抱きしめられた腕の中が暖かい。 ああ、私はここにいて良いの? あなたの邪魔になったり、しない? 赤坂さんとの久々のデートだった。 一番お気に入りの服で着飾って、髪はいつもより熱心にブローする。 赤坂さんの会社が終わるまで待って、それからご飯を食べて家に届けられるだけのことだけれどそれがとても嬉しい。 何度も何度も鏡を気にしては時計を見る。 前髪が乱れてないか、ちゃんと可愛いって思われるか。 鏡の中の自分に問いかける。 いつもよりふんわりしている髪が、愛しさを物語っている気がした。 ふと、鏡から目を話すと見えるのは愛しい人の立ち姿。 「李歩、待った?」 優しい視線で聞いてくれる赤坂さん。私はなるべく可愛いと思えるような笑顔を造って見せた。 「いいえ、そんなには」 首を振って否定すると、赤坂さんはまるで大天使のような微笑を見せる。 あ、私の好きな笑顔だ。 そんな想いが私の胸を横切った。 「じゃあ、いこうか? 姫君」 赤坂さんが珍しくそうおどけて、手を差し伸べてくれる。 私はそれがおかしくて、なんとなく嬉しくてその手を微笑みながら取った。 優しいこの手は、いつも私を元気付けてくれる。 どんな困難も乗り越えさせる手だ。 私のちっぽけな手とは違い、大きくて。 その違いが大人と子供ではなく、女と男の差なのだと思えばこれほどうれしいことはない。 すっぽりと包まれる手が嬉しい。 「今日は何にする?」 「そうですね……今日は寒いので暖かいものが良いです」 「うーん、なべには早いし、おいしいシチューかスープを出してくれる店が良いね」 そのたわいのない会話が嬉しい。 いつもよりお洒落していることに気づいてくれるだろうか。 ときどき、大好きな顔を見る。 やっぱり大人だなと思うのは、見上げるときの角度のせい? 優しそうな目にきりっとした口元。 ああ、こんな人が私の婚約者なんだと思うと胸が熱くなる。 ぎゅっとつないだ手を握ってみた。 すると、不思議そうな顔で赤坂さんは私のほうを見る。その視線がなんだか気恥ずかしくて、俯いてしまう。 だけど視界からその顔をはずすことなんてできない。 すると、赤坂さんはにこりと笑って、握る手に力を入れてくれた。 その力強さにほっとする。 「あら? 赤坂さん?」 背後からそんな呼びかけが聞こえた。 赤坂さんが振り向くと、ああと納得した顔になる。 私はその人の顔に見覚えがあった。 あの時、一緒に歩いていた女性。 「赤坂さん、こんなところでお会いできるなんて奇遇ですね」 女の人はにっこりと笑ってそういった。 赤く塗られて口紅は、私にはあまり似合わない。だけど、この人にはすごいにあっている。 スーツも、それを彩るアクセサリーも。 これが大人の女の人だという見本のような人。 「ああ、こちら高藤さん。この前の仕事のときに一緒だったんだ」 私のほうを向いて、笑って紹介してくれている。 そして高藤さんのほうを振り返って 「こちらが婚約者の有麻 李歩」 と紹介してくれた。私はあわてて 「有麻です」 と頭を下げる。考えてみればこうやって赤坂さんの会社の人に紹介されるのは初めてで戸惑ってしまう。 けれど、私より驚いたのは相手のほうだったらしい。 高藤さんは驚いたように私をじっと見つめる。その目が信じられないというように見開かれていた。 けれど、すぐにわれに返ったようで、にっこりと艶やかな笑みを浮かべた。 「初めまして、高藤です。お会いできて光栄です、有麻さん」 その上品な態度はよほど厳しい家庭に育ったことを想像させた。 「噂にはお聞きしていましたが、本当だったんですね。こんなかわいらしい高校生の婚約者がいらっしゃったなんて」 「別に秘密にしていたわけじゃないんだけどな」 「意外でした。赤坂さんがまさかと思ってましたけど本当でしたとは」 なぜだかここにいたくない。そんなことを思いながら私は笑っていた。 にっこりと笑っていた。 なきたくなりながら笑っていた。 知ってる。知っているからこれ以上いわないで。 その言葉は私にとって茨のつるのように傷つけることしかしないもの。 この人は悪気があっていっているわけじゃない。 そんなこと、分かる。顔を見れば分かる。 だけど、その言葉に確かに傷ついている私がいた。 この人の目には私と赤坂さんのことが意外だと映った。 そのことに傷ついている私がいた。 知っていたはずなのに……。また前回と同じようなことを思ってしまう自分がいる。 いわれるのと思うのは違うのだと知ったのに。 当たり前なのに。この人が意外だと思うことは。 当たり前のに、何で傷ついてしまうのだろう。 高藤さんが悪いわけじゃないのに。 なんとなく、いやだと思ってしまうのはなぜなんだろう。 「あ、ごめんなさい。デートの邪魔しちゃって」 私の顔を見て謝ってくれるこの人は良い人なのに。 何で私はいやな子なんだろう。 「いいえ、そんなことないです。知らない赤坂さんを見ているようで嬉しいです」 そう答えるのは嘘じゃないはず。だけど嬉しいだけじゃないのも本当。 ううん、嬉しくない気持ちのほうが大きい。 「そう、そういっていただけると嬉しいわ。じゃあ、赤坂さん。私はこれで」 「ああ、じゃあ気をつけて」 そう挨拶を交わすと高藤さんは駅のほうへと急いだ。 シチューの味が分からないまま、家に帰ることになった。 まったく味覚が働かない。 赤坂さんの選んだお店は雰囲気も良く、味も評判だったのに。 赤坂さんはどこか変だと気づいたのか心配そうに私の顔を覗き込んだ。 「どうした? 李歩、どこか調子悪いか?」 そう聞かれて、私はあわてて首を振った。 心配なんてかけていられない。 「そうは見えないけど……高藤にあってからだよな? なんか変だぞ? ……いやだった?」 そうじゃない。 そうじゃなくて、ただ……。 「そうじゃないです。高藤さんのせいじゃ……」 そう、これは私の勝手な嫉妬心。 誰のせいでもない、私の醜い心の現われ。 「ただ、」 ただ、そうただ…… 「赤坂さんの隣が似合っていたからちょっとうらやましかっただけです」 私だとどうしても似合わないのに。 ちょっとだけ出た本音に赤坂さんはくすっと笑う。 「そうかな? そんなに似合わないわけじゃないと思うけど」 といって車のバックミラーを指差した。 「ほら、結構お似合いだ」 そんなことない。釣り合っていないじゃない。 私はそう思うのに、赤坂さんはそれを否定してくれてる。 その優しさが嬉しくて、なきそうになる。 本当にこの優しさを受け取るのが私で良いのか分からない。 何度も繰り返される問い。 いつの間にか涙がこぼれた。 幸せだと思った瞬間に、涙が出た。 「李歩?」 「ごめんなさい、なんだか……嬉しくて」 嬉しくて、嬉しくて。 どうしようもなく、嬉しくて。 それでも心のどこかで叫んでいる。 この日々はどのくらい続くのだろう。 「そう、それは俺も嬉しいな」 そういってぎゅっと抱きしめてくれる温かい腕。 きっと私がどこにもいかないでといえば、こうやってずっと抱きしめていてくれるだろう。 君を置いてどこにもいかないよと優しい言葉をかけてくれるだろう。 だけど、それはいやなのだ。 きっとかせになるだろうとは思っている。だけど縛り付けたりなんかはできない。 だけど、心の奥底で願ってしまう。 どうか、私に縛り付けられてと。 そうしたら私は幸福に酔いしれるだろう、罪悪感を抱きながら。 そんな縛り付けるような言葉を封じたくて、私は赤坂さんの背中に手を回した。 顔を見られないように。顔を見ないように。 そうしなければ、いってしまいそうだったから。 私以外の女の人と仲良くしないでなんて。 そんなこと、いいたくなかった。 いって困らせたくなかった。 人形だったら良かったと今日ほど思ったことはない。 ただめでられることに満足できたなら、幸せだったのに。 だんだんわがままになる心。 赤坂さんを独占したくなる。 そう思ってしまう自分がひどく醜く感じた。 |