あいつに会ったのはいつだっただろうか。 ああ、そうだ。私がまだ駆け出しの付き人であいつはまだ中学三年生のころだ。 第一印象はなんだか遊んでそうな感じだと思った。 確かに顔は整っているし、存在感もあるけれど。 この業界で本当に残っていけるのかしら。 そう思わざるおえないほど、へらへらと目の前の男は笑っていた。 「よう、佐々木。こいつが今日からお前が担当するモデルだ。ほれ、挨拶しろ」 「浅川です! どうぞよろしく、佐々木さん」 社長の声でにっこりと挨拶した男が手を出した。 私は恐る恐るその手を握った。 「ええ、よろしくね、浅川君」 戸惑いを感じなかったといえば嘘だ。 けれど、ここでだしたら一生なめられる気がする。 直感的にそう思った。 浅川綾彦は面白そうなものを見るように目を細めて私を見ている。 まるで品定めだと感じた。 「まあ、仲良くやってくれ。まずは地道に「ライブ」から新人で良いのをという依頼があった。とりあえず、これにいってこい」 まずは売り出さなければものにならない。 一度売れ出したらしめたものだけれどそこまでいくのが難しいものだ。 実力のない奴はつぶれてく。運のない奴は埋もれてく。 実力と運があってこそ、この世界で成功するのだ。 「ライブ」というのはまあまあ売れているメンズファッション雑誌。 まあ、大した仕事というわけではないだろうけど、第一回目としてはそれなりのほうだろう。 大きく売り出すこともできるけれど、こいつがどの程度の実力でどのくらいカメラ栄えするかを見るのには良い機会だと思う。 「ちなみにこいつにモデル経験は?」 念のため社長に聞いてみる。まったくないわけではないだろうけど、多少不足だったらそこら辺を教え込まなければならない。 社長はにやりと笑って 「え、別にないけど」 ……おい。おい、おい、おい、モデルが何たるかをわかんないうちからカメラの前に出すのか!? ここは優良で有名なモデルプロダクションだぞ!? 素人をそのまんまださないプロ意識のあるプロダクションだぞ!? いいのかそれで! 「佐々木さん、大丈夫。俺、この人に結構しごかれたから何とかなるよ」 本人が笑ってそういう。……実践とレッスンは違うんだけどね。まあ、カメラテストぐらいは受けてるんだから大丈夫だろう。 社長だってそこら辺のことは私よりもちゃんとしてるし。あそこの人とは結構長いから変なのはまわさないだろう。 「分かったわ、じゃあ明日時間通り迎えにいくからよろしくね」 そういうと、綾彦はにっこり笑った。ああ、笑顔は気持ちいいくらいいい顔なのね。 まあまあ、年相応。だけど、あの品定めするような視線はあの年で身につくものなのかしら? それだったら結構嫌な奴だと思うんだけどさ。中学生でエロ親父みたいな視線はやめてほしい。 だけど……卑猥とかそういう視線じゃなくて、本当に審査されているような目だった。 冷静にただ観察するような。 まあ、モデルの私生活に口出しするほど仲良くなってないし、私としては仕事に支障をきたさなければプライベートは尊重するんだけど、妙に気になる。 なんとなく、ただ世間一般で考えられるような中学生じゃないっていうか。 中学生モデルなんてそんなに取らない社長がどうして綾彦を採用にしたのかもわかんないし。 顔は良いと思う。モデルだもの、それは当然。姿勢をちょっと直せばスタイルも中学生にしてはなかなか。 身長も高いほうだし、それなりに匂いたつ存在感もある。 だけど顔の良し悪しだけで決まるものではない。それを乗り越えなければいつまでも三流だ。 第一やる気があるのかないのか分からない。きっとそれは私に見る目がないせいではなく、こいつの性格に起因しているのだろう。 こいつは感情を隠す術を身につけてる。人懐っこそうなくせに、誰にでも愛想がよさそうなくせに、ある程度の距離までしか近づけない。自分の心に土足で踏み込ませない。 オープンそうに見えて、どこか自分を隠してる。そんなふうに見えた。 処世術といってしまえばそのとおりだけれど、それにしてはなんか……。 (切羽詰った感じがするわね) それが私とあいつの出会いだった。 初撮影もまあまあ何とか言ってるようで私はほっとため息をついた。 結構それなりに様になっていて、本番に強いタイプらしいのが助かった。 ここで緊張の糸が見えないのにはちょっと驚いたけれど。 「良い素材、見つけてきたわね」 傍にいたメイクの人に声をかけられた。 「良い素材、ですか?」 やはり何人もプロを手がけてきた人に言われるとなんとなく実感がわく。 奴は一応良い素材なんだ。 「彼、本当に素人?」 「ああ、彼、この撮影が初めてですから」 「へえ、だけど玄人っぽいんじゃない? 自分の見せ方知ってる素人ってあんまりいないと思うけど?」 そういわれてみてみると、確かにこいつはカメラに向かって自分が一番綺麗に見えるものを知っている。 まあ、レッスンはちゃんとしていたから分かるのは当たり前。だけど、どこか玄人っぽいのは自信のあり方が普通の人よりも明確だからだと思う。 ちゃんと自分が綺麗だって知っている。ちゃんと自分がかっこいいのだって知っている。 だからあんなに堂々とカメラの前で萎縮せずに向かい合えるのだ。 最高の逸材ってわけじゃないだろうけど、トップモデルの道はまだまだ険しいだろうけど。 彼はもうモデルなんだ。 撮影が終わったらしく、綾彦はすぐさま私の前に飛んできた。 「佐々木さん、見てた?」 そう聞く彼は昔友達の家で飼っていた大型犬を思い出す。 すぐさま飛んでくる様なんてすっごい似ている。 尻尾が見えるくらい。 だけど、こいつは多分媚びるとか誰かに忠誠心を誓うとか嫌いだ。 どちらかというと猫っぽい。 ただ気まぐれに生きている猫。 自分のことは自分で決め、自分流に生きる。 それを誇りにしている感じ? 孤高に立つ猫と、人懐っこさを誇る犬。 どちらの要素をもってして浅川綾彦はできている。 「はいはい、見てたわよ」 「やっぱり気持ち良いね、緊張感が漂うって言うかこっちがぞくっとさせられたよ」 きらきらとした目でそういう綾彦に、ああ、まだ子供なんだと思い知らされた。 まだ親の庇護を頼るはずの子供なのだと。 だけどこのこは頼る親すらいないのだ。 昨日、社長から告げられた事実。 こいつは養護施設出身の元捨て子。施設の前に捨てられた哀れな子。 親を知らずに生きてきて、今年家と思っていたところを出所しなければならない。 そして社長に拾われた。 いくらなんでも親がいないというのは養子というよりもスキャンダルになるだろうと、独身主義なのを良いことに自分の籍に彼を入れる。独身の男の籍に子供を入れるのがどれくらい大変か私には分からないけど、綾彦の父親になった男は笑って何も言わない。 別に悪くはないだろう。私はそこに介入するわけにも行かないし、第一綾彦が首を縦に振ったのだから。 紆余曲折の末ここにたどり着いた彼。私などが想像できないくらいの人生だったろう。今でも彼らは差別されるのだろうから。 だけど、彼はまるで世の中の楽しさしか知らない目をして私をみる。 まるで苦労を知らず、ただひたすらに大事にされてきた者のもつ目を。 純粋というにはあまりに利己的で、打算というにはあまりに幼い目を。 彼は私に向けてくる。 「こうやってできるんだって思ったらぞくぞくしちゃうね。……佐々木さん?」 私は思わず彼の頭をなでた。 彼は嬉しそうに笑う。子供とも大人ともつかぬ、少年の笑みで。 褒められて嬉しいというよりも、人に愛想を振る笑みで。 まだ心を許されているわけじゃない、と思うと少しさびしかった。 楽しそうに撮影を見学している綾彦に嘘はないだろうけど。 それでも、本当でもないのかもしれないと思ったらひどく切なくなった。 「と、思ってた時期もあるのよねー」 「あはは、佐々木さん俺に気を使いすぎー」 「……ほんとよ」 あの時まだはにかんだ笑みのほうが似合っていた男の子は撮るほうに興味を示し、ただいまあるカメラマンの助手兼専属モデルになってる。 おかげで今は飛行機の中。どこだかいかなければイメージもできないような地名にくらくらしている。 あの先生が行くところはそういうところが多い。少なくとも私はこの仕事でNYとかパリとか有名どころにいったことはない。……まあ、そこもある意味有名どころだけれど。 隣を見ると、綾彦は嬉しそうに写真集を見ていた。 最近発売された自分の写真集。それをモデルとしてもそれをとった人の弟子としても見られることが嬉しいんだろう。 会ったときに見せていた儚さはいとも消え、今は不運な境遇にあった奴にはぜんぜん見えない。 楽しめるときは思いっきり楽しめばいい。 過去のことを考えるより、未来を楽しくする方法を考えるほうが健全だ。 そう考えているというよりも、ほとんど本能に近いんだろう。こいつの脳は楽しさを何よりも優先させているに違いない。 何よりもカメラが好きで、それを追いかけてれば何もいらないのではないかと思うほど一途だ。 ……まあ、楽しそうだから良いけど。 私もこいつもくよくよ悩むのは嫌いだ。そしたら一晩寝て忘れたほうがまだ良い。 「綾彦、私寝るから」 「オッケー、お休み」 写真集から目を離さないまま、そう挨拶する綾彦にため息をつきながら私は目を閉じた。 ついたらどうせ忙しくなるのだから、今のうちに体力温存しなくては。 夢見る少年についていくのは結構大変なんだから。 まあ、これからどうなるかはお楽しみ。 さてさて、ここまでやってきたんだからそれなりの結果は見せていただきたいものね。 まあ、そこら辺は赤坂のお嬢さんが何とかしてくれるんだろうけど。 あんたも男ならその手の中で踊っているだけじゃ物足りないでしょう? せいぜいあの子達が驚くような男になってみせなさい。 そして浅川綾彦の名前はモデルからカメラマンとしてただ静かに浸透していくだろう。 |