どうしてこんなに好きなのだろう。
 どんどん好きになる。
 愛しているなんてとっくに過ぎている感じ。
 ああ、私の細胞が溶かされる……あなたという酸に。


 朝は早いほうだ。というか彼がおきるのに付き合っていたら、いつの間にかこうなった。
 どきどきと高鳴る胸の鼓動。
 まだ起きないふりをして、彼の着信音を待つ。
「赤坂さん、まだですか?」
 まだならない携帯。ベットの中でわくわくと待つ。
 まだ来る時間ではないけれど。彼が気を使って時間ぴったりにしか鳴らさないことは知っているけど。
 わくわくする鼓動はとめられない。
 もう何回も何回も繰り返される、朝の儀式。
 それでも、まだ待ち遠しいことは……好きって事だと思う。
 まるでえさを与えられる前の子猫のよう。
 まるで散歩の前の子犬のよう。
 そう、まだ私は与えられることを待つ子供なのだ。
 それが心細いこともあった。でも今は……。
 なんとそれが心地いいか。
 思わず彼の顔を思い浮かべてにんまり笑ってしまう。
 早く来て。早く、早く。
 握っている携帯が鳴る。
 「愛の挨拶」という曲が鳴る。
 初めて聞いたとき、笑ってしまったタイトルだけれど今の状況はこの曲が一番だと思う。
 愛の挨拶がおはようなんて素敵だ。
 まるで、新婚さんみたいだな。私達は携帯越しでしかできないけれど。
「もしもし? 赤坂さん?」
『李歩? 起きてたか?』
 ちょっと低いバリトン。耳に心地よく、私が一番好きな声。
 この声で私の一日が始まるなんてなんて甘美な一日なのだろう……。
「うん、起きてました。赤坂さんはこれから出発ですか?」
 李歩の言葉を一つ一つ返してくれる彼の声。
『ああ、今日は朝一に会議があるから急いで出なきゃならない。じゃ』
「はい、いってらっしゃい」
 彼に言ってらっしゃいがいえることがどんなに素晴らしいことだろう。
 私はきっと、今死んでしまっても笑っていられると思う。
 切れた電話。けれどあの人につながるもの。
 それを見ながら私は微笑んだ。
 彼にとって今日もいい日でありますように――。


 朝の学校は静かだ。誰もいないわけではないけれど、人が少ない。
 日直だったから朝の水遣りや日誌をとりに行かなきゃならないし、換気もしなければならない。
 花に水をやると花が生き生きしていくように見える。
 それが好き。
 気分がすっきりして、朝のすがすがしさを肌で感じる。
 静かな学校も喧騒な学校もどちらもこの学校の持つ姿。
 どちらも私の好きな学校の姿だ。
 お嬢様学校と近隣で呼ばれるこの学校しか知らないからほかの学校がどんなものなのか知らない。
 従姉妹と学校の話をしてもかみ合わないことも多い。
 やっぱりカトリック系だからか朝のミサはあるし、さすがにシスターの格好をしている先生はいないけど神父様とかはいる。
 教会も校内にあるし、一貫教育だから幼稚園から高校まで顔ぶれは大体一緒だ。社長さんの子供とかアーティストの娘とか幹部役員の息子などという肩書きを持つ人たちもたくさんいる。
 という私も有麻グループの社長令嬢という肩書きを持っているのだけれど。
 前はとても重荷だったこの肩書き。けれどこの肩書きのおかげであの人に出会えた事を神に感謝している。
 彼のためならどんなことでも平気だと思った。
 たとえあのひとが見ているのが私の持つ肩書きだとしても。
 それでも……いいんだ。それを含めて私なのだから。
 親の威光とかそういうものに振り回されるけれど、それでもあなたがそれを望むのなら笑っていたい。
 たとえ人形のようだと笑われても。
 所詮政略結婚だと陰口をたたかれても。
 それでも、あなたのそばにいたい。愛する人のそばにいられるのなら、どんな犠牲も厭わない。
 同等になりたいと思ったことがないわけじゃない。
 それでも……。
 バラの花が揺れる。誰が持ってきたのかわからない、ピンク色のバラの花。
 間違っているとは思いたくない。少なくとも私は私の心に正直に生きている。
 ねえ、赤坂さん。優しいあなたはきっと私がすがりつく腕を振り払えないでしょう。
 それをいいことに離さない私。まるで少女漫画にいる悪い女のよう。
 それでも、ごめんなさい。私は自覚しているのにあなたの腕を離すのが怖いです。

『愛しているよ、李歩』

 その言葉を疑いたくないのです。それを信じて生きていきたいのです。

『可愛い娘さんですね』

 何度も聞いたお世辞のはずなのに、あなたの声だというだけで耳に浸透して言った言葉。
 誰かにとってかわいい人になるよりもあなたのかわいい人形でいたい。
 頭をなでてくれる暖かい大きな手が好き。
 微笑んでくれる唇が好き。
 不安なとき、抱きしめてくれた腕が好き。
 泣いているとき、ぬぐってくれる指が好き。
 私を見つめてくれる瞳も、やわらかな低い声も。
 だからいい、あなたのためならとげだらけの茨にも飛び込みましょう。
 あなたがなんと言われているかわかっているのに、手を離せない私だから。
 せめてあなたの役には立ちたい。
「ごめんなさい」
 バラは何もいわないけれど。ただ静かに窓から入ってきた風に揺れるだけだけど。
 まるで慰められるように思えるのは、きっと柔らかな花びらがあの人にどこか似ているからか。
 柔らかな空気をまとう彼の人はいつも私を温かく包んでくれる。
 その人にこの花は似ている。
 どうか、その空気を無くさないように。私のせいで濁らないように。
 それが私の祈り。
「またくだらないこと考えてますね」
 その声に振り向くと、同級生の亜里沙さんが微笑んで私のを方を見てた。
 彼女は赤坂さんの妹だ。それを知ったのは彼にあって惹かれてからだったけれど。
 年は離れているけれど、優秀なのは同じだし雰囲気もどことなく似ている気がする。
「亜里沙さん……」
「あら、亜里沙でよろしいといつも言っていますのに、まだ直してくださらないのね」
 くすくすと笑う亜里沙さんは本当に魅力的な女性だと思う。
 ピシッと背筋を伸ばしていつも前を見ている。
 まるで太陽に向かって背を伸ばすひまわりのように。
 彼女は胸を張って前を見て歩いていく。
「李歩はいずれ私の義姉になるのですから、呼び捨てるのは当たり前ではございません? 姉妹になるのでしたら兄妹よりも親密になれると思います」
 やっぱり男というものとはあまり話が合いませんのところころと笑う。
 それに釣られて私も唇に笑みを刻む。
 この人はどうしてこんなに人を笑わせることがうまいのだろう。
 その私の顔を見て亜里沙さんはにっこり笑った。
「やっぱり李歩は笑っているほうがかわいいです。悩み憂えてる顔もなかなか捨てたものでもございませんが、やはり女の子は笑みが大切だという見本のようですわね」
 その言葉に私の顔はきっと真っ赤になっているだろう。
 この人といい、この人の親といい、……あの人といい、赤坂家の人たちはまるで日常会話のように褒め言葉がすらすらと流れるのだからすごい。
 かけた本人は平然としているが、かけられた人たちはきっとあまりの褒め言葉の洪水で照れくささと恥ずかしさにおぼれてしまう。
「亜里沙さんの笑顔も私は大好きよ。いつも元気にしてくれるじゃない」
 私も笑顔でそう返してみるけれど、亜里沙さんのようにうまくはいかない。
 一応本音なのだけれど。
 彼女の笑顔は天下一品だと思う。彼女が笑えば、回りも笑顔になる。
 たとえ裏でどんなことを考えても、きっと彼女には積極的にだまされてもいいと思ってしまうのだろう。
 そんな力を彼女の笑みは持っている。
 亜里沙さんはちょっと首をかしげる。
「まあ、私にはわからないことだけれど。でもうれしいわ、ありがとう」
 そうまたにっこり笑う。
 そして何かを思い出したように、手をたたいた。
「そうそう、今日お兄様が早く帰るようなこと言ってらしたから夕食後一緒しません?」
「え、でも……」
 亜里沙さんのせっかくの誘いだけど、私の心にちょっとした躊躇が生まれる。
 赤坂さんに何も言わずにいっていいのだろうか。
 そんな私の考えを見通しているように亜里沙さんはクスリと笑った。
「かまいませんわ。お兄様だって歓迎してくださるはずです。婚約者がうちに来て何の不都合がありますか? あ、ちゃんと両親に入っときますのでご安心くださいませ」
 と艶やかな笑顔で私を誘う。
 私は少し考えた後うなずいた。
 迷惑だったら亜里沙さんの部屋にいればいいのだしと考えて。
「ええ、じゃあご一緒させてください」
「まあ、それならうちのシェフも腕によりをかけるでしょう」
 楽しみですわと亜里沙さんが笑った。
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