1旅たちの日 天界――そこには神と悪魔族と天使族がいる。 神の姿はさまざまだが、悪魔族は鮮やかな赤い髪に深紅の目。天使族は金髪にライトブルーの瞳をしている。それに天使族の頭の上には輪があり大きく真っ白な翼が生えている。一方悪魔族は先がとがった細い尻尾とこうもりのような羽が特徴だ。 彼らはともに生と死をつかさどり、ほかの世界へ魂の循環を仕事としている。そうして神に仕えている。 彼らと神以外、いるはずのない世界――のはずだった。 けれど、神以外にこの特徴を備えていない者たちがいる。 そのものたちをほかのものはこう呼ぶ、血に塗られし子供――レッドチャイルド――と。 「まだなの!!早くしないと遅れるわよ!!」 赤い髪をひとつにまとめて腰までたらしている少し強気そうな女の子が自分そっくりな男の子に声をかけた。 というか怒鳴っているようだ。少女特有のきんきんとした声が耳につく。 しかしそれはいつものことなのか、彼――ゼルは平然として荷物の整理をしていた。 「まだ時間はあるだろ。ロイはまだ挨拶しているだろうし、早く行ってもしかたがないじゃないか」 「そんなこといってまたあいつに馬鹿にされたらどうするのよ!!」 彼女――リリルは我慢ならないように憤慨した。 けれどリリルのそんな様子もゼルにかかってはどこ吹く風のようだ。 「それは俺が困らないから平気。それよりロイのほうが心配だな……なんかされてないといいけどな」 その言葉を聴いた瞬間、リリルの顔がこわばったことをゼルはしっている。そしてそのこわばりが一瞬のうちに取り繕われたことを。 「……それよりなんでこんなに荷物がいるのよ!必要な物はその場で手に入れればいいでしょ!!」 リリルは弟のゼルが呟いた言葉を聞かなかったふりをした。 そうでもしないとそのことが真実になってしまいそうなのだろう。 ゼルもそのことには触れずに 「だってよく人間達が言うじゃないか。「備えあれば憂いなし」って。あわてない、あわてない」 といいながらも姉の顔色を窺う。 リリルがその話題に神経質になっているのは昔からだ。 初めてロイと出かけたときからそうだった。 リリルは今、表面上は顔色を変えていなかったが、ゼルはその顔色は信用できないことを経験上知っていた。 リリルは感情が表に出やすいように見られるが、実際は心の奥底でなにを考えているか分からないときある。例えそれが弟のゼルでも。 そういう時のリリルの気持ちを的確に理解できているのはロイ。 だからこそリリルはロイに執着する。自分を分かってくれている中の一人だからか、彼女も炉意を理解しようとしている。 「本当に……このままあの人の下を離れて大丈夫かな?」 きっと今頃別れの挨拶をしているに違いない黒髪の親友を姉よりも若干色素の濃い瞳の奥に姿を描いて、苦笑する。 自分も姉と同じように彼のことを過保護なほど心配しているのに気づいて。 「せめて一緒の配属になれたらいいな……」 そうでなければもしかしたら一生あえないのかもしれないから。 どうか自分に関係ある人がすべて幸せであるように。 それは本当に奇跡だけれど、確立は0ではないのだから。 そして何より、闇色の深い瞳を持つ幸薄き親友にとわの幸せを……。 神に祈るではなく運命にゼルは祈った。 神でさえも万能ではないことをゼルは知っていたから。 だって、そうじゃなければレッドチャイルドなんて生まれるはずがない。 「……では行ってまいります。どうかお元気で、ナーリュス様」 「おまえは結局私には敬語でしか話しませんね。友達とは普通に話すのに……」 ナーリュスは少しいじけた顔でそう呟いた。 この目の前の黒髪の少年にも聞こえるように。 美しい銀の髪を腰までたらし、威厳を保ちつつも穏やかな印象を与える十賢神。 普段のナーリュスにはそんなイメージを持つものが多い。 しかし時々気まぐれのようにまるで子供のように拗ねる事がある。 それは気心を知れた相手にしかしないのだから不快ではないが、困惑はする。というかそれを知っていてやっているのだ。 ロイはため息をついてナーリュスを見た。 「あなた方、十賢神の方々に馴れ馴れしく話せるほうがどうかと思います」 「おやおや、ロイは私の子ですよ?なのになんで馴れ馴れしいとかでてくるのでしょうか?」 それを聞いたとたんロイは複雑な気持ちになった。「子」と言う言葉を聞いて。 ロイにとってその言葉は自分の呪われた存在であることを思い出させる。 「レッドチャイルド」である自分。最初から呪われている自分。 レッドチャイルドは呪われた存在だった。 昔、悪魔族と天使は役割の違いからか神を悩ますほどに種族間の争いが絶えなかった。 思えばその争いの中から生まれたレッドチャイルド。それは両種族に自分たちの罪を思い出させるものなのだろう。 両種族の仲を神が取り持ち、同じものを敬い、仕えていることもあるだろう。彼らの仲は急速に友好なものへと変換されていった。 けれどその変化に逆らうものも当然出てきた。問題はその中に神の力をも凌ぐといわれた魔力の持ち主がいたことだろう。 神の神通力と同じような力とされているのが、天使族の聖力、そして悪魔族の魔力である。 天使族、悪魔族の力は通常神の力とは比べ物にならないくらい弱いが、たまに神と同等ぐらいの力を秘めて生まれてくるものもいる。 それが、レッドチャイルドを作り出したリューラ=デビルという者だった。 リューラは両種族の仲の好転を嫌い、そんな仲間ともども姿を消した。けれどそのときに呪いを両種族に与えたのである。 ――両種族の間にできた子供は種族の恩恵は受けられぬと。 この天界は神が住む地だからか膨大なエネルギーを発しており、神以外のものは住めないような場所だった。 そのエネルギーから自分の種族を守るために神は天使族、悪魔族の族長に特殊な力を与えた。 この地にいる限り、その力がバリアーとなって自分たちの種族を守れるような力を。 そして族長が替わるとその力が次の族長へと受け継がれるようになっていた。 その力を種族の恩恵と呼ばれていた。 しかし両種族の間に生まれた子供にその力は受け付けられなかった。 なので子供の親は選択を迫られることになる。――自分たちが死ぬか、子供が死ぬかという二択を。 なぜか両親の血を浴びせた場合その子供は種族の恩恵と同じくらいのバリアーが張られる。 しかし、それに必要な血は致死量をはるかに超えていたのだ。 天使族も悪魔族も不死ではない。ほかの世界の者たちよりは多少生命力は強いがそれでも必ず死ぬ。 つまり、子供を生かしたければ自分の血を浴びせ自分たちは死ななければならない。それがリューラの呪いだった。 親の死で生かされている子供を天使族も悪魔族も受け付けないものが多かった。自分たちが作り出した罪の証ということもあるが、自分たちが司っている生死が穢されたようにも思えたのだろう。誰もが忌々しげに彼らを見た。 だからこそ彼らは呼ぶのだ、「レッドチャイルド」と。親の命を奪い生きる子供という意味を込めて――。 ロイは思う。 なぜ父は、母は自分を産んだのだろう。なぜ両親は命を代償に自分を生きさせようとしたのだろう。 ナーリュスはロイにとって一番最初に自分を受け入れてくれた、自分に価値を与えてくれた人。 ロイはナーリュスに会って変われた。「レッド・チャイルド」であり、孤独であった自分から十賢神ナーリュス=フォーネストの養子に。 ロイはナーリュスが笑顔で迎えてくれたことによって救われた。だからナーリュスに自分の子だといわれるととても嬉しい。 けれど―――やはり何かが違うのだ。 彼は神の中でも地位のある十賢神という立場にある。 呪われた自分とはあまりに違う。そのギャップがナーリュスとの距離を遠くしていた。 ロイが悲しげに眉を寄せるのを見てナーリュスは苦笑した。 いつもこうなのだ、この我が子は。 手に取るように分かってしまうロイの思考。それがひどく切なく思えるのはなぜなのだろう。 確かに種族の違いというものはある。けれど、それでもナーリュスはロイを息子のように扱ってきた。 けれどロイはナーリュスに親として甘えたことがあるだろうか。――なかったようにナーリュスは思う。 嫌われているわけではないと知っている。とても懐かれていると、とても愛されていると知っている。 けれど、本当にロイに必要なものは甘えられる存在なのだ。 何の遠慮もなく甘えられる、そんな存在。 ほかの子供たちには当たり前のようにいる両親。そこから子供たちは愛を学んでいくというのに。 レッドチャイルドはそんな権利さえももっていない。 ただ、蔑みの目で見られ、憎悪や軽蔑に耐えながら生きる。 その存在がひどく哀れだった。ひどく、悲しかった。 ただ暖めてあげたかった。生まれてきてよかったと思わせてあげたかった。 だから抱きしめてあげたかった。愛を与えてあげたかった。 けれどそれができたのか、ナーリュスはいまだにわからない。 ナーリュスはロイの頭に手を置き、子供に言い聞かせるようにゆっくりと落ち着いた声でロイに言った。 「いいですか、ロイ、ここはあなたの帰る場所です。いつになってもいい、一度くらいは帰ってきてください。それまで私はまっていますから」 そういうナーリュスの言葉はひどく温かく、ロイはうつむいて頷くしかなかった。 そして顔を上げぬまま、「いってきます」とだけ言ってその場を去った。 顔を上げれば、その顔を見てしまえばきっと涙は止まらない。永遠の別れではないのだから、泣きたくはなかった。 それが本当に二度と会えなくしてしまいそうだったから。 おそらくナーリュスは笑顔で送ってくれたのだろう。そうだといい。あの人にはいつも笑っていてほしい。いつも一人だった自分を愛してくれたろうあの人。親と呼べる人がいなかった自分のために親というものを教えてくれた人。 次に会うときは言えればいい。「ただいま」と。そうすればあの人は「おかえり」と言ってくれるはずだから。 ロイはそう心に決めながら自分の行くべき場所に急いだ。 そこに行くまでに涙が止まってくれればいいと願いながら……。 ここは「運命の門」。正式名称はあるのだろうが、その役割からその名が通り名となっている。 その扉の前で少女が二人立っていた。 「運命の門」は配属する世界への通過点、またはそのものの世界へ繋がるゲート。 ここで天使族と悪魔族の子供はほかの世界へ配属される。 天使族は生を司り、魂が迷子にならないように生まれてくるべきところへの案内人。 悪魔族は死を司り、魂が循環されるまでの黄泉の国へと導く。 その担当区域がこの運命の門によって決まるのだ。 もちろんそこに一生配属されるものもいれば異動になるものもいる。異動になるときもこの運命の門によって決められるのだ。 行き着く先は神でも予想できないし、一緒に入っても別々のところに配属されることもある。 いや、その確率のほうがはるかに高い。数多くある世界で一緒にいられることのほうが少ない。 けれどルーナはあの四人と一緒にいられると確信していた。 (なんたって恐るべき「腐れ縁」だもんね!!まあ、あの女だけは別の世界に行ってもいいんだけど、やっぱり張り合いがなくなるのはやだし……。まあ、この三人が一緒ならどうせあいつも一緒だろうしね) ルーナは癖のある金髪をいじりながら姉のをほうを見る。 姉であるリーカルは静かに目を閉じている。 すらりと伸びたストレートの髪。色は同じなのに受ける印象はまるで違う。 ルーナはどちらかというとかわいいと言われることが多い。光の下がとても似合う少女で、子供特有の愛想のよさを感じさせる。 一方リーカルは落ち着いた雰囲気の少女で、綺麗だと五人に三人は振り返るような容姿をしている。 ルーナはそれを見ていつもうらやましく思えてくる。 (……本当に私もおねえちゃんみたいになれるのかな……? なんかロイもそっちのほうが好きっぽいし、ゼルなんて完璧にお姉ちゃんに惚れているし……) など考えていると不意に肩をたたかれた。 びっくりして振り返るとそこには闇色の瞳。 「ロ、ロイ!!い、いつからそこにいたの!?」 「ついさっき来たばかりだけど……どうかしたの?」 ロイが首を傾げるとルーナはぶんぶんと音が聞こえそうな勢いで首を横に振った。 「なんでもないよ!!うん、なんでもない!!」 表面で笑っていても、 (危なかった!!声に出してなくて本当によかった!!こんな事考えてるなんてロイに知られたら……ううう、考えたくない……) などとルーナの心は大慌てしていた。 ルーナの様子が変なことがロイは気になったが、リーカルがそれを少し呆れたように微笑んでみているだけ何もしようとはしないので、大事ではないことと知りほっとした。 「リーカル、遅れてごめん。リリルとゼルは先行っちゃった?」 ロイがリーカルにそう聞くと彼女は穏やかな笑みを浮かべた。 「ええ、二人ともラデルさまに挨拶をしておくんだって言ってたから先に行かせたの。コーラル様はまだいらしていらっしゃらなかったみたいだから私達が待ってることにしたの。まあ、リリルは最後まで粘ってたんだけどね」 ラデル様――ラデル=デビルとコーラル様――コーラル=エンジェは悪魔族の長と天使族の長だ。 きっと積もる話があるのだろう。彼らは長たちにひどく懐いているから。 「結果的にゼルがリリルを引っ張っていった形になるけど、あとで仕返しはされそうね。早く行って止めてあげなきゃ」 そういうリーカルはとても楽しそうで、ロイもつい苦笑してしまう。 思わずリリルガゼルに向かって文句を言っているところを想像してしまった。 「ルーナ、そろそろ行こう。ゼルを助けに」 今まで一人百面相をしていたルーナに声をかける。ルーナはわれに返ったように 「あ、うん!行こう!!」 とロイの手を握った。 そして赤毛の姉弟が待つ場所へ行こうとしてロイはふと振り返る。 (今日……僕はここを通る……) ドンと立つ「運命の門」はその先にあるものを何も語らない。 けれどなぜか見守られている気がする。 その先にあるのが幸せであることを願い、ロイはその運命へと歩き出した。 |