
 静かに家の電話がなる。
 いつもはうるさく感じる電話の音がひどく静かに聞こえる。そこにあるのは当たり前であり、けれどひどく懐かしさを誘う音。
 まるで瀬李香のような音。
 一緒にいたはずなのに完全にひとつになれない半身のことを思い出した。
 きっと懐かしさを感じたのは大抵かかってくるのが携帯にだからだと冷静な部分は告げているが、麻奈都の一番奥深いところはその電話の主が瀬李香からだからだと告げていた。
 普段はならない電話に恐る恐る出る自分。
 滑稽だと思いながらも、麻奈都はいやな予感が拭えない。
 あの時と似ている感覚。
 瀬李香が女性になった日と同じような。
 けして失わないと信じていた半身から無理やり引き剥がされたときのような。
 当時の麻奈都が現在の麻奈都に告げている。
 これはきっと瀬李香からのSOSだと。
 半身の自分ならわかるだろうと。
 小さい麻奈都が叫んでる。
 その声を無視してそっと受話器を耳に当てた。
 勧誘かなんかだと自分に言い聞かせる。
「もしもし」
 ああ、わからなければよかったのに。
「……麻奈都?」
 その声はたしかに瀬李香だった。
 4年ぶりに聞く瀬李香の声だ。沈んでいるような気がするけど間違いない。
「どうしたの?」
 あのときのように、麻奈都は瀬李香が落ち着けるように優しい声を出した。
 そのとき、疲れたような瀬李香の笑い声が受話器から漏れる。
「ううん、なんでもないの。変わらないね、麻奈都は」
「そんなことないよ」
「変わらないよ。私とは違うもん」
 瀬李香の声に力がない。
 まるで絶望しかかっているように暗い。
 どんな顔で電話をしてきているのだろう。
 あのときのように困惑したような顔でだろうか。
 誰か、泣いていたら胸をかしてくれる人はいるのだろうか。
 不安になる。
 大丈夫だ、確か彼がそばにいるはずと麻奈都は自分に言い聞かせるが、一度起きた不安はなかなか消せない。
「どうして? 瀬李香は変わったの?」
 麻奈都の頭の中の瀬李香はまだ留学する前の瀬李香だ。
 成長した瀬李香を麻奈都は知らない。
 だからどんな顔をしているのか、想像すら限界がある。
 けれど、瀬李香が何かに不安になっていることはわかる。
 ただ、慰めたかった。
 離れてしまっても、幼い時の執着心を混ぜた親しみは消えない。
 離れてしまった半身に、自分はここにいるのだと伝えたかった。
「瀬李香、なにかあったの?」
「……」
 瀬李香は聞いているのか聞いていないのか、麻奈都が不安になるぐらい沈黙を続けた。
 けれど麻奈都は辛抱強く、返事が返ってくるのを待っていた。
 信じていたのかもしれない。麻奈都はきっと瀬李香を救い出せると。
 あのときのようにまだお互いを支えあって生きているのだと。
 そしてかすかに瀬李香の声が聞こえた。
 それは死にそうなか細い声。
 まるで今にも死んでしまいそうな。
「……私ね、麻奈都が傍にいなくてもつながってるんだと思っていたの。ずっと麻奈都のことを傍で感じられるんだと思ってた。絶対に離れないんだって思ってた。あの時……麻奈都と私は別の性を持った別の人間なんだって思い知らされる日まで」
 ああ、やっぱり瀬李香も同じことを思ったのだ。
 あのときが自分たちがけして片割れではなかったことに気づいたのだ。
 ひとつではなかったことに、同一ではなかったことに。
「だから俺たちは離れたんだろ?」
 そのはずだ。出なければあんなに急速に離れられるなんて思えなかった。
 普通の兄弟のように。
 まるでなんでもないかのようにお互いの知らない友達と遊び、一人っきりの布団に孤独さを、寂しさを感じながら必死に向こうに行かないように努力した。
 一人でも生きて行けるのだと自分に言い聞かせるようになった。
 けして同時期には死ねないのだと。
 同じときを過ごしてもいつか離れることを予感し、自分がだめにならないように、相手がだめにならないように二人は静かに少しずつ、けれど急速に離れたのだ。
 ずっとずっと一緒にいられると思ったのは幻なのだと。
 きっと、彼女もそう思っていると思っていたし、そう思っていなかったとしてもそれは麻奈都よりも現実を見るのが早かっただけだと思ってた。
「……そうね、だから離れたんだわ。私たちは」
 今まで一緒にいすぎたから。
 離れてもつらくないように。
 心の喘ぎを聞かないふりをして。
 自分たちが別れていった事を知る。
 それはもう戻らない幼き日々。間違っているかどうかは今でもわからないけれど、あのままであったならお互いだめになっていたという気持ちのほうが麻奈都には大きい。
 けれど、もしかしたら瀬李香は違うのだろうか。
「ねえ、麻奈都。そういえば結婚するんだって?」
 そう聞く瀬李香の言葉の端々に無理して笑う瀬李香の顔を思い出した。
 あれから母の話で瀬李香が婚約までしたはずの人と別れたことを知らされた。
 行ったとたんに別れたのだという。何より不可解なのは瀬李香のほうから別れを切り出したということだ。
 男のほうからだったら、許せないがなんとなく納得できる。
 こっちは連れて行く立場だし、別れても困ったことにはならない。
 けれど、瀬李香はついていったのだからその男しか頼れる相手はいないのに。
 別れたときにこっちに戻ってくるのだろうと母は思っていたが瀬李香は日本には帰ってこなかった。
 麻奈都はなんとなく、そうなることを知っていたような気がする。
 自分の左手を目の前にかざすと、まだ真新しい銀の婚約指輪が光る。
 一ヵ月後にはまた違う指輪がこの指に収まるのだろう。
 麻奈都は装飾品にこだわりがなく、また、つけるのがわずらわしいと思うほど嫌いでもない。
 だから多分、その指輪はずっとこの手に収まり続けることだろう。
 それを思うと、どこか心にしこりが出来た気がした。
 多分これが麻奈都から突きつけた瀬李香への別離状になるだろう。
 瀬李香からのはたぶん瀬李香が留学を決めたときに。
 お互いの中の半身へ、さよならの儀式。
「瀬李香のほうはどう? うまくやってる?」
 努めて明るく瀬李香に問う。
 そうじゃなければもう一度もぐりたくなる。
 二人しか存在しない世界へ。
 そう、一度はもぐりこんだのだ。
 幼き日々からの脱出の際に選べる道だった。
 どんなに倫理に反しようともそちらを選ぼうと思っていた。
 しかし、それにはお互い以外のすべてを捨てなければならなかった。
 いや、それが苦痛だったわけではない。
 共通の物しか持たなかった自分たちに選べなかったわけがない。
 けれど、それに恐れをなしたのは事実。
 入り口に立ったとき、僕たちの肩には誰かの手がかかっていた。
 いつか誰かの手で引き裂かれることを恐れた麻奈都と瀬李香は、いっそのこと自分たちの手で引き裂いたのだ。
 そのゆめのように儚く、甘く、哀しい世界を。
 もし、すべての愛をお互いだけに注げていたのなら。
 もし、すべての想いをお互いにささげていたのなら。
 肩にかかる手なんて恐れなかったのかもしれない。
 けれど、きっと結局兄弟愛以外のものをお互いの中に持つことは不可能だったのだろう。
 それがどんなに強いものでも。何よりも大事にしたいものでも。
 だから麻奈都は帰ってこいとも言わない。戻ってきてなんて懇願できない。
「……ええ、うまくやってるわ」
 瀬李香もそう答えるしか出来ない。
 けしてお互いの世界を崩すことなく、この電話は切れるだろう。
 お互いがそう予感し、それが歯痒かった。
 あのときには帰れない。
 ただ手をつないでいれば伝わりあえたあのころには。
 物理的な距離も、精神的な距離もそれを邪魔するから。


 予定調和な会話しか出来ずにその電話は切れた。  けれど、今瀬李香が危うい状態なのは声と口ぶりだけでわかる。

 飛んでゆければいい。
 きっと自分ならどこにいるかぐらいわかるだろうと麻奈都は思う。
 連絡先とかどこに住んでるかなんて知らないのに、何故かそう確信できる。
 けれど、きっとそうなったらどうなるかわからない。
 また潜れるか。
 それとももう潜れない所まできているか。
 そのとき少しわかった気がした。
 ああ、潜る場所はもしかしたら母の羊水のようなところなのかもしれない。
 記憶にはない、けれどきっと幸せなところ。
 瀬李香と二人きりでいれた場所。
 ということは、二人だけの世界は母から生れ落ちた瞬間にもう終わっていたのだろうか。
 ああ、そうなのかもしれない。
 だから二人はお互いのほかにも何かを作ろうと必死だったのだ。
 あのときが別離ではなかった。もっともっと早い時期にもう別離していた。
 手を離したのはきっとあのとき。けれどきっとその前にそれ以外のところは離れていたのかもしれない。
 ただ、手をつないでいる部分が共通していただけで。
 ああ、せめてすべてを注げる相手だったらよかったのに。
 二人だけの世界で完結できるくらいに。二人が死ぬときは一緒なのだと思えるくらいに。
 そうすれば、怖いものなど何もなかっただろう。
 一人ぼっちの寂しさを知ることなどなかっただろう。
 それでも二人は一人の世界を歩んでいかなければならない。
 苦しく喘ぎながら、この世界に麻奈都たちはどのくらいいれるのだろう。
 それを思うと瀬李香の元へいきたくなった。
 すべてを捨てられないまま、行きたくなった。


 切れない絆はどこまでも切れない。
 だから縋ってはいけないと思うようになった。その絆さえあればどこにでもいけると思ったから。
 昔の自分ではいられない。瀬李香しか要らなかった自分ではいられない。
 少なくとも自分は選んでしまった。瀬李香と一緒に生きる以外の道を。
 だからこそ、耐えなくてはいけない。これは瀬李香と自分のためだ。
 いつか彼女のそばに支えてくれる人もできるだろう。
 自分に伴侶ができたように。
 けれど、それでも、一人で泣いているだろう瀬李香の元に行きたくて、たまらない。
 せめてそういう人がいない今、彼女のそばで一緒にないてやりたい。
 幼き日、悲しみも苦しみも半分にしてきたように……。
 けして戻れぬ幼き日。この日ほど戻りたいと思ったことはなかった。

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