「で? あんたはこくりに言って玉砕したわけ?」
 桑田がにやりと笑ってそういう意地悪いことを言う。
 く、どこから入ったんだと思ったんだけどあの時一緒にこいつもいたんだよな。
 恋の相談なんてみんながいるところでやるもんじゃない。
 俺の恋はいつの間にかクラス中どころか学校中に知れ渡った。
「しかし、志津子さんにね……まあ、いい夢見させてもらったと思って」
 江原がフォローらしくないフォローを入れる。
 そういえば相楽っちの妹である江原が志津子さんを知ってて当たり前なんだけど。
 そこまで仲良かったんだな。相楽っちと志津子さん。
 ちょっと複雑な恋する男心。
「まだ決まってない! まだ返事は保留だ」
「さっきの話からするとふられてるも同然じゃない」
 ……く、桑田の言うことは正しい。
 確かに振られてるのも同然かもしれないけど!
「もう少しフォローとかしてくれてもいいじゃねーか!」
「まあ、志津子さんだし高嶺の花には間違いないけど……まあ、でも師原ならガッツはあるしあきらめるには早いんじゃないのかな?」
 と慰めるように江原が今度こそフォローしてくれた。本当にいいやつだ。
 ただ、あの人は俺を拒否しなかった。そこに可能性を見出したいのは、俺の願望。
 ただ、受け入れてくれないだけなんだって。見ず知らずに近い高校生を受け入れられないのは当たり前で、しってもらえばもしかしたら眼中に入れてくれるんじゃないかって。
「よっしゃ、がんばろ」
 がんばれば必ず結ばれるなんて思ってはないけど、可能性ぐらいは生まれるんじゃないかってちょっと思ってる。
 俺はあの人のことを知らないし、これからが勝負だって思ってもいいよな?
 それが、けして悪いことじゃないと信じてもいいよな?


「と、いうことできちゃいました」
 何度目かの奇襲。志津子さんは少し困ったように笑う。
「飽きないのかしら?」
 そういいながら、隣の席を進められるまで俺は苦労した。
 最初のときは笑顔で追い返された。
 次は本気で困った顔をされて帰らざるおえなかった。
 だけど俺のしつこさに参ったのか、それともなれたのか。
 隣にいることを黙認された。もちろんちゃんと認められているわけじゃないけど。
 そして少しずつ知ることになる。志津子さんのこと、志津子さんの周りのこと。
 志津子さんは相楽っちに憧れて英文科に入ったって事。
 コーヒーよりも紅茶のほうが好きで、特にレモンティーのほうが好き。
 服はシンプルなものが好きで、アクセサリーもあんまりしない。
 だけど……中指の指輪だけははずさない。
 それがどういう意味なのか、聞き出せないでいる。
 恋人からもらったものなのかもしれない。
 だけど、桑田が言うには指輪は普通薬指にするものだそうからどうなんだろう。
 怖くて聞けなかったわけじゃなくて。多分俺は聞きたかったんだろうけど。
 その指輪に時々触る志津子さんの目がなんとなく聞こうとする俺を拒んでいるように見えて。
 なんとなく、聞かないほうがいいんじゃないかって勝手にそう思ってた。
 俺にだって誰にも言えないような思い出とかはあるし、もしかしたら独り占めしたい思い出だってあるんじゃないかって。
 だから、何も言わないで、何も気づいていないふりをしていた。
 ただ、さびしそうに指輪に触れる志津子さんに。
 その顔が俺を見て笑ってほしいとは思ってたけどね。
「ねえ、何か頼んだ?」
 ここは相楽っちに頼み込んで教えてもらった勝負プライス。年上の女の人バージョンらしいけど……。
 相楽っちは意外にこういうところに詳しい。
 今はおとなしいけど昔は遊んでいたと江原がいっていたんだけど、どうなんだろ?
 あ、そうそう。もうひとつあった。結構複雑な知ったこと。
 志津子さんの初恋の相手が相楽 暁灯先生だってこと。
 複雑なんだけど……相楽っちだったらしょうがない気がする。俺だって女だったらほれるよ、きっと。
 だけど、相楽っちは今まで本気の恋が報われたことがない。
 なんでも江原のお姉さん――お兄さんのお嫁さんに20年近く恋をしているらしい。
 まあ、江原が言ってることだし相楽っちにいってたら馬鹿にされそうだけどさ。
 なんとなくわかった。あのときのさびしそうな笑みの意味。
 きっと相楽っちは俺と自分を重ね合わせたんだ。報われなそうな恋をしている自分と。
 きっと口に出せなかったんじゃないかなと思う。相楽っちのことだからお兄さんに遠慮して。
 俺はそういう相楽っちが好きだけど。そればかりは言えばよかったのにって思う。
 もしかしたら相楽っちなら振り向いてくれるかもしれないのにね。
 なのに何も言わずにただ恋心を抱え続けてる相楽っちにちょっとあきれながらも男としてすごいと思う。
 きっとそれは相楽っちの運命の恋なんだ。
 たとえ報われなくても、そういう恋もあるんだ。
「えっと、俺はこれにしようかな」
 だけど、報われたいと思うよ。少なくても俺はそう思う。
 ただ見守ってるだけじゃやだ。俺の手で笑わせてあげたい。
 そう思っちゃうのが、恋だろう。
 そう思っちゃうのが、人間だろう。
 誰もが自分の幸せを願う権利がある。誰もが幸せになる義務がある。
 だから手を伸ばし続けるんだ。ほんの砂の一粒に近い可能性に向かってさ。
 俺はこの恋を手に入れたいと思ってる。
 志津子さんに同じ気持ちでいて欲しいと思ってる。
「ねえ、志津子さん。相楽っちに美術館のチケットとかもらったんだけどさ、いかない?」
 あ、もうひとつ知ったこと。
 志津子さんは美術館とか資料館とかそういうのが好きだ。
 そういうものを見てると安心するらしい。もしかしたら昔そういう人が傍にいたのかもしれない。
 俺もスポーツ観戦とか好きになったのは確実に父さんの影響だし。
 あ、あと結構思い込んだら一直線なのも父さんにだな。
 母さんのことはよくわかんないけど。
 志津子さんの分と自分の分を頼んで、メニューをボーイさんに渡す。
「ねえ、志津子さん。今日はね、美術館に行かない? ほら、今新しいイベントやってるじゃん」
 近くの美術館では期間ごとに何かのテーマに沿った展覧会が開かれる。
 多分今回のは志津子さんが好きそうな奴だったはず。
 志津子さんは困ったように笑った。
「それもいいけど、強吾君は自分の行きたいところは? 私のいきたいところばかりじゃない」
 ああ、年上なんだなとこういう時思う。
 弟に向けるような暖かなまなざし。それを知ってるのは、多分俺が由菜に向けるまなざしと似てるからだと思う。
 きっとこの瞬間もこの人は俺のわがままに付き合ってるという感覚なんだろう。
 ただ甘やかされると自覚する。それがなんとなく嬉しくてなんとなく切なくて、とてつもなく苦しくて。
 微笑むことしかできなくて。
 笑うことには自信がある。笑ってれば解決できるような気がするし、笑っていればいつの間にか冗談になってる気がするし。
 それに笑っていればいつの間にか相手も笑ってくれるような気がしてるから。
 だから笑うのは得意だ。
 だからだまされてよ、志津子さん。だまされたふりでも良いからだまされて?
 今現在不安に思ってることを貴方が知ったらきっと困るでしょう?
 罪悪感かんじちゃうでしょう?
 これは俺が勝手に感じてる不安だから、貴方は知らなくていいんだよ。
 そんな不安、どこかに消し飛ぶから。いつの間にかどこかに消えちゃうもんなんだから。
 たった一つの感情で貴方を悲しませたくないんだよ。
 そんな顔、あんまり見たいもんじゃない。だから貴方は笑ってさえくれればいいんだ。俺の前で。
「最近俺もそういうこと好きになってきたんだ。それに俺志津子さんの好きなもの全部知りたいもん」
 子供のふりをしてそういって見せれば、貴方は困ったように笑ってくれる。
 ねえ、その表情は子ども扱いされてるようで辛いけどなぜか俺に喜びをくれるんだ。
 人が笑んでる姿がこんなに嬉しいとは思わなかった。
 そりゃ由菜や慧治や江原や桑田が笑ってればそれはそれで嬉しいけど。
 でも、泣きたくなるほど嬉しい笑顔なんて、俺はほかに知らない。
 貴方はなかなか本当の笑みはくれないから。
 何かに耐えるようにいつもどこか違うところを見てるから。
 だから嬉しいんだ。俺を見て笑ってくれるのが。俺のために笑ってくれるのが。
 とんでもなく……嬉しい。


 ……きっと俺は浮かれていたんだと思う。
 このとき、かなり浮かれていたんだ。
 一番大事なものを見失ってた。一番大事にしようと決めたものをほったらかしにしてた。
 ただ、一番大好きな人に浮かれて。
 そのときも刻々とその時を刻んでいるのかもしれないということを忘れてたんだ。
 忘れちゃいけなかったのに。
 忘れることは、いけなかったのに。


「あら? 強吾君、携帯がなってない?」
 かすかな振動音に気づいた志津子さん。
 うわやべと思ったのは事実。だってこういうときは電源を切っておくのがマナーだろ。
 志津子さんに断って携帯の表示を見る。
 そのときどんな顔をしていたのか、志津子さんがどうしたのかは覚えていない。
 ただ、表示されている文字とその無機質さだけは鮮明に覚えている。

 音原総合病院
 
 その文字を認識したとたん、志津子さんのこともデート中だってことも忘れて、ただ頭が真っ白に染まるのをかんじていた。
BACK  TOP  NEXT


inserted by FC2 system