夢を見た。 赤坂さんや亜里沙さんが笑っている夢を。 だけどそこには私はいない。 ただ、遠くから見ているだけ。 亜里沙さんは私に手招きしてくれるけれど、私はそこにはいけない。 そう、それはきっと私とあの人たちの距離を示しているのだろうと思う。 「よう、また会ったな。李歩」 にっこり笑う綾彦さんに亜里沙さんは不機嫌そうな顔をした。 「あら、李歩。この方どなた?」 それでもにっこり笑って見せる亜里沙さん。けれど、その笑みはなんとなく怖いもの泣きがして。 「えっと、昨日会ったモデルさんなんだけど……」 「まあ、昨日お世話になった? なんでも兄の婚約者を助けていただいたそうでありがとうございます」 まるで嫌味のように聞こえるのは気のせいだろうか。 いつも朗らかな亜里沙さんらしくないような気がする。 「おや、李歩の婚約者ってあんたの兄貴なわけ?」 「ええ、そうですが。失礼ですがお名前を伺っても?」 ニコニコと二人とも話しているのだけれど、なぜか交友的には見えない。 「ああ、俺は浅川 綾彦。一応モデルやってるんだ」 「私は赤坂 亜里沙です。今後お見知りおきを」 なんだろう……妙に亜里沙さんが起こっている気がする。 綾彦さんも気がついたのか、ため息をつきながら亜里沙さんの頭に手を置いた。 「あー、何を心配しているのか分かったけど。俺は子供には手を出さない主義だから大丈夫だよ、お嬢ちゃん」 まさに子供に言い聞かせるようにゆっくり話すけど、それは亜里沙さんの火に油を注ぐようなことにならないかどうか心配。 亜里沙さんは目を大きく見開いて、そしてそれでもにっこりと笑った。 「そうですの、それではその主義を「ずっと」続けていただきたいわ」 亜里沙さんの目が綾彦さんをにらみつける。 どうしてこんなに敵意をむき出しにするのだろう。 良い人なのに……まあ、ちょっと変な人だけれど。 「あれ? その制服は……もしかして聖女?」 私たちの学校はカトリック香涼学院。聖なんてどこにも入っていないけれどいまどき珍しいお嬢様学校として周りでは有名で、いかにもな「聖なる乙女」略して聖女と呼ばれている。 箱入り娘ばかりが集まって、世俗にまみれない女達のいる場所。 「そのような名で呼ばれるのはかなり不愉快ですけどね」 亜里沙さんは苦虫をつぶしたような顔でそういった。そういう顔も様になっているからすごいと思う。 彼女は「聖女」と呼ばれるのを嫌がる。まるで何も知らない馬鹿女と呼ばれているような気がすると前に言った。 今は女でも世俗を知らなければ世を渡っていけないし、それなりに外の世界の情報を取り入れなければ時代遅れにしかならない。 貞淑な妻などつまらない。夫に任せ、口出しを一切しない女なんてなおさらごめん。 できるならサポートに回れる女性。ビジネスパートナーに等しい位をと。 飾りだけの妻はもう必要ないのだと、亜里沙さんはいうから。 飾りだけの「聖女」はもう要らないのだと。 だからこそ、綾彦さんの「聖女」呼ばわりが鼻についたのだろう。 「まあ、呼び方はどうでも良いですわ。それよりあなた、もう撮影とやらはお済みですか?」 亜里沙さんの言葉に綾彦さんは首をかしげた。そして納得したように答える。 「ああ、昨日の残りね。うん、終わったけど?」 「それでその後の用事は?」 「いや、ないよ。で?」 脈絡のない質問に綾彦さんが答えると亜里沙さんは優雅な笑みを浮かべた。 「それならば、一緒にお茶でもいかがです? 昨日のお礼もかねて」 「えっと、つまりだな。どんな女と歩いていたか教えろと」 亜里沙さんが「兄がどんな女性と歩いていたかお教えできますか?」と質問すると、困ったように綾彦さんと佐々木さんが顔を見合わせる。 「といっても、私たち見てないのよね。あなたのお兄様もその歩いていた女性も。李歩ちゃんが泣き出したから驚いたくらいだしね」 「それに決着はついたんじゃないのか? 李歩だって落ち着いてるし」 綾彦さんはコーヒーをぐいっと飲んで、そういった。 それに亜里沙さんは複雑そうな顔をする。 「そうならよろしいのですがその相手によってはお兄様を問い詰めようと思いますの」 「どういう意味?」 佐々木さんが首をかしげると亜里沙さんはにっこり笑う。 「お兄様はいずれ赤坂コーポレーションや赤坂グループを統率する者。そして婚約者は有麻グループの社長令嬢といえど女子高生。つけいる隙ありと思う不届きものが多いということですわ」 笑っているのに苦々しげにそういう亜里沙さんの言葉を聞きながら、目の前にある紅茶を見つめる。 たしかにそうだろう。年が大きく違う私たちは周りから見たらまさに政略結婚。 愛のない結婚なんてと思う人たちも多い。 「……って、有麻グループやら赤坂グループって巨大企業じゃない!?」 急におろおろしだす佐々木さんを綾彦さんは不思議そうに見た。 「何でそんなにおろおろしてんだよ。俺知らないんだけど、有麻グループやら赤坂グループって」 その答えに亜里沙さんは苦笑で返す。有麻どころか赤坂さえ知らない人がいるなんて思いもよらなかったんだろう。 「それは赤坂グループもまだまだですわね」 「いえ、こいつが無知なだけですよ。綾彦、あんただってテレビCMかなんかで見たことあるはずよ!」 「えー、っつーか俺あんまり会社名とか詳しくないもん」 知っているのは電気屋ぐらいだと笑う綾彦さん。まさに自由人という感じで、私は少しうらやましい。 佐々木さんはあきれたように、ため息をついた。 「あんたは、まあカメラマン? になるから会社とか知らないでいいやと思っているんだろうけど売込みには大切なのよ。頼むから一般常識程度の会社は覚えてね」 じゃないと恥じかくのは私なんだから。と佐々木さんはいう。 「カメラマン? モデルではなかったの?」 亜里沙さんは興味を持ったらしくそう聞くと、綾彦は照れくさそうに頭をかいた。 「ああ、今の仕事は好きだけど、撮る方が好きなんだ。だから今は資金集め。専門学校に通うための学費もためなきゃならないしな」 「あら? ご両親は?」 亜里沙さんが不思議そうな顔をする。普通だったら学費は親が出すものではないのだろうか。 実際私も亜里沙さんも親に出してもらっている。 綾彦は複雑そうな顔をする。 「まあ、言っても良いけど同情するなよ」 そう前置きして話し始める。 「俺はね、親知らずなわけ。まあ、捨てられたっぽいけどね。今は社長が養父ってことになってるけどそれは書類上のことだけだし、これ以上社長や佐々木さんに甘えるわけにはいかないしね」 ただ淡々と綾彦さんが話すことを聞いて涙が思わずこぼれた。 なんでだろう。悲しいとか、同情とか考える前に涙が先に出てしまうのは。 ただ、綾彦さんが笑ってなんでもないことを話すように自分の身の上話なんてするから。 なんでもないように、朗らかに。 なんでもないように、感情を出さないで。 これ以上悲しいことなんてないのに。捨てられたとか捨てたとか。 何で、そんなふうになんでもないように話せるのだろう。 同情とか、そういうのではない。 だって、私はその痛みを知らない。 お父さんはめったに会えないけれど、それでも愛をくれた。 愛情表現の下手な人だとは思うけどただ、慈しんでくれた。お父さんの愛を疑ったことがないくらい、愛してくれた。 母は知らないけれど、それでも私は子供に対する愛を知っている。 だから、多分私は綾彦さんに同情なんてできない。愛された子供だから。 彼の痛みも想像できないのに、どうして同情できるのだろう。 綾彦さんはあんなに優しいのに、その優しさを教えてくれたのは親じゃないのは悲しい。 「……ほら、李歩はそういう顔をしそうだから言いたくなかったんだ」 俺、結構女子供の涙に弱いんだからさ。 そういいながら、紙ナプキンを渡す綾彦さん。亜里沙さんは複雑そうな顔をしていた。 「あれ? どうした? 亜里沙? あんたなら同情しないと思ってたけど?」 にこりと亜里沙さんに笑いかける綾彦さんに、女の子をからかっていじめる男の子がかぶった。 亜里沙さんがむっとしたような顔になる。 「そんなことないですが、ただ……思ったよりもしっかりなさっているんだなと。私には……できませんからね。自分を養うことなど」 本当に悔しそうにする亜里沙さんに佐々木さんはぷっと吹き出した。 「亜里沙さん、それはあなたがやる必要ないからよ。綾彦の場合はちょっと特別なだけ」 「それでも」 亜里沙さんはそこで一区切り置いてほんのちょっとの本音を漏らす。 「それでも、少し悔しいです。そして少しうらやましいです」 それでも笑えるあなたが。やりたいことをやろうとするあなたが。 悔しくてうらやましくて。 亜里沙さんの口からそういう言葉が出るのは驚きだった。 彼女がうらやましいというのははじめて聞いた。 いや、一度だけある。彼女は赤坂さんのことをうらやましいといった。 自分の誇りであるこの家を背負える兄がうらやましいと。 ただ、そういった彼女の本音が珍しくてずっと覚えている。 「あんたのやりたいことって何?」 綾彦さんが聞くと、亜里沙さんは少し迷った後いつもの強気な笑顔でこう答えた。 「もちろん……赤坂の名に恥じないようになること。いえ、それ以上の女になることです」 私の名前は私の誇りですから。 ああ、彼女はうらやましいといいながら綾彦さんにはならないのだと思った。 何度も聞いた言葉。それでも私は彼女の覚悟を計り知れなかったのだといまさら痛感した。 きっと彼女がうらやましいと思うのは、彼の選んだ道は彼自身が選んだから。 亜里沙さんの道は、けして亜里沙さんが選んだわけじゃない。 不満に思ったことはないとそれでも言い切る亜里沙さん。 彼女はすべての可能性さえも捨て去ると言う。亜里沙さんなら自分の足で歩くことも可能なのに。 赤坂さんと一緒に背負いたいのだという。 私は、何になれるだろう。彼女達のために。 赤坂さんの婚約者という意味ではなく、亜里沙さんの友達として。 私は、彼女の手伝いはできるのだろうか。 亜里沙さんは、私に笑いかけた。何も心配はないというような笑顔で。 「そして李歩と兄と一緒にずっと一緒にいたいです」 それが自分の夢だと語る亜里沙さん。 それはどこか照れくさくて。 「そう、それなら俺もあんたがうらやましいよ。根無し草だから、俺には帰るところがないしね。自由はあれど制約なしもけっこうつまらないもんだよ」 とむしろ楽しそうに言う。亜里沙さんはちょっと目を見開いた後 「それならばあなたがカメラマンになりましたら赤坂家がバックアップしますわ。もちろんその代わりにカメラマンとして働いていただきますけどね」 と提案する。綾彦さんは驚いたような表情をした後ににやりと笑った。あの、いたずらっこのような笑みを。 「それは良いこと聞いた。そうだな、それは約束だ」 「いいえ、これは契約。約束よりも確かなものですわ」 そして私は一度口にしたらそのことは守ります。と断言する亜里沙さんはいつもどうり、強気なオーラを放っている。 佐々木さんはこそっと私に耳打ちした。 「ねえ、この二人って結構似たもの同士じゃない?」 育ちなんてぜんぜん違うのに面白いじゃない。って佐々木さんは笑う。そして私もそれに釣られて、笑みを浮かべた。 |