きっとずっと俺より傷ついていて、臆病な人。


「え、なにそれ……」
 朝起きたら携帯にメッセージが入ってた。
 それはひどく珍しいもので、ちょっと聞くのにドキドキした。
 大体志津子さんはメールでしかやり取りしないから朝早く聞くだろう彼女の声にドキドキしっぱなし。
 センターに問い合わせて、留守録再生。
 そこに残ってたメッセージは……
『明日旅立つことになりました。急なお別れでごめんなさい。もう会えないかもしれないけど、元気でね』
 ただ、それだけ。
 なんだよ、それ。明日って……もしかして今日!?
 それはあまりに急すぎる別れ。
 だって、知ったのだって対最近なのに展開はジェットコースターにも負けないなんて。
 こんなのありなのかよ!?
「由菜! 俺、ちょっと出てくる!」
 俺はそういい残して、着替えもそこそこにはきなれたスニーカーをつっかりながらはいて全力疾走。
 これでも体力には自信あるぞ!
 だけど……どこいきゃいいんだ。
 成田? 成田で良いんだよな?
 くそ、電車の時間ぐらい確かめて置けばよかった。
 財布は、……よかった。一応ある。だけどそんなに入ってるわけじゃないから電車かバスしか使えないし!
 あー、もう。志津子さん、本当にこんな別れ方がしたかったわけ!?
 ずるいよ、それは!
 それはあまりにずるいよ!
 そんなことしたら俺達きっとずっと宙ぶらりんで。
 どこにも進めないし、何より俺がいやだ!
 だから、まだ行かないで。
 お願いだから俺が行くまで、行かないで。
 貴方の返事を聞いてないし。
 まだまだ二人でたくさんやりたいことあったのに。
 由菜にだってあわせたかったよ。
 一緒に江原と相楽っちの話をしたかったのに。
 何で、こんなに急に?
 停留所に止まっているバスに乗り込んだ。
 息が切れて、目がちかちかする。
 酸素が足りていないのか、なかなか息が整わない。
 だけど脳に酸素が回り始めたのか、頭の中のごちゃごちゃが整理され始めていた。
 ……違うね。きっと貴方はぎりぎりまで話さなかっただけなんだ。
 きっとこうなることを予想して、間に合わないことを望んで俺に別れを告げたんだ。
 ねえ、それは俺のため?
 傷つけることを恐れたため? それが貴方の優しさ?
 そんなのいらなかったのに。傷なら跡が残る傷を残してくれたほうが嬉しかったのに。
 どうして……。
 激しい呼吸の合間にそう思う。
 貴方に今会えるならどんなことでもする。
 きっといつかじゃ駄目だから。
 きっと今伝えないといけないことだから。
 ……貴方が好きだって。
 貴方を愛してるって、今度こそ伝えさせて。
 そして貴方の返事が聞きたい。
 例えそれが終焉を意味していてもそれでも……俺は……きっと何かを得ることができるだろうから。


 成田に着いた直後、ダッシュでアメリカ行きの搭乗するところを探す。
 早く見つけなければ志津子さんは行ってしまう。
 早く、早く……。
 だけどなかなか見つからない。何だってこんなに人が多いんだ!
 人が多ければ良いってもんじゃないだろ!
 理不尽な苛立ちを感じながら、それでも目はくるくると志津子さんを探し続けてる。
 考えるよりも早くこの瞳は貴方を探そうとするのだろう。
 それなのに、もう見れなくなるのなんて嫌だ。
 そんなの……いやなのに。
 志津子さん、お願い見つけさせて。
 貴方はきっと運命の人なんだと思ってる馬鹿な男に。
 少しの情けでもあるのなら。
 お願いだから、まだ別れを告げないで。
 そう願いながら志津子さんを探す。
 すると一筋の光明が見えた気がした。
 絶対あそこに志津子さんがいる気がする!
 そこにずかずかと周りを気にしないでそっちのほうに進む。足踏んだ誰か、ごめん! だけど俺の幸せのために我慢して!
 そして案の定志津子さんの驚いた顔を見た。
 神様のいたずらにはいつも泣かされてばかりだけど、志津子さんに関してはすっごく感謝してるよ!
 ありがとう、神様!
「志津子さん、見つけた!」
 それは本当に一瞬に近い奇跡。きっと後には儚く消えてしまいそうな。
 だけど運良くそれをつかめた俺はラッキーだったと思う。
 それは志津子さんにとってはラッキーかアンラッキーかはわかんないけど。
「……強吾君……」
「なんだよ、これ。説明してよ。こんな逃げるように去らなきゃならないほど俺のこと嫌いだった? 別れの言葉も言わせないほど、俺のことうっとうしかった?」
 ああ、本当はそんなこといいたくないのに。
 貴方のそんな顔をさせたくなんかなかったのに。
 だけど問い詰める言葉だけが反射的に出てしまう。
「わかんないよ、どうして貴方が何も言わず去ろうとしてるのか。志津子さんらしくないじゃない。こんな終わり方、ぜんぜんらしくないよ」
 志津子さん、ねえ。貴方はどうしてそこまで一人で背負おうとするの。少しぐらいの荷物ならもてるのに。
 何ですべてを抱えて去ろうとするの?
 そして何より……
「俺は貴方が係わり合いになりたくないほど、嫌われてたんですか?」
 その言葉が怖かった。
 うなづかれたら俺はきっと抜け殻になってしまう。
 すべてを嫌いになってしまう。
 だけど、それより辛いのは貴方がそんな不幸のどん底にいるような顔をしていることだ。
 ごめんなさい、傷つけるのは俺だった。
 いつか叶うと信じていた想いは、あなたにとって凶器だったの?
 志津子さんは首を振る。いつものように静かに。いつもよりも傷を負った瞳で。
「……そうじゃないの。そうじゃないけど……貴方が恨んでくれたら良いって思ったのは……」
「……恨む?」
 俺が眉をひそめて問うと、志津子さんはいつもより激昂した様子で悲鳴を上げ始める。
 そう、それはまさに悲鳴のようだった。
「だって答えられないもの! 貴方の好意には答えられないもの……私だって何度も思い直そうとしたわ。だけど、貴方を目の前に何も言えなくなると思ったのよ」
 だから黙って消えたら貴方は私を憎んで忘れてしまうと思ったの。
 志津子さんは泣きそうな目でそういった。
 本当に辛かったの? どうして辛かったの?
 そう問えることはできなかった。だって、それ以上言ったら志津子さんが消えてなくなりそうな気がして。
「『あの人』に似ていた貴方は苦手だった。……だけど惹かれてた。だからこそいえなかったのよ。貴方を傷つける言葉なんて。あの人を傷つける自分なんて見たくなかったの」
 志津子さんは涙を流さない。
 貴方はどうしてそう、我慢ばかりするんだろう。
 最後だと思っているのなら、何で。
 志津子さんの手が頬に触れる。それはいつかかんじた感触。今とその時の差に涙が出そうだ。
「ごめんね、強吾君。これは私のエゴだから、それが失敗しただけだからそんな顔しないで」
 違うよ、志津子さん。その台詞は俺がいうべきだ。
 だって見たことないよ、そんな切なそうな笑顔なんて。
 見たくなかったのに――。
「貴方のこと嫌いじゃなかった。むしろ大好きだった。だからこそ、答えることなんてできなかったの。どうしても比べてしまうから、『あの人』と貴方を」
 ねえ、その顔は俺のせい? それともあの人のせい?
 わからないよ。どうして貴方がそんな顔をしなきゃならないのか、分からないよ。
 貴方は俺を突き放せなかっただけなの? 『あの人』に似ている俺を邪険にできなかっただけ?
「俺が『あの人』に似てるから親切にしてくれたの?」
 そう聞くと志津子さんは静かに、だけど明確に否定してくれた。
「……それに『あの人』は関係ないわ。貴方が貴方だから手を貸したくなっただけよ。……大体あの人は私の手なんて必要ない人だから」
 そしてメモ帳から破ったのか、その紙片だけが手に残された。
 そこには見慣れない数字の列。その正体を聞こうとすると志津子さんは首を振った。
 そしてアメリカ行きのアナウンスが流れると志津子さんは向き合っていた体を回転させて、俺に背を向けた。
 それはきっと彼女なりの決別の合図。
 俺は伸ばしたくなる手を必死に押さえつけた。これ以上彼女の重荷になることは嫌だったから。


「さようなら」


 肉声で聞こえるその音はひどくさびしく、ひどく悲しかった。
 なんて人だろう。
 この人は最後に俺に希望を残していった。かすかな望みを生んでいった
 去っていく背を痛くなるんじゃないかって言うほど見つめながらそう思った。
 だって志津子さんは俺だから手を貸したって言っていた。
 そこで嘘でも良いから『あの人』に似てたからって言えばよかったのに。
 比べることはしても、志津子さんは『あの人』と俺を一緒にしなかった。
 同一視しないで、俺と向き合ってくれたんだ。そして俺のことを好きだといってくれた。
 都合の良い考えかもしれない。だけど、そう考えてしまうのは……まだあきらめきれない証拠だ。
 そんなふうに中途半端に希望を残していく志津子さんは嫌いだ。
 だけどそれは志津子さんが好きだから。
 好きだから嫌いで、でもだから好き。
 突き放しきれていない貴方が好きだ。甘い甘い貴方が。
 本当に隙なんかなさそうなくせに。こんなに大きな爆弾を置き見上げにしてしまう貴方が。
 大好きだ。
 もうすべてが終わった恋かもしれないのに、炎はまだ燃え盛る。
 この炎を俺はどうしたら良いだろう。どうしたら……消えずに残っていくんだろう。
 それが多分、俺の願いだと思う……。
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