meaningless

「あなたは一度人にとことん好かれたほうがいいわね。それかとことん嫌われてみるのも一興」
彼女は淡々と私を見てそう言った。
銀色が映える髪がさらりと彼女の指を撫でる。いや逆か。彼女の指が美しい髪を撫でるのだ。
「どうしてさ」
私は首をかしげながら聞く。
手の中にある銃の銃口はそのまま彼女の頭からはなれずにただそこにあった。
私の口元はわずかに微笑んでいる。
人には無表情に見えるかもしれないが、感情を表に出すことが苦手――いや、他人に笑っているとわからせるのが苦手なだけだ。
自分ではけっこう表情は顔に出るほうだと思う。
彼女とは違って。
どうして彼女はこんなにも冷静なのだろう。
今ここで、私に殺されるのに。
「そうすればあなたは人殺しをしないからよ。とことん好かれているとそれだけで幸せになれるから。とことん嫌われているとそれだけで不幸になれるから」
彼女は感情を移さない瞳で私を見る。
すでに廃れているといっても過言でないほど、荒れているビルの中にいる私の顔が割れている窓から入ってくる日光に当たる。
そろそろ日が暮れるのだろうか。
私はふとそう思ってしまった。
それどころではないだろう、今は。仕事中なのに。
仕事。
それはこの美しい人を殺す行為なのだろうか。
それともこの美しい人の婚約者の意思に従うことなのだろうか。
どうでもいい。
どちらでも同じだ。 私はさらに笑みを深くする。
これで笑ったようにみえるだろうか。
「じゃあ、君は私が幸せ、または不幸を味わいたいから君を殺すというのかい?」
それは面白い。
「そうではないの? あなたは人並みの幸せ、または不幸を感じたいと思ってなかったの? 私にはそう見えたわ。だって何年も一緒のスクールに通ってたのよ。つい最近まで。あなたの考えていることは予想できるわ」
彼女の顔ににっこりと初めて表情が浮かんだ。
はっきりいって、その顔は美しいとは思わない。さっきのほうが綺麗だった。無表情のほうが人形みたいに綺麗だった。
人形は笑わない。だからか。美しいのは。
笑うと顔が歪むからか。美しくないのは。
けれど瞳は綺麗だ。まだ何も映していない。
鏡でも水面でも何かを映したとたん綺麗じゃなくなる。
美しさを失うのだ。
なお、美しいままでいるのは映しているものが綺麗だからに過ぎない。それはそのものが持つ美しさではない。
「あなたはどんな気持ちなのでしょうね?同じ校舎で学んだものを殺すのは?」
彼女はさらに笑う。私もさらに笑みを深くする。もうこれで笑ったことになるだろう。
「さあ、誰を殺しても私にとっては同じだから。たとえそれが自分でも、同じなんじゃないの?」
私はこの道を選ぶため、人が感じるであろう幸せも不幸も投げ捨てた。
人を殺すのに幸せを感じてはいけない。不幸を感じるわけにもいかない。
なぜならそれは躊躇に繋がるから。
幸せと不幸はコインの裏と表。
幸せを感じるときは不幸を感じるのと同じ。
不幸を知る事は幸せを知る事と同じ。
飢えしか知らない子供が自分を不幸だと思うだろうか。
いや、思うまい。
飢えていることが当たり前なのだから不幸でも幸せでもないだろう。
それとおなじだ。
人を殺すのを当たり前にするように私は幸せと不幸を捨てた。
人を殺すのは呼吸と同じ。お金をもらうのはただのおまけにすぎない。
どうして彼女の婚約者がこの人を殺したいのかは知らない。
関係ない。
「ねえ、少し話しをしない?まあ、天国に行くまで、あなたが引き金を引くまで少しの時間話をしましょう?」
「……時間稼ぎかい? 君らしくもない。意味のない時間稼ぎに興味はないよ? それとも命乞い? ……面白いじゃないか。君が私に命乞い? 面白すぎる、まったくありえないことなのだから」
いつまでも冷静なくせに命ごいなどありえない。
いつもそうだ。彼女はいつも冷静だった。
取り乱したことなどみたこともない。いや、それ以前に彼女には激昂する人間の心理がわかっているのかも不明だ。
いや、わかっているのかもしれない。彼女は人の行動一つ一つ読み取るのが好きな人だったから。まあ、得意ではなさそうだったが。
それは好かれることで幸せになる、嫌われただけで不幸になるという言葉からも分かる。人間そんなに狭くない。いや、狭くないというよりそんなにまっとうな人間が思うほど少ないといったほうが正しいのか。
好かれて参っている人もいる。嫌悪を抱くやつもいる。嫌われることで歓喜する人間もいる。
もうそんな事捨ててしまった私には関係のないことだけれど、人間は単純であり、複雑でもあるのだ。
人それぞれといったところだろう。
十人十色。そうではなく最低十人百色ぐらいはあるのだ。そして同じ色を所有しているときもたまにはある。
「いいえ、ただのお話よ。学生時代のことでもいいし、それとも私を殺そうとしている婚約者のことでもいいわ」
にっこりと彼女が笑う。
相変わらず感情のない笑み。
彼女は誰かから好かれて幸せだと思ったことがあるのだろうかと一瞬思った。
心の中で私は苦笑した。
ありえないことだと。
彼女には愛するべき家族と呼べるものはいないし、愛し憎めるほど、誰かをそばにやったことはない。
現に彼女の婚約者も彼女を殺そうとしている。
笑ってしまいそうなほどありあえない。
それを問うたら彼女は笑うだろう。そしてこう答えるに違いない。
「幸せとか不幸とか感じたことはないわ。ただ、どうしたら感じるのか考えただけよ」
と。
捨てた私。捨ててさえもない彼女。
人は私達を似ていると思うのだろうか。
いや、私は少なくとも人に好かれたことも憎まれたこともある。
それによって幸福になったり、不幸になったりしたこともある。
ただ、感じるのをやめただけだ。
似てはいない。
この悲しい人に似てはいないだろう。
しかし人並みの幸福や不幸に会ったことないのは私も同じ。
人並みの幸福とはなんだろう。嘆く不幸とはなんだろう。
私には想像もつかない。
この愚かな人はその想像がつくのだろうか。
「ただ話したいだけ。聞きたくなければ引き金を引きなさい」
「……いいだろう、あなたの話を昔のよしみで聞いてあげよう。いいなさい」
自分で言っていてなんだがとって付けたようないいわけだ。
私は純粋に興味を持った。
この自分の死にさえ興味がなさそうで、さらにこの非常事態でこんなに冷静な彼女の話とやらを。
殺すことに迷いはない。
大丈夫だ。私はこの人を殺せる。
「そうね、なにから話しましょうか。思ったより私とあなたは共通する思い出がないわね。クラスどころか学年が違ったわ。ああ、あの人とは一緒だったんだっけ」
あの人とはきっと彼女の婚約者をさしているのだろう。
たしかにあいつと私は同じクラスで机も隣同士だった。
だから頼まれたのだ。というか私に頼んだ理由がそれしか思い浮かばない。
「だったらあの人の話にしましょうか。あの人がプロポーズしてくれたのは喫茶店だったわ。今思えばべたであんまり賢い選択とはいえないわね。だって周りに人がいたのよ?まあ、皆みてみぬ振りしていたけれど、あそこで断ったらあの人どうしていたかしら?」
そしたら君はここで死ぬ運命ではなかったと私は一瞬だけ思った。
婚約しなければあの男だって婚約者を殺してほしいなんて願わなかっただろうし。
「でも私は受けたの。別に好きだったからとかそういうわけじゃなかった。ただ、驚いたのよ。結婚という言葉に。だから受けたの。あれほど驚いたのは初めてだったから」
「やれやれ、それでは婚約者殿も浮かばれないね。せっかく申し込んだ相手に好かれてもいないなんて」
私は呆れたようにそういう。
いや、本当は呆れるほどそのことに関心がないのだけれど。
「……私にそんな事望まれても困るわ。私は承知したからにはそれを許容する。私が頷いたことによってこうなったことも後悔なんてしてないわよ?」
クスクスと笑って私を見る彼女。
にっこりと私も笑う。
「笑わせないでくれないか? 君が後悔することなんて私はみたこともきいたこともないよ。まあ、いいや。そろそろ死になよ」
「いいわ、一思いに殺して」
彼女がそう言った瞬間、銃口から火花が散る。
銃弾が彼女の脳を破壊する。
ああ、なんというあっけなさ。
これが私の憧れさえした彼女なのだろうか。
いや、彼女らしいのか。
彼女の婚約者が言っていたこと。
もしかしたらそれが彼女を殺したがる理由かもしれないと思った。

『彼女をどんなに理解しようと思っても、どんなに彼女の事を想っても報われないんだ。彼女はまるで僕とは別世界にいるようだった。それが僕には耐えられない』

なんという傲慢さだろう。
彼女を理解できるやつなどただ一人もいるはずがない。
なぜなら彼女は――なのだから。
だからこそ私は彼女に憧れた。
だからこそ私は婚約者に嫉妬した。
ああ、これで彼女は永遠にその婚約者に縛られることがないだろう。
彼女は気まぐれで彼の申し出を受けた。
何も受け入れることのなかった彼女が。
私の女神はそこで崩壊し始めた。
だから彼女を殺す事を受け入れた。
崩壊しきる前に。
女神を守るために。
ああ、これでこの人は誰のものにもならないだろう。
それがいい、それでこそ彼女だ。
けして彼女は私を嫌わなかった。そして好かなかった。
それは誰に対しても同じだ。
孤高にして孤独な存在。
私は彼女が守れればそれでよかった。
彼女の心に誰も映らない。神でさえも映してはならない。
彼女は全てを許し、全てを許さない。
なぜなら誰も彼女の心にはいってはいけないからだ。
そのくせ彼女は人を好きになる、嫌いになるということに興味を示していた。
だから彼女はあんなセリフをはくのだ。
私は彼女を愛したことも憎んだこともない。
私は彼女を尊敬し、軽蔑していた。
ただそれだけだ。
私はいつもやるように銃をしまい、その場から去る。
私の心には何も映らない。
幸福も不幸も捨ててしまっているのだから……。





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