4.過去の夢と現在


『見なさいよ、あの羽……』
『やっぱりね、あの二人、どうも怪しいと思ったら』
『しかし、どちらもいい奴だったけどな』
『でもあんな子供ができちゃね〜』
『私だったらあんな子供のために死ぬものですか』
『ああ、気味が悪い。さっさとどっかにやってくれないかしら?』
『いっそのこと魔物に食わせてしまえば?』
『それでは魔物のほうが腹を壊してしまうわよ』
『いっそのこと、死んでもらえば?』
『ああ、それいいな』
『そうするとゴデル様の手を煩わせるだけだろ』
『じゃあ、消滅してもらえばいいのよ。魂ごと』
『そうだ、魂ごと消滅させろ。二度とどこの世界にも現れぬように』



 もう二度と、我らの目の前に存在せぬように




「……」
 ロイは眠い目をこすりながら周りを見渡した。
(たしか飛んでいて……どうなったんだ?)
 確か……森の中で寝ていた気がする。
 やっぱり疲れていたからか、ぐっすりだった。
 けれどここは森の中ではない。周りは見たことのない場所だ。
 これでは自分がどうなったかさえわからない。
(……とりあえず、移動しよう)
 そう思い、扉に近づく。どう開けるのか、ロイはわからなかったから引っ張ったり押したりしてみた。どうやら鍵はかかっていないらしく、簡単に開いた。
「へぇ、こうなってるんだ」
 こんなの、天界にはなかった。
 確かに家はあったがそれはただの囲われた空間でしかなかった。
 だから家の中に仕切りがあるのはひどく珍しい。
 ドアは運命の門に似ている気もするが、誰かが力を入れなければあかない。
 ここもどこかにつながっているのだろうか。


「あら、起きたの?」
 ドアを眺めていると、ドアの向こうから声をかけられた。
 驚くロイを見ながら、少女はくすくすと笑った。
 ロイはその笑い声で顔が赤くなるのを感じた。
 どうやら、今までドアで遊んでいたのが見られていたらしい。
 でもその笑い声はロイにとって心地よく感じられた。
 それは多分、今までと違い、嘲りが入っていなかったから。けして嘲笑されているわけではないと感じられたから。
「大丈夫よ。友達なら隣の部屋にいるわ」
 と少女はロイの正面にある扉を指差す。
 また扉だ。この家にはどれくらい仕切りがあるのだろう。
 というか、ここはどこなのだろう。
 わけはわからないという顔をしているロイに少女は呆れたように言う。
「あのね、言っとくけど誘拐じゃないからね」
 何を勘違いしたのか少女がそういうのを聞いて、ロイは自分の失敗に気がついた。
 思わず、少女の顔を凝視していたことに気づいたのだ。
「あ、あの、そんな事思ってません……。えっと、多分、助けてくださったんですよね?」
 ロイが誤解を解くようにそう聞くと少女はまさに意外だという顔をしていた。
 ロイはその少女の様子に首をかしげた。
 自分はそんなに驚くようなことを言っただろうか。
「……あんたたち、もう少し人を疑うことをしたほうがいいわよ。だからあそこに倒れていたんでしょ?」
 どうやらほかの四人も同じようなことを言っていたのだろう。
 少女は倒れたといったが、ロイたちは眠っていただけなのだ。
 だから助けられたという感覚はないのだが、おそらくこういうことはこの世界では変なことなのだろう。
 いい人に助けられたと思う。そうやって忠告してくれる人はいい人だ。ならばお礼を言わなければならない。
「あ、あの……」
「……あんた、名前」
「え?」
 ロイがお礼を言おうとするのをさえぎって、少女はロイの名前を聞く。
 それが唐突で頭がついていかない。
 ロイはおもわず間抜けな聞き返しをしたと自分でも思った。
「だから名前。人とのコミュニケーションはそこからでしょ?」
 少女は少々イラついた声で、ロイに迫る。
 ロイはやっとああ、名前を聞いているのだと理解して、
「あ、そうですね! 僕はロイ。ロイ=ガルダです」
 と頭を下げた。その様子に少女は戸惑ったようにロイを見る。
「……そう」
 その受け答えがロイには嬉しい。
 そんな風に答えてくれる人はほとんどいなかったから。
「あの……名前、聞いてもいいですか?」
 だからだろう、こんなことがいえたのは。
 初めて自分から他人に名前を聞けた。この人はそれを許してくれるような気がした。
 少女は少し考えた後、口を静かに開いた。
「アネット=セルナデェスよ、アネットでいいわ。それよりお友達のところさっさといってちょうだい。目が覚めてからずっとあなたのことを心配してたから」
 アネットはそう言って、ロイに背中を向けた。
 それは拒絶。ここに着て初めての拒絶だった。ロイが本来慣れているもの。けれど根本的にその意味は違うような気がする。
 アネットはロイだから拒絶するのではない。誰にでもそうするように、心によろいをまとうような拒絶。
 ロイの目にはアネットが独りで生きているように見えた。昔の自分のように。
 そして不自然なことに気がついたのだ。
 こんな大きなお屋敷なのに、アネット以外の人間が見つからない。
 おそらく倒れたと思われていたのなら、体を見られているだろう。
 ロイたちの背中には羽があるし、天使族の輪も悪魔族の尻尾もこの世界では珍しいもののはずだ。
 そんなものに大人はアネットを近づけるだろうか。
 それにここが「家」というのなら、ほかに人がいないのなんでだろう。
 親なしのロイだって、家に帰ればナーリュスがいた。それなのにここには誰もいない。
 その上、ここには生活感というものがないのだ。普通に生活していればこんなに殺伐とした空気ではないと思う。
 どこもかしこも寂しそうに見えた。
 こんなところでアネットはどう生活しているのだろう。
 人間たちはいくつも家を持っている人もいるというのだから、ここがいつも使っている家じゃないのかもしれないけれど。
 ロイはそう思いながら、言われたとおり正面の扉を開けた。
「……ロイ?」
 最初に反応したのはリーカル。そこに揃っていた四人を見てロイは安堵した。ほっと息をつくと同時に
「ローイー!!よかった!目が覚めたのね!!」
 とルーナがロイの胸元に飛び込んできた。
「あんた、起きたばっかでよくそんな元気があるわね」
 リリルはルーナを呆れたように見た。どうやらこの四人も起きたばかりらしく、ゼルに至ってはまだ眠そうな顔をしていた。
「どうやら俺たちはあの女の子に助けられたみたいだね」
 ゼルはそういいながら、扉の向こうを指差す。
 リーカルはそれに頷くと困ったように笑った。
「多分あんなところで寝るのは不思議だったみたいね」
 リリルが苦笑ながら頷いたとき、ドアがギーと音を立てて開いた。
 その音がここの家はあまり手入れがされていないことを裏付ける。
 そしてその音と一緒にアネットが入ってきた。
「……ねえ、私は夕食をとるけど、あなたたちはどうするの?」
「え、夕食?」
 ルーナが思わず外を見ると闇の中で月と星だけがただきらきらと光を放っていた。
「へー、人間界って暗くなるんだ。さっきまでは明るかったのにね」
 ルーナが思わず呟くと、アネットは怪訝そうな顔をしてルーナを胡散臭そうな目で見ていた。
「あんたたちってどこからわいてきたのよ。夜なんだから暗くて当たり前でしょ?」
「……まあ、あんたにとってはそうなんだけどね」
 横から口を挟んだのはリリル。めんどくさそうに頭をかきながら、アネットのほうをむいた。
「うーん、とりあえずあんたの言うとおりにしておく。これでも私達、ここに知り合いがいないのよね」
 なぜかえらそうなリリルにアネットはため息はついた。
 ドンと疲れが襲う。もう寝たい。
「……夕食は食堂においておくから勝手に食べて。食べ終わったらそこにおいといていいから」
 アネットは冷たい視線をリリルに向けながら、そう言った。ロイはその言葉に慌てて
「アネットさん、よかったらお話しませんか? 本当にここら辺わからなくて戸惑っているんです」
 と声をかける。
 なんとなく、アネットを一人にしたくはなかった。
 突き放したアネットには迷惑かもしれない。けれど、それでも一人でいるよりはいい。
 それを真っ先に賛成したのは意外にもリーカルだった。
「そうね、そうしていただければうれしいわ。なにせ、ここは初めてだからあまり知らないことが多すぎるの。良かったら教えていただけない?」
 リーカルの言葉にアネットは少し考えるような素振りをしてこくんと頷いた。
 おそらくあきらめたのだろう。言い訳のようにつぶやく。
「その分だと今日泊まる所もないんでしょ?でも素性も何も知らない人たちを泊めるほど私は不用心じゃないわ。だから食べながら話しましょ?」
 と食堂に案内する。
 リリルとルーナは拍子抜けしたような顔をお互いに見合わせた。
 ゼルは苦笑しながら、
「これだから女ってわかんねーよな」
 とロイの肩を叩く。
 ロイはそれに対して、苦笑しか返すことができなかった。


「ねえ、これってなに?」
 ルーナが好奇心丸出しでアネットに聞いた。
 アネットは不思議そうな顔をして、かわいい女の子を見る。
「えっと……」
 そういえばアネットはロイの名前しか聞いていない。
 というか、聞くまもなくどんどん事が進んでいくため、隙がなかったとも言える。
 それに気づいたのか、ルーナはにこっと笑った。
「あ、私はルーナね。そしておねえちゃんのリーカルに、ゼルに、リリル。そして――」
「ああ、ロイね。さっき聞いたわ。で? 何が聞きたいの?」
 アネットは普通の料理を出したつもりだったのだが、何か変なものでも出しただろうか。
 ああ、それとも五人の委託にではない料理があるのかもしれない。
 格好といい、背中の羽といい、その他もろもろこの辺りには絶対いなさそうな人種なのだから。
 リリルが不思議そうに皿を取る。
「というか見たことないものばかりで何から聞いたらいいかわかんないのよね。これもこんな匂い嗅いだことないし……」
「あ、ほんとだ……。なんだか不思議な匂いがするね」
 ゼルが姉に習ってくんくんと鼻で嗅ぐ。
「なにって、夕食だけど何かおかしいところあるかしら?」
 というかどんな食文化しているのだろう。
 このテーブルにのる料理、すべてがわからないというのだろうか。
「へえ、これが「夕食」なんだ。で、これをどうするの?」
「……どうするって……食べるに決まってるじゃない」
 まるで夕食という言葉を知らないかのようなロイの言動。
 ゼルがそれに追い討ちをかける。
「ねえ、食べるってさ、どういう意味?」
「うーん、エネルギーを蓄えるとかそういう意味じゃない? 私に聞かないでよ」
 ……こいつらはどこから来たんだ、本当に。
 言葉が通じるから言語圏は同じだと思ったのだが、なんだかそれも怪しくなってきた。
「ねえ、あんたたち、どこから来たの?」
 疑わしげにそう聞くと五人は顔を見合わせた。
「……やだ、私ったらアネットが普通にしているから違和感感じなかったわ」
「そうね、そんなに私たちみたいなのがいるわけじゃないか」
「担当区域って過多にはならないようになってるみたいだしね」
 好き放題いう彼らにアネットはめまいがした。
 なんて自分勝手なやつらなんだろう。自分が蚊帳の外になっていることに気づいているだろうか。
 アネットの見解で多分こんなかで一番まともそうなリーカルがみんなを諌める。
「三人とも、いい加減にしなさい。私たちが説明してなかったのが落ち度でしょ」
「えっと、ごめんなさい、アネットさん。実は僕たち」


 ――天界の者なんです。


 一番純粋そうなロイがそう答えるのを聞いて、アネットは自分が本気で疲れていることを知った。
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