どうして俺達は子供という枠に収まっているんだろう。
 恋する気持ちは誰だって一緒なのに。


 なんだか江原が元気がない。っていっても俺も結構元気ないけどさ。
 だってそうじゃん。昨日の今日で元気なんてあるわけがない。
 だけど、江原の元気のなさのほうが気になった。
 だって、それって多分相楽っちがらみだと思うんだよね。
 というかそれしか考えられない。だけどその理由も分からない。
 何でそんなに落ち込んでるのか。それが分かったのは昼休みだった。


「え、相楽っち学校変わるわけ?」
 なんでそういうことになってんの?
 俺の疑問がわかったのかそうじゃないのか、わざわざ桑田が注釈してくれる。
「変わるんじゃなくてやめるのよ。ここは私立だから公務員じゃないもの。ほかの私立に雇われるか、公務員試験を受けるかしなきゃ。それに時期が時期だから塾講師のほうが先になると思うし」
 ……毎度毎度思うんだけどさ。桑田って頭が良いからか分からないけどもう少しゆっくりと話してくれなきゃ、容量がそんなにない俺の頭じゃ理解できないんだけど。
 それでも必死に理解しようとしている俺に気遣ったのか、今度はゆっくり説明してくれる。
「やめるっていったって、今のご時世教師の居所なんて限られているでしょ? 少子化問題真っ最中だしね。まあ、でもその分教育ママとか増えているから就職口がまったくないってことはないんだろうけどね」
 ああ、なるほど。つまりここをやめたらすぐには教職には就けない……ってことだよね?
 でもなんでそこまでしてやめるのかがわかんねーよ。
 ……もしかしてお姉さんがらみなのかな?
 確かに相楽っちならありえるけど……だって恋愛に行きそうな男だもん。
 いつもは無気力のくせにさ。だけど……やっぱり好きな人がほかの人と幸せそうに恋をしてたらそうなるのかな。
 辛いだろうな。逃げ出すんだろうな。
 だけど……。
「本当にやめるわけ?」
 そうなったらどうするんだろう、江原は。
 絶対俺、江原は相楽っちのことを好きだと思うんだ。
 だから、相楽っちが好きになるのは江原だと思ってだんだ。
 なのに相楽っちがいなくなっちゃうの。
 志津子さんもいなくなっちゃうのに。
 何だか思い知らされる。現実に俺達は彼らと同じステージには立ってないんだって事。そういわれてるようでなんかむかむかする。
「……なんか、こうなるとやっぱり俺たちは子供なんだってこと突きつけられる気がするな」
 そういうと江原が驚いたように俺を見た。
「なに? 師原らしくないじゃない。どうしたわけ? アキ兄だってそんなに早くやめられるわけじゃないわよ」
 そういってくれるのはきっと知らないからだろうな。
 でも言いたい。聞いてほしい。同情とかそういうのじゃなくて、ただ純粋に。
 心の中を開け広げたい。
「まあ、ありがちで予想済みだった話だ」
 そう前置きした。無意味な同情なんか寄せられたくないっていう小さなプライドで。
 だけどそういうプライドこそが俺と志津子さんを分け隔てる差って感じでちょっと自分が嫌いになる。
「……志津子さん、アメリカいくんだって。何年いるのかは分からないってさ。それで落ち込んでんの。……女々しいだろ?」
 無理やりそう笑って見せた。
 だって笑ってないとやってられないじゃん。
 悔しくて、自分でもどうしようもなくて。
 ホント……女々しいね。
「なんかさ、こうなってくると俺たちが子供だからっていう事が強調される気がするんだよな」
 それが俺のしこりになっていて。江原にもそれがあって。
 きっと子供という枠内は大人と違って広くなくて。
 行動するのも無理で。
 ただ指をくわえて現状を見ているしかできないような錯覚に陥る。
 でもよくだけは人一倍。
 対等になりたくて、必死に背伸びして。
 だけどそれでも足りなくて。
 俺達は埋まらない距離を思って涙を流す。
 踏み入れられない距離はどうやったら埋まってくれるのかも知らないまま。
「ねえ、前から聞いてみたかったんだけど聞いてる限り全然脈はないと思うんだけど、何で諦めるって選択肢がないわけ? あんたには」
 ふと、桑田がそう聞いてきた。
「あんたさ、志津子さんとの年の差って考えたことある? 4歳よ? まあ、大人になっちゃえばそれくらいの年の差は普通にあるし、私達ぐらいの年で大学生と付き合う子だって確かにいるわ。でも、私達にはあまりにもその差は大きい」
 そうだな。この大きさを俺は今自覚している。
「確かに諦めないとか諦められないとかいうのなら私にも納得できるの。でもさ、あんたの言動を聞いてると諦めるという選択肢すら考えてないような気がするんだけど、間違ってる?」
 ……どうなんだろう。俺は諦めると考えたことがあっただろうか。
 多分ない。諦めるとか諦めないとか考えたことはない。言葉に出したことはあっても、少なくとも本気で考えたことはない。
 運命という言葉で当たり前だと思いたかったんだ。志津子さんに惹かれたのは。
 だから……。
「間違ってないよ。俺は「志津子さんのことを諦める」ってこと考えたことないもん」
 江原の視線を感じた。きっと真意を確かめようとしてるんだろうけど……俺にそういうこと隠し事できるわけないの知ってるだろ。
 近いことは思わざるおえなかったけど、諦めるということを思ったことは多分ない。
 だって、そう思わないようにしてたから。
「あーと、無意識だったらどうにかしようとしたんだけど、もしかした故意にそういうこと考えなかったわけ?」
 桑田があきれたように言うけど、しょうがないじゃん。
「あったりまえじゃん。毎回毎回志津子さんに遠まわしに言われていて故意にそう念じてなきゃ考えるに決まってんじゃん。俺、単純だもん」
 そこで俺は一息ついた。きっとこれは俺の誓いの証。
 「だってさ、俺たちの関係ってそう考えたら一気にそこに向かわざる終えないような関係だよ? 向こうはスペシャルな女の人で俺はまあ、高校の落ちこぼれ。しかも相手はもうすぐアメリカ行き。そこでいい人がいてあっちで結婚っていうふうになるかもしれない。そうなっても不思議じゃないよ、少なくとも志津子さんが俺に惚れるよりはさ」
 はるかにそっちのほうが可能性が高いんだ。悔しいけどさ。
 俺よりも頼りがいがある年上になびくのは仕方のないことだろう?
 どうがんばっても俺は高校生でしかないんだから。
「だから俺は諦めるなんて考えない。そう考えた時きっと俺はそっちのほうに行くから。そう確信がもてるから俺はそう考えない。そんな選択肢いらない」
 そう、諦めるなんて可能性を考えて暗くなるよりも、明るい未来を探したほうが絶対得だ。
 暗い未来なんてちょっと横向けばあるけれど、考えることは自由なんだから。
 そして実行しようとする努力も。
「……もしそれで傷ついても? 志津子さんと師原が傷ついても?」
 江原がこわごわと聞く。
 うん、そうだな。傷つくかもしれない。江原がそれを怖がってるのも分かるよ。だけど……
「俺は志津子さんのことで傷ついてもいくらでも笑ってみせる自信がある! 志津子さんが傷つくのに気づいたらそうならないように他の方法でアプローチすればいい。諦める布石としてはぜんぜん足りないよ。なあ、少しでも最上の幸せへの可能性があるのならそれに賭けてみるのも子供ならではの特権だと思わないか?」
 まだまだ運命の出会いをあきらめられるほどのことなんて起きてない。
 そう俺は信じてる。
 だからこそ、俺は志津子さんの別れの言葉を封じたんだ。
 だって、まだあの人は手の届く場所にいるから。
 まだ、手の届かない場所になんていってないから。


「どうして穂夏は暁灯先生にそんなに夢中なのかなって思ってた。暁灯先生が誰のこと好きだって事は分からなかったけどね」
「なんていうか、穂夏の暁灯先生を見る目がね、なんだか微妙な目なんだよね」
 江原が語った相楽っちと江原の間にあることをきいて桑田はそういった。
 だけどさ、それって……よくわかんねーんだけど!
「何でお前はそういうあいまいな表現するかなー、分かるように話せよ」
 俺がそういうと桑田はあきれたような顔をする。句、馬鹿にするのもいい加減にしろよ!
「世の中はあんたみたいにはっきりしないことのほうが多いのよ! あんたみたいに白と黒しかないわけじゃないんだから!」
「なんだよ! それ! 俺にだって灰色くらいあるわい!」
「うそつけ! 単純思考しか持ち合わせてない本能で動く男の癖に!」
「なんだと!」
「なによ! 何か言い返したいことでもあるわけ!?」
 ううう、そんなに単純か俺は!
 桑田のほうが単純じゃんか! そりゃちょっとは頭良いかもしれないけど絶対ふくざつじゃない!
 そういおうとする前に江原に止められた。
 ……江原ってこういうことうまいよな。何かを仲裁するの。そこはさいのうよなーなんてくだらないことかんがえた。
「まあ、あれなのよ。穂夏って暁灯先生が穂夏のほうを向いてなければ切なそうな目で見つめまくってるって自覚してる?」
 桑田が話を元に戻すと江原は首をかしげた。そしてだんだん顔が赤くなって否定してる。
 ……本気で分かってなかったんだろうか。俺でもわかったぞ。
「あ、そうだよなー、俺ずっとそれで相楽っちのこと好きなのかと思ってたもん」
 というかそうとしか考えられないんだけど。
 だけど江原はそれは通り過ぎた感情だっていう。
 相楽っちに恋をしていたけど、それをあきらめたって言う。今あるのは同情だって。
 だけど……そんなに簡単なもんなのかな。
 少なくとも江原の瞳は恋する瞳によく似てた。
 ただひたすらと相手を見つめるその瞳。
 そこまで入れ込むのは本当に昔の恋の相手だったから?
 なんとなく納得いかない。
 だって本当に同情だなんて言葉であらわせる感情なわけ?
「同情だったらそんなにのめりこまないんじゃねーの?」
 俺がそういうと江原は複雑そうな顔をした。多分江原自身でも分からないんだろう。
 恋と同情の区別がつかないほど江原が相楽っちにたいする想いは強くて。
 あまりに強いから判別不能なんだと思う。
 そういう時って多分ある。だって、大きな地球を俺達はどうやったら全部把握できる? こんなちっぽけな体で。
 それと同じで江原の思いも全体が把握できなくて、名前がつけられないんだと思う。
「……俺さー、実は江原が相楽っちのこと好きだと思ってて、すっげー羨ましく思えたんだよね」
 だけど……ちょっとうらやましかった。
 江原は恋人じゃなくても相楽っちとの仲に名前をつけられるんだなと思って。
 教師と生徒でも、義兄妹でも。名前をつけることができるんだなって。
「俺と志津子さんは恋愛じゃないと不自然なわけ。恋愛から始まったから友達にはなれないと思う。友達になろうっていわれたって俺の想いが強すぎて多分志津子さんはさりげなく離れていくんだと思う」
 俺と志津子さんはそうはいかない。だって俺が恋してなきゃまったくの赤の他人だもん。
 友達でもなんでもない。ただの他人になってしまうから。
 友達にもなれないんなら恋人になるしかないじゃない。
 だからこそ、俺はこんなに必死なんだ……。
 こんなちっぽけな関係でも消さないために。
 こんなに必死になれるんだ。
「だから、俺は江原が羨ましかった。どんなに辛い関係でも、江原は相楽っちと切れない関係があるから。どんなに切ない関係でも、俺はそれがほしかった。けして離れない絆がほしかった。でも無いから自分で作るしかできないんだ。だから自然にそんな関係がある江原がすっげー羨ましかった」
 どんなに辛くてもあの人につながってるなら嬉しかった。
 初めて出会った日。初めて告白した日。初めてデートした日。初めて志津子さんの部屋に行った日。
 全部俺には志津子さんにつながっていて忘れられない宝物。
 だけどその一つ一つはあまりにもろくて、全部あわせても切れてしまいそうで。
 だからこそ、恋人でもない強い絆を持っている江原がうらやましかった。
 ……あの人の恋人になるのが一番幸せだって知ってるのにね。
 そんな俺を江原は情けないとは言わなかった。それどころか
「私は……、私は! 師原が……師原が羨ましかったよ! ずっと志津子さんを見つめて、自分の感情に正直な師原が羨ましかった! 私は諦めたから、諦めない師原が羨ましかった!」
 と真剣に言ってくれた。
 俺達はきっとお互いがうらやましいんだ。お互いになりたくて、でもなれないから自分の道を行く。
 だけど、江原。
 きっとお前の恋はまだからすべきじゃないと思うよ。
 だってまだ俺達子供なんだからもっとわがままでも良いと思うんだ。
 距離を持っているのが子供だからなんだとしても、強くいられるのも子供だからだと思うから。


 俺らは知らなかった。この後の大人の卑怯さに。
 そして大人の弱さに。
 だけど、それでもまだ俺達は可能性を信じていたかったんだ。
 自分の望んだものが手に入るのだと。
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