結局、私が泣き止むまで佐々木さんは頭をなでていてくれた。
「ごめんなさい、取り乱してしまって」
 私の謝罪は当たり前のことだと思う。
 何の関係のない二人に心配をかけてしまったのだから。
「しかしどうしたんだ? 急に泣き出すなんて好きな男がデートしてるのを見ちゃったとか? ここは一応デートスポットだしなー」
 きっと綾彦さんの言葉は慰めようとした軽口だったのだろう。けれど、図星である私には笑えなかった。
 それに気づいた佐々木さんが綾彦さんの頭をポカリと殴る。
「あんたね、余計なこと言わないの! ……李歩ちゃん、そうなの?」
 きっと彼女は気づいたんだろう。綾彦さんの言葉に笑えなかった私に。
 笑おうと努力するけれど、顔の筋肉が思ったように動かない。
 きっと今の私は、醜い。
 つきが欲しいとないている子供よりも愚かだ。
 並んでたっていても、きっと妹程度にしか思われないのに。
「多分、デートじゃないんだと思うんです」
 私はただぽつぽつと話し始めた。多分、聞かなければこの優しい人たちは納得しないだろうと勝手に判断して。
「多分、そうじゃないんです。ただ、赤坂さんは仕事だっただけ……」
「それであんたは泣くの?」
  綾彦さんは不思議そうに首をかしげる。佐々木さんも怪訝そうな顔をしている。
「そうよ、どうしてそんな悲しそうな顔をするの?」
 佐々木さんは落ち着かせるように私の頭をなでてくれる。
 その手は柔らかくて、余計涙があふれるのをとめられなくなった。
 私が泣いたのは距離が明確になったせいなのか、それともいずれくるだろう破局を目にしたからなのか。
 ただ、目にしたのはああいう女のひとのほうがいいんじゃないかという疑惑がわいたことがわかる。  まだ子供だけれど、いつかは大人になる。
 けれど赤坂さんはそれまで待っててくれる?
 いつか、釣り合いが取れるまでに赤坂さんの心を射止める人が出てこないってどうしていえる?
 いやだ、そう思っている自分が。うじうじと可能性を考えて、それでも行動しない自分が。
 愛だけですべてが解決するわけじゃない。思いを抱いているからといって、必ず通じるわけじゃない。
 それなのに、何もいえない自分に吐き気がする。
 どうして私はこういうことしかできないんだろう。
「……多分、私が彼に釣り合ってないってことがわかったから」
 つぶやいた言葉は答えになっていないのは自分でもわかる。
 だけど、そういうしかわからなかった。
 ほかに言い方を知らない。
 苦しいこの胸のうちを表す言葉を、知らない。
 彼への思いを表す言葉を知らないように、今の私の感情を表す言葉も見つからない。
 ただ、思うのは……
『もっとあの人に自由があればよかったのに』
 もし私以外に年相応の婚約者候補がいれば、きっとそちらを選んだでしょう。
 あの人の「愛している」という言葉はきっとそちらに言ったでしょう。
 あの時、断りたかったのかもしれない。本当は、断る理由が見つからなかっただけなのかもしれない。
 だめだと思うのに、走っていくマイナス思考。
 どんどん悪い方向へと向かっていく。
 疑いたくなんてないのに。彼の言葉だけ信じていられればいいのに。
 綾彦さんは頬をかいて、にっこりと笑った。
「大丈夫だって、お前達、恋人なんだろ? いやな奴恋人にするような奴なのか?」
 そう、そうみえるのだろう。赤坂さんを見てなければ。
 確かに私の気持ちは、嫉妬する『恋人』のものだった。
「いいえ、違います」
「え? じゃあ、片想い?」
 佐々木さんがそう聞くけど、私は首を振った。
 そうじゃない、片想いではないけれど恋人でもないのだ。
「私たちは……婚約者なんです」
 なんて今の私に似合わない言葉なのだろう。
 二人の反応を見て、そう思わざるおえなかった。
「婚約者って……李歩ちゃんが選んだ人?」
「……いいえ。だけど私が決めました」
 そう、自分で決めたことだ。あの時、あのひとは選択権を私にくれた。私はあのひとと一緒に歩む人生を選んだ。
 綾彦さんはにっこりと笑った。それは今までの中で一番綺麗な笑みに見えた。
「だったらいいじゃん。そいつのこと、信じなよ。男は馬鹿な奴もいるけど、そういう奴じゃないんだろ?」
 赤坂さんを知っているかのように言い切る綾彦さん。
「そうよ、もしそういう奴だったら私がぶっ飛ばすから、言いなさいね」
 そういいながらガッツポーズをしてウインクする佐々木さん。
 ああ、この二人はなんて優しくてなんて大人なんだろう。
 初対面なのに、前から知っている人たちのように優しく気遣ってくれる。
 いつの間にか、私の涙は乾いていた。


「今日、並木通りにいましたか?」
 お使いから帰ってきたとき、ちょうど赤坂さんも帰宅していたので夕飯をお呼ばれした。
 そしておばさまに引き止められるまま、亜里沙さんの部屋に泊まることになった。
 食後やることがあるからそれが終わるまで赤坂さんのところにいるように言われた私はおとなしく赤坂さんの部屋にいた。
 赤坂さんも忙しいのか、パソコンの前で何か作業をしている。
「ああ、リニューアルするという店に用事があったからね。李歩もそこにいた?」
「ええ」
 赤坂さんはあっさりとそういう。
 多分彼も私が誤解するとは爪の先ほども思っていないだろう。……その前に私が悩むことは知らないけれど。
「内装はまだだけど、なかなか感じのいい店だったよ。オープンしたら今度行ってみようか?」
 そういってくれるのは、彼の優しさ。
「そうですね、ぜひ」
 そう答えるのは私のずるさ。
 そういってもらえるたびに、まだ大丈夫と言い聞かせる。
「……何かいやなことでもあった?」
 きっとあまり嬉しそうではない私の答えに不信に思ったのだろう。振り向いた赤坂さんの心配そうな顔が目に映る。
 ああ、この人には気づかれたくなかったのに。
 私は意識して、微笑んだ。
「ううん、逆。今日はいいことがあったんです」
「へえ、どんなこと?」
 赤坂さんはにっこりと安心させるように笑った。
 そう、あのときの綾彦さんのように。
「すごく良い人たちに会ったんです。綾彦さんと佐々木さんっていう……赤坂さんは知っていますか? 綾彦さんはモデルさんだそうです」
「ああ、確か会社の女の子達の持ってる雑誌に載っていた気がしたな。えっと、浅川 綾彦だっけ?」
 赤坂さんは少し考えてそう答え、そしてクスリと笑った。
「すごい人にあったんだな。有名人だ」
 珍しくおどけたような赤坂さんに、私は思わず笑う。そして、それにほっとした顔をする赤坂さんに私も安心する。この人だけには心配をかけたくない。
「ええ、だけどあんまり気取った人じゃなかったんです。マネージャーの佐々木さんもだけれど、とても優しい人」
「そうか、よかったね」
 そういって笑ってくれるあなたの顔がすき。
 愛しさは毎回臨界点ぎりぎりなのに、どんどんどんどん好きになる。
 愛しさは臨界点を超えたら何に変化するのだろう。
 それは冷たいものが熱いものに変わるように、正反対のものになるのか。
 それともそれでも構成されている成分が変わらないように、愛しさだけで作られた何かになるのか。
 どこまでいけるというのだろう、この思いはどこまで行くのだろう。
 そっと赤坂さんに近づいた。赤坂さんはそれを拒否しない。
 ただ優しく、抱きしめてくれる。
「どうした? 李歩」
「ううん」
 不思議そうに聴く赤坂さんの胸の上で、私は首を静かに振った。
 何も言いたくない、唯このときを満喫したい。
 そう思いながら、目をつぶる。
 この暖かさがそばにないときもけして迷わないように心に刻ませて。
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