二度と会わないと思ってた。二度と、言葉を交わすことないと思っていたのに。
なのに、いざ日本から飛び立とうとするこんなときにこの少女は自分の目の前にえらそうに立っているんだろう。
「ずいぶん遅かったですね。早め早めの行動が基本ですよ。学校で「五分前行動」って習わなかったんですか?」
「……聞きたいことはたくさんあるんけど、それを飛ばしたいくらい急いでるんだけど?」
綾彦はフリーズしかけた思考回路を懸命に回して、その台詞をひねり出した。
まひるは特にダメージを受けた様子はなく、ひょうひょうと今にも舌を出しそうな生意気そうな顔でチケットを渡した。
「そういえばこれ、近藤さんから渡されたんですけど」
「ああ、たしか近藤さんがチケット手配してくれたんだっけ?」
そのためだけにきたのかと不審に思ったけれど、それがなければ飛行機に乗れないんだからありがたくいただく。
そしてその時間を確かめたら
「……知らされた時間とずいぶん違うんだけど?」
「ほら、綾さんだまされやすいから」
というか何にも考えてないんですよねーと馬鹿にしたように笑う女子高生を小突きたくなるのを我慢しながら、近藤に恨みの年を飛ばすのを忘れなかった。
念のため携帯に残された連絡メールを確かめると、確かに昨日知らされた時間が確かに昨日知らされた時間と相違なかった。――チケットとは2時間ずれた時間だ。
「そういえば綾さんに近藤さんから伝言なんですが」
「は?」
「『俺は野郎よりも美少女の味方をすることに決めた! 自分の蒔いた種でもあるんだし、俺を恨まず精進しろよ!』だそうです」
「ご丁寧にどうも!」
わざわざ声まねまでして伝言したまひるにいやみっぽくそうかえした。
きっと目の前の少女が近藤に願ったんだろうけど、そのために回りくどく綾彦に逃げ道すら与えないように騙した近藤にあきれた。
どうせたのんだのがまひるでなくても、近藤ならば楽しそうだからという理由で協力したんだろう。
近藤も綾彦と同じく、トラブル大好き人間なんだから。しかも自分のトラブルではなく他人のトラブルが。
別に他人の不幸が蜜の味とは思っていないけれど、周りの環境がエキサイティングであればそのほうが面白いと思うのが人間だろう。
「で、なんなわけ? なにかあった?」
会いたいわけじゃない。けれど、突き放せるほど綾彦はまひるが嫌いなわけじゃない。
こういう時笑ってごまかすしかないのは、綾彦が大人になったせいだろうか。
自分のコンプレックスを鼻先に突きつけられる不快はまひるのせいじゃない。誰のせいかと問われれば、間違いなく綾彦のせいだ。
そして自分に非がある後ろめたさが、綾彦をしたでにしている。
「……お祖父さまが昨日入院したんです。それでお礼に伺ったしだいで」
「それなら師匠に……」
「永瀬川さんにはもう伺いました。っていうか、綾さん上司よりも遅いって問題だと思いますよ? 日本人なら上にへこへこしつつ心の中でこのやろーいつか踏みつけてやると思うような勢いで」
学生であるくせに、とそのまえに外見は育ちのいいお嬢様なのに平気でそういうまひるに陰りはなかった。
いろいろとショックなことはあるのだろうけど、それを隠せるくらいの余裕は出てきたらしい。
それはきっとまひるの潜在的な強さなんだろう。
そう思えばまひるのそういう軽口も愛しかった。
「で、ここに残ったのは?」
綾彦に会いたいだけだったらわざわざ近藤に飛行機の時間を遅らせてもらうことなんて無意味だったはずだ。
なのになんで、ここまでしているんだろう。
まひるは少し迷ったあと、意を決したように綾彦の目を見た。
「綾さん、また会っていただけますか?」
「え?」
青天の霹靂だとはこういうのを言うんだろうか。
偶然会うこともあるかもしれないとは思った。けれど、まひる自身にこういわれるなんておもわなかった。
たった一日の付き合いで終わると思っていた。
けれど、まひるは次を望んだ。おそらく、近い未来に。
「あー、いやだったらいいんですよ? 綾さん私見るたびに結構変な顔をしてますし。私の顔を指摘する前に自分の顔を鏡で見ろって感じですし。でも……それでも、もし良かったら会っていただけますか? って言いたいんですよ」
まひるはワンピースを握り締めていた。それは感情の強さと迷いの心を表しているようだった。
まるで言ってしまったら何かあるかのように、まひるにとってその言葉は覚悟がいるらしかった。
「え、っと、綾さん、なんか見てるの辛そうで。私は同情してるのかなと思ったんですよ。というか、そういうのが当たり前じゃないですか。でも、なんか同情じゃないような気がして。まあ、勘なのですが嫌いって言うより苦手? ってかんじだったかなと」
しどろもどろに要領の得ない言葉だったけれど、綾彦にとってそれは衝撃以外の何者でもなかった。
綾彦はモデルをしているからかそれとも天性のものかはわからないが、思っていることを隠すのが得意だった。ポーカーフェイスともとれるそれは、自分を騙すのも得意だった。そしてそれを見抜けたのは多分指を数えるくらいだろう。少なくても少々世間知らずっぽいこの少女にばれるとは思わなかったのに。
もしかしたら自分のどろどろした感情にまひるは最初から気づいていたのだろうか。そのことを思ってぞっとする。
なぜか綾彦はそう思っていることをまひるに気づかれたくなかったのだ。
どうしてかはわからない。心を読まれることはそんなに嫌悪感を呼ばないものだったはずなのに。
誰に醜い心を読まれても、これほど嫌な事ではない。ただ、まひるにばれるのはいやだった。
綾彦に少し似ていて、けれどそれよりもまっとうな少女に。
それはプライドのせいなのか、それとも――?
「だけど、私が会いたいんです。会っていっぱい話したいんです。正直馬鹿みたいだと思いました。たった一日しか会っていない友達ともいえないような関係なのに、また会いたいなーと思うなんて」
それはまるで愛の告白のようだった。顔を染めるまひるは怒ったような恥ずかしがっているような顔で、そのたとえのまんまだった。
「これがどういうことなのかわからないんですよ。一目ぼれとかあまり信じないですし。その相手が綾さんだとは思いっきり複雑ですし」
「……」
「だって、綾さんって結構馴れ馴れしいですし、失礼ですし。だから、あんまり好みじゃないはずなんですよね。私の好みって紳士ですから」
「……って、おまえ。結構ひどいこといってる自覚ある?」
綾彦が思わず突っ込むと、まひるの顔がぶすっとなる。
「だから複雑なんです。結構ひどいこといえるくらい好みじゃないのに、そのひどさがいやじゃないんですよ。むしろ……楽しいんですよね。むちゃくちゃなところとか」
きっとまひる自身、何を言っているかわからないだろう。
それはまさに熱烈な告白ではないだろうか。
稚い言葉だったけれど、とても甘い告白。好きだという言葉を使っていないのに。
綾彦は少し考えた後、まひるの頭に手を置いた。
それが馴れ馴れしいという言葉の出所だろうけど、楽しいといわれたから。
「あのさ、お前は俺と似ているんだよ」
「……どこがですか?」
そういうとすっごいいやそうな顔をするから、思わずぷっと噴出す。
きっとこいつは「あんまり好みじゃない」という言葉通り、綾彦の性格は好ましくないのだろう。
正直だ。あまりに正直な表情に綾彦は怒るよりも楽しくなった。
「そう、あげることなんてできないくらいまったく違うのに、似てるんだ。……多分俺がお前のことをすっごくうらやましがる理由がそれだと思うんだよね」
「……羨ましい?」
まひるの眉がひそめられる。どういう意味かわからないのだろう。綾彦はそれを見て、柔らかに笑った。
「そう、羨ましい。または妬ましい。多分、俺はお前になりたかったんだなーって思った。でもなれなかったから苦手だったんだ」
「綾さん、意味がわからないよ?」
まひるの言葉に苦笑しながらも、ちゃんとした説明をせず綾彦は続けた。
「だけど俺って結構いいかげんで、いやなことって忘れようとすれば忘れちゃうんだよね。だからお前のことも忘れようと思った。だけど、なぜか気になってたんだよな。いつか会ったらどうしようとか笑えるだろうなとかそんなくだらないこと考えてた」
そんな保証もないのに。
今は笑えないけど、いつか笑えるなんて合うこと前提のことを思っていた。
考えてみればそんなこと考える必要もないくらい可能性は低いのに。
小さな可能性を考えるくらいに――。
「お前は特別だってことなのかもな。俺もそれがどんな特別かわからない。そういう意味で好きなのか、それともただコンプレックスとして捉えてるのか。それすらもわからないんだ」
そういって、まひるに笑う。真昼は綾彦の言葉に思わず凝視した。
そして、二人の視線が交わる。ゆっくりと、でも確かに時は流れた。
「それをはっきりさせたい。だから……帰ってくるときは連絡する。いつか答えが出せるように」
「……それって?」
「また会おうぜ、まひる」
この少女から逃げてばっかりじゃもったいないような気がした。
だから、また会って苦手意識克服したほうがいいと思った。
大体、それがなかったらけっこうまひるは面白いと思う。
確かに傷つくこともあるかもしれないけれど、それは誰だって一緒だし。だったら楽しいほうをとればいい。
「……忘れないでくださいね。綾さん結構そういうのいいかげんっぽいから忘れそう」
「お前も忘れんじゃねーぞ。彼氏ができたら真っ先に俺に報告しろよ。俺よりいい男だったら認めてやる」
「綾さんより悪い男を見つけるほうが大変ですよ。私もかなり趣味が悪いみたいですね」
「ふ、俺よりかっこいい男なんてそんなにいるわけないじゃん」
「そこでいるわけないって言い切らないのが綾さんですよね」
ぜんぜん甘くない会話。まるで兄弟げんかのよう。
けれど、きっと二人にとってこう話していること自体が奇跡のようで。
どういう「特別」かはわからないけれど。
きっとまひるは綾彦を待つし、綾彦はまひるのところに帰るだろう。
そしてまた、同じような会話をするのだ。
お互いに「特別」な存在と。
恋かもしれない。友情かもしれない。ただの執着かもしれない。または負い目かもしれない。勘違いでもおかしくない。
けれど、きっと見つかる答えを探すよりも今の時間が心地よくて。
また、この雰囲気を味わうために二人は再会するだろう。
近い将来、きっと。
「じゃ、また」
「また」
飛行機の時間にまだ余裕があるけれど、綾彦は手を振ってまひると別れた。
まひるは少し名残惜しそうな顔だったけれど、涙は流さない。ただ、笑って手を振った。
綾彦も笑って手を振った。
まだ名のつかない関係が面白い。危ういバランスで結ばれる関係は、けれど多分悪いほうには行かないだろうと綾彦は確証のない自信があった。
今度会ったらまた何かが変わるのかもしれない。
その変化はすごく楽しみで。
愚痴口考えるのはやはり性にあわないらしい。二日酔いの頭痛も忘れるくらいに、綾彦は気分良く飛行機に乗り込んだ。
再会を約束した少女に思いをはせながら。
FIN
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