ネガティブになるのならいくらでもなれる。
 ポジディブなったほうが周りにも自分にもいいと思っていた。
 だって、みっともない自分なんて誰も見たくないだろ。かっこいい自分がいればそれが最高だろ。
 だから卑屈な自分にふたをした。だって、それしかなかったわけじゃない。
 明るい部分だけをさらけ出すことがこんなに簡単じゃなかったら、きっと俺はつぶされていたのだろう。
 自分を哀れんでいるのなら、そんなにプライドが高くなかったらきっと違う人生を歩んでいたんだろうと思う。
 だからこれでいいんだと思っていた。自分にそんなみっともないところなんてないって言い聞かせていた。
 軽くて、明るくて。
 そんな自分がいるだけでよかった。それが、俺だって思っていた。
 その自分で満足していたし、そういう自分が好きだった。
 だけど、なぜあの少女の前ではその自分が崩れるのだろう。
 なぜ、そんな自分を思い出させるのだろう。


 近藤に断って綾彦は庭先に出た。
 あそこにいると妙にイライラがたまる。
 外の冷たい空気が肺を満たす。それがイライラを冷ましてくれるよう願った。
 口にポケットに入っていた飴を放り投げる。タバコを吸うならこういうときなんだろうと、非喫煙者である綾彦はぼんやり考えた。
 なぜかペースを崩されている現状にストレスがたまっているのかもしれない。
 気が合わないわけじゃない。むしろ、好きな部類に入るような子だ。
 特にいやなことをされたわけじゃないし、いい子だ。
 ただ、何か重なりすぎていて。センチメンタルというものなのだろうか。いてもたってもいられなくなる。
「相性が悪いってこういうことなのかね」
 自分の相性なんて思ったことがなかったけれど、悪いというのはそういうことなのかもしれない。
 相性なんて気にしたことがなかったし、どんなやつでも「それなり」の付き合いはできたから。
 好き嫌いはあっても相性が悪いとは思ったことがなかった。
 きっと、相性は最悪なんだろう。こんなにもペースが乱されることなんてめったにないんだから。
「まあ、今日一日だけの付き合いだろうしな」
 綾彦は自分に言い聞かせるようにそうつぶやく。
 まるで言い訳のように。相性が悪いだけだと言い聞かせる。
 そしてため息をついて庭を見渡すと思っていたよりも所々に植物が植えられているのに気づいた。
 美しく、気高く咲く花。健気にたくましく生える草。
 ひどく遠い場所に見えた。
『俺たち根無し草には……』
 近藤に言われた言葉が頭に響く。自由奔放が好きだったけれど、こんな風にしっかりと根を張っていたらまた違う幸せがあったんだろうか。
 多くの凧が糸につながれているのに、自分だけ糸を持っていない。
 それは確かに自由だけれど、孤独もそれに付きまとう。
 早く戻らなければ。孤独など知らん振りの自由大好きな自分に。
 戻らなければ、後悔してしまいそうで。
 それがひどくいやだった。
 後悔なんて役に立たないものだと思ってるし、後悔するほどひどい生活をしているわけじゃないんだから。
 孤独でなくても、自由がなくては息苦しい。
 そう思いながら生きてきたのに、それはまるで偽者のように思えてきて。
 そんなはずがないのにそう思い込んでしまう。
 それがひどく苦しくて。それがひどく惨めで。
 なんでもないと言い聞かせていれば、もしかしたらそうなれると思っていた自分がひどく愚かなような気がした。
 泣きたくなるほど、自分が幼くなったような気がした。
 恐ろしいと思う。ひどく恐ろしいと。どうにもならない迷路の中を走っているような。
 そんなことを考える自分に用はないのに。
「あー、面倒だ」
 コントロールできない自分が嫌いだ。
 そう思いながら、ふと庭に誰かが出ていることに気づいた。
(だれだろう)
 車椅子が見える。どこかが悪いのだろうか。
 遠目ではよくわからないが、少なくとも綾彦より片手分くらいは干支は回っているだろう。
 底で静かに何かを見ていた。
 老人が何を見ているかわからない。ただ、視線の先には植物があった。
 何を見ているのだろう。何を感じているのだろう。
 ここにいるのなら、まひるの関係者だろうか。
 老人はおそらく視線に気づいたのだろう、綾彦の方をふらりと見た。
 思わず綾彦は頭を下げる。そうすると老人は笑ったような気がした。
 それはまるで、仏のような笑みだった。


「まひるは、わしに似ず優しい子なんですよ」
 老人はまひるの祖父だった。思っていたよりも年は若いらしい。
 けれど、視線や何かは仙人を思い出させるように老成していた。
「あのこは優しい。とても優しい。だから自分のしたくないことをわしのためにしてくれる」
「撮影ですか?」
 綾彦がそう聞くと老人はくすりと笑った。
「おかしいでしょう。あの子は自分の写真になんてこれっぽっちも興味がなかったのに、自分から志願した形になってるんですよ。わしに心配掛けたくなくて」
「なんで、そうしてまで自分を撮ってもらってるんですか?」
 そこがわけのわからない原因だと思う。いったいどこにそんな写真を撮る必要性があるのか、綾彦にはわからない。それに、この老人にそれが心配につながるのかも。
「……一番きれいな孫の姿をわしが見たいといったからです」
「は?」
 きれいな孫の姿?
 それが何で写真撮影につながるんだろう。
 確かに永瀬川は腕がいいし、実際に現物を見るよりも写真で見たほうがきれいになるやつもいる。
 けれど、それだってこの人にとっては現物にかなわないに決まってるのに。
 それは綾彦のただの希望かもしれないけれど。
 この人の瞳にはまっすぐと孫への愛があるような気がして。
 そんな人が写真なんて必要なのだろうか。現物をめでるほうがいいんじゃないのか。
 老人はふっと笑う。それは何もかも見通しているというような、そんな笑みに綾彦は戸惑った。
「不思議でしょうね。孫の写真をほしがるなんて」
「いえ……」
 綾彦はあいまいな答えを返した。あまりそういうことに疎い綾彦には答えなんか出せない。
 写真は好きだけれど、特定の人の写真をほしがったことなんてない。
 ただ美しいもの、きれいなものの一瞬の輝きが自分のものになるなんてすごいと思うだけ。
 刻々と姿を変えるものが、永遠にその美しさをとどめておけるのが快感なだけ。
 どんなに写っているものが美しいか。それだけを求めてカメラを握った。
 被写体に思い入れがあるわけじゃない。ただ、きれいなものが好きなだけだ。
 この老人のように、誰かの写真をほしがったことなんてない綾彦にその不思議さは理解できない。
「……あいつにとってそんなに辛いことなんですか。写真というのは」
「その先にある未来を恐れているから辛いんだと思います」
 その先にある未来。
 老人に関する未来。
 綾彦の目が見開かれた。半ば呆然といったように老人を見る。
 ああ、わかってしまう。この人が老成しているよう見える意味も。
 彼女が辛いと思っている未来も。
 想像ができてしまう。ああ、だから……
「あんな変な顔をしてたのか」
 どうしようもなく不安げな、迷子の子供の顔を。

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