7.別れと始まり


 どうしてこんな事になってしまったのだろう。
 ロイは物陰から隠れて、アネットの様子を見ていた。
 その姿はまるで、悲しみを全て抱え込んだような表情で突っ立っているアンドロイドのようだ。  悲しみも不満も隠して。
 ただ建前だけを述べるアンドロイド。
 アネットの前に言った言葉が突き刺さる。


「あなたは愛されていたのよ、親に。それはそれだけで価値のある人間になるわ。……私と違ってね」


 愛されていない子供。価値のない人間。
 それをいったアネット自身、自分をそう思っていたのだろうか。
 アネットはけして価値のない人間じゃないのに。……いいや、ちがう。
 ロイ達にとってアネットが価値があっても、アネットの望む価値とは違うのだ。
 アネットが欲しいのはきっと――親に愛される価値のあるもの。
 親に認めて欲しいから。愛して欲しいからあんな言葉が出るのに。
 どうして血の繋がっている親がそんな事を言えるのだろう。
 少し考えればわかるはずのことなのに。
 アネットがそんな事を望んでいないということに。
 なぜ気づかないのだろう。
 何で……。
 アネットの方が震えているのは誰が見ても確かな事なのになぜ気づかない。
 リリルは唇をかみ締めた。
 そうでなければ許せるはずがなかった。
 でも決定権があるのはアネットで、アネットはそれを拒否した。
 だから口出しはできない。


 ゼルは思わずアネットの顔を見る。
 アネットはただ空虚な瞳をさらしているだけ。
 泣きもしないで、実質上の離婚劇を見ているだけ。
 ああ、神様方よ。
 あなた達が万能でないことをこれほど悔やんだのはロイを知ったとき以来だ。
 そう思わずにはいられない。
 なぜこの世界で信じられている神のように万能ではないのか。
 なぜ、悪魔の一人の呪いが跳ね除けられなかったのか。
 なぜ、天使や悪魔の一人一人を黙らせられないのか。
 なぜ、一人の少女に非情な現実を押し付けるのか。
 ……なぜ、すべてのものが平等に愛される権利を持たないのか。


 アネットはそれを同情と見てよしとしないだろう。
 そして、五人もよしとしてほしくない。
 泣ければいいと思うのに。
 あそこでアネットが泣ければいいと思うのに。
 泣いて請えばいいのに。自分を捨てないでと。二人とも仲良くしてと。それはけして恥ではないのに。
 きっと泣けない。
 アネットはきっと泣きはしない。笑えもしない。
 それが辛かった。悲しかった。
 ロイは初めて肉親であることがどういうことかを知った。
 そしてアネットがいまだにこの両親を愛すほど、肉親の愛が強いことも知った。


 それは正しいことだったのだろうか。
 アネットの両親が出て行った後、ロイ達は迷いながらも出てきた。
 そしてアネットのそばへといく。
 少しでもそばにいることを感じていてほしくて。
 そうでないと消えてなくなってしまいそうな気がしたから。
 アネットはずっと森の奥を見ている。両親が行ってしまった方向を。
 彼女はもう知っている。両親がもうよっぽどのことがない限りここにはもう訪れないということを。
 哀しい事実。けれどそれを当たり前のように受け止めようとしているアネット。
 泣かずに、毅然としていようと決めたような姿。
 けれど、それでも悲しみは伝わってきて。愛して欲しいという子供の叫び声が聞こえるような気がして。
 思わずリリルとルーナがアネットを抱きしめる。
 そうしないとどこかにいってしまいそうな気がしたから。
 暖かさは安心できる要素。
 彼女の両親はどれくらいそれをアネットに与えたのだろう。
 ただ一人、森の奥で残されるアネットに――。
 アネットはやっと涙を見せた。
 ロイたちの前で涙を流し、咽び泣く。
 何かに耐えるように泣いた。
 苦しみに、悲しみに、怒りに押しつぶされないように。
 感情の激しさを抱えて、重荷を抱えて、それでも耐え続けた子供の涙。
 耐え続けるのはロイもアネットも同じだ。
 だから、お互いが共鳴しあったのだろう。運命はそれを見て、羽をアネットの前に落としたのだろう。
 何も解決にはならない。
 けれど、何かに救われたような気がしたのはアネットもロイも同じだ。
 ロイの肩にリーカルがポンと手を置く。
 まるでロイがなにをいいたいかわかっているかのように。
 ロイはそれを見て決心した。
「ねえ、アネット……」
 アネットはロイの呼びかけになみだを流したまま、ロイを見つめた。
 ロイは一瞬それが自分に重なる。
 幼いときの自分に。絶望しきった自分に。孤独を抱えた自分に。
 そんな時差し伸べられる手のなんと暖かいことか。
 その手のなんと優しいことか。
 そして、そのときに差し伸べられた手を今度はロイが差し伸べようと。
 一人で生きないでという意味を込めて。
「ねえ、家族になろうよ、僕たち」
「……家族?」
 そう、それがロイにとって救いだった。
 ナーリュスの言葉一つ一つに救いがあった。
 ただ、そばにいるだけで安心できる。
 一人は誰にも傷つけられないけれど、傷もいえない。
 ただ、孤独が重くのしかかるだけ。
 だからこそ、その孤独を癒せる、傷を癒せる家族になろう。
 そばにいるだけで、安心できる。笑っていられる家族に。
「家族になりましょう。僕がナーリュス様にいわれた言葉。だから今度は君が僕たちの家族になってよ。……きっとなれるから」
 そういうのは不安だった。
 たった数週間しかいないのにそこまで信用してくれるか。
 けれど、今あのときのロイようにアネットには何か支えるものが必要に見えた。
「なろうよ、アネット」
 そばにいるだけでそれは支えになれるのだから。
 アネットはその言葉にただ頷くしかできなった。
 涙を流しながら、それでも黙ってコクと頷いた。
 こうして、アネットは血の繋がった両親と別れ、新しい家族を手に入れた。


 数日後。
「では、アネットと俺たちの出会いに乾杯!」
「新しい家族にでしょ!」
「いいんだよ、出会いで。まだ、祝ってなかったから」
 とにかく、ゼルの音頭でグラスが鳴らされる。
 ロイ達は飲み物が飲めないがそれは雰囲気でということになった。
 そう、ここで新しい出発と新しい家族ができたことを祝してパーティーをすることになったのだ。  アネットは最後まで渋っていたが、お祭り好きのルーナとリリルに押し切られた形で参加。
 強引に参加させられたアネットも笑えるようにまでなった。
 最初は数週間一緒に暮らしていたくせに家族と決めたとたんぎこちなくなった雰囲気も暖かな家族に近づいてきている気がする。
 それがロイにとってはうれしかった。
 ロイもゼルもリリルたちと一緒に騒ぐ。
 アネットは呆れながらそれでも目を離さずにそのはしゃぎようを微笑んでみていた。
 リーカルはそんなアネットを慈愛に満ちた目で見ている。
 これが、新しい家族。
 お父様、お母様。あなた達がいなくなったことはとても悲しかったけれど。
 でも、いまも幸せです。
 あなた達に会いたいと思うこともあるけれど。
 それでも今の毎日も大切。
 待っているだけだったころよりも、一人だったころよりも。
 笑えている気がします。
 アネットは不意に両親に手紙を出そうと思いたった。
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