ねえ、貴方の心の中にいる人はどんな人なんだろう。


 すずめの鳴き声で起きたのはいつ以来だろう。
 これでも寝つきと寝起きは良いほうで、由菜の手を煩わせたことがない。あ、これ一応自慢ね。
 だけどこのときばかりは自分のおかれた状況が分からなかった。
 見慣れない、だけど知ってる部屋。
 クリーム色の天井を見ながら泣いたのは昨日だ。
 でも、確かここって……1DKじゃなかったっけ!?
 ばっと起き上がると確かにそこは志津子さんの部屋だった。
 あ、あの後帰らなかったんだ……。って俺って馬鹿!?
 何で女の人の部屋に泊まってんの!?
 しかもその人想い人だし!
 正直パニックだよ、この状況! なに、これ!?
 うわ、なんだか照れくさいんだか恥ずかしいんだかわかんない……。
「あら、起きた?」
 志津子さんの声が聞こえた。
 そういえば俺、結局この人に抱きしめられながら寝ちゃったんだな。しかも泣きながら……。
 ……情けない……。
 真っ赤な俺の顔を見て、志津子さんはクスリと笑った。
 優しい微笑にドキッとしてしまうのは俺が未熟者だからだろうか……。
「強吾君、好き嫌いは?」
「え、と。ないです……」
 ドキドキしながらそういった。
 ウワ、顔が熱い……。
 そういえば泣き顔も結局見られちゃったしな。
「顔を洗ってらっしゃい。すぐにできるから」
 そういって、キッチンに去っていった志津子さんの背中を見ながらなんともいえない気分になる。
 そっか、志津子さんの手料理……食べられるんだ。ウワラッキーって思って良いのかな?
 いや、でもさ。普通に意識してないんだろうな、あの様子じゃあさ。
 一人でぐるぐるしてるのって結構かっこ悪いなー。
 そう思いながら、じっとしてるのもなんなので洗面所を探しに腰を上げた。
 ウワ、やっぱりここ一部屋しかないよ。
 キッチンとは別みたいだけど……って、志津子さんどこにねたんだろ。だって、ここベットじゃん!
 ああ、穴があったら入りたい。
 心の中を乱しながらも、水を出す。そしてばしゃばしゃと大雑把に洗う。
 熱くなった頬に冷たい水が気持ち良い。
 そして手探りで志津子さんに用意してもらったタオルを探す。
 ふと、柔らかい手触りをかんじた。
 ふかふかのタオル。そのにおいは洗剤の香りなのにどこか新鮮。
 ――ああ、そうか。うちで使ってるのとは違うんだ。
 そう思ってまたてれた。
 この調子じゃ由菜に笑われるかも……。
 だけどいつもよりは良いかもしれない。
 今日なら深呼吸しなくても病室には入れるかもしれない。
 いつも、病室に入るときは気合を入れているから。
 泣き出さない気合を。
 だけど、今日はそんな必要ないかもしれない。
 本当に、あの人は魔法使いみたいだな。
 こんなに気分が楽になるなんて思わなかった。
 そしてそのまま寝たところに戻ると良いにおいがしていた。
「あら、グットタイミング。今できたところなのよ」
 そこには綺麗に盛り付けられているスクランブルエッグとバタートースト。
 自然におなかがすいてきた。由菜が入院すると食欲すらもうせるのに。
「ありがとう志津子さん」
 自然と笑みがこぼれる。顔が緩むってこういう感じ?
 そして座って、手を合わせる。そして一口トーストを食べるとバターの香ばしさが口の中に広がった。
 カリッとした歯ざわりがなぜかとても新鮮で。
 志津子さんは静かにコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。
 なんか意外だな。そういうことやらなそうなのに。
 だけど……やっぱり綺麗だな……。
「私は今日出かけなきゃならないんだけど、強吾君はどうする?」
「うん、と。今日は土曜だから由菜のところにいくよ。あ、あとお風呂貸してもらえないかな?」
 そう、考えてみれば昨日はふろに入らなかった。
 病院にいくのにそれはちょっとね。
 志津子さんはクスリと笑って、バスタオルのある場所を示した。
 あ、そうだ。だけど……
「大丈夫? 志津子さん、出るのが早いなら俺自分ちでシャワー浴びれば良いんだけど」
 ここでシャワー浴びれば由菜のところに直行できるけど、志津子さんが早く出るんなら別に自分の家でも大丈夫だし。
 志津子さんは少し笑って
「いいのよ。午後からだから気にしないで」
 だからいってらっしゃいと、手を振る。
 じゃあ、お言葉に甘えちゃおう。
 食べ終わった後志津子さんが案内してくれたバスルームへ行った。
 ……シャワー浴びるってこんなにてれることだっけ?
 いや、照れるもんじゃないだろ。そう思いながら服を脱ぎ捨てた。
 そしてとりあえず濡れないようにしようとするとシャワーの横の脱衣籠の中に指輪が残されてるのを見つけた。
 この指輪って……あの指輪だよね?
 志津子さんがはめてた指輪。多分お風呂に入ったときにはずしたんだろう……とおもうんだけど。
 きっと志津子さんにこれを送った人はきっと志津子さんを大事にしたんだろうな。
 じゃなかったらあんなに大事にはされないから。志津子さんがどんなものでも大事にする人でも。
 あんなふうに見つめはしない――。
 考えてみれば、俺だって志津子さんだけが大事なわけじゃない。
 由菜はもちろん、慧治だって父さんだって大事だ。
 それなのになんで、こんなに胸が痛むんだろう。
 恋っていうのは厄介だと思う。
 どんなに些細なことでも一喜一憂して、どんなに些細な関係でも嫉妬できてしまう。
 なんて愚かな、なんて愛しい感情。
 そんな自分が嫌いじゃないけど、ちょっとだけ疎ましい。
 ただ、何も求めないで愛せるのならきっとその人は聖人になるべき人なんだと思う。
 でも俺はそんなふうにはならないから。
 思考を振り払うように首を振った。
「まだまだこれからこれから」
 不安がないなんて嘘だ。だけど、不安よりももっともっと大きなものが存在していて。
 昨日の自分よりも成長しているような気がして。
 だからこそ、この立場をいとしんでいられるんだと思う。
 たくさんの好きとたくさんの愛を貴方にあげられるこの立場を。
 少しでも返してくれたらどんな気分になるんだろう。
 それを無理強いはしたくないけど、そう望むのは俺で。
 だけどそれが傲慢だなんて思わない。
 だってこの恋に勝つのは俺だから――。


「あら、師原来たの?」
 由菜の病室に行ったらなぜか桑田がいた。
 良いんだけどね、別に。ただ先こされたのが兄としてショックというかなんていうか。
 どこで知り合ったのかは知らないけど、いつの間にか桑田と由菜は知り合いだった。
 悪い虫とかつけたくないんだけどな、俺。
 桑田は良い奴だけど、教育上良い奴ではないと思うんだよね。
「お前の愛しの君はどうしたんだよ。それに今日は合コンじゃなかったっけ?」
「あら、あんたこそ志津子さんとデートじゃなかったの? それとも結局あのプリントできなかったわけ?」
 ううう、こいつに何か言うと100倍に返ってくる気がする!
 くすくすと由菜が笑うから良いけどさー。いつもだったら結構しんどいようになるしさー。
「由菜、今回はどのくらいになりそう?」
 そう聞くのは入院期間のこと。
 退院が遅くなるならもう少し準備しなきゃならないし、学校のほうにも連絡を入れなきゃならないから。
 由菜は笑って
「今回は明日にでも退院できるって。だいぶ体調も良いし」
 由菜の言うとおり昨日よりだいぶ良い。
 昨日の発作がたいしたことなかったみたいでほっとした。
 桑田は笑って
「よかったわねー、退院したらケーキバイキング行きましょうね」
 とお姉さんのようにいう。って、それって桑田が行きたいだけだろ。
 だけど由菜が嬉しそうにうなずくから何もいわなかった。
「で、本当に志津子さんとのデートキャンセルしたわけ? どうせだったら……」
「デートは昨日だったし、志津子さん今日出かけるっていってたから」
 そう答えると桑田はにやりと笑った。
「あら、デートかしらね。本命との」
 ……こういうところが意地悪いよな、桑田。
「志津子さんはちゃんとそういうことならそういうことって言うよ。それに志津子さんに本命はいません」
 なんたって志津子さんはあきらめてほしいんだからね。
 本命がいたらいたでちゃんというだろ。
 ……多分。
「ふ、本命候補にも上がんない奴には恋されてるのにね」
 ……傷口をえぐられたっていうかなんていうか。
 由菜は困ったように
「お兄ちゃん、大丈夫?」
 ときいてくれる。本当に桑田に比べたらなんて優しいこなんだろ!
 俺の愛しのマイシスター!
「大丈夫、俺負けないから!」
 ガッツだけはあるんだぞ、俺は!
 桑田があきれたように笑うのは……見ないふりをしよう。

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