きっとこの人は私よりも純粋なんだと思う。


「……なに見てんだ?」
「別に」
 アキ兄は私の視線に気づいたのか振り向く。それが私にか気に入らなかった。
 ずっと気づかなければよかったのに。
「……そろそろ帰れよ。お前のクラスのテストを採点しなきゃならないんだから」
「い・や」
「……」
 アキ兄は私を睨むが、しばらくしたら諦めたようにため息を月また机に向かうのだろうと思う。
 私はアキ兄のほうを見ないようにしながら、もって来た雑誌を読む。けれどその内容はほとんど頭に入ってこない。
 仕方ないからまた再び奴の背中を眺める。今度は振り向きはしなかった。けれど恐らく気づいているのだろうと思う。
 アキ兄の名前は相楽 暁灯という。きっと朝か夜か分からない時に生まれたのだろう。なんて読むのと聞かれなれているに違いないと思う。あきひなんて、響きだけ見たら女か男かわからない。
 顔は結構童顔で、学生の頃は可愛いとお姉さま方にもてたのが自慢。今は高校教諭で新米英語教師として日々奮闘中。もてないわけではないが、同じ学年に美形教師がいるためそんなに目立たない。友達のような先生として女子より男子に人気がある。確かに猥談しても叱らない先生はうちの学校では貴重だけれど。
「暇ー」
「だからうちに帰れって」
「いやー」
 私達は時々くだらない会話をしながら一緒の空間を別々に過ごしている。
 女子高生が教師のうちにいると何かと問題視されるけど私達の場合は違う。
 一応義兄妹だから。
「だってさ、あそこにはお姉ちゃんと義兄さんがいるんだよ? あのラブラブ度は独り身には酷です」
「お前、確か告白されてなかったか?」
 何でそんな事知ってるんだお前は!
 まあ、大方仲のいい男子が話題にしたのだろうけど。一応義妹というのはアキ兄と私を知っている奴は知っているので自然な流れだろう。
 でも私は私とアキ兄の本当の関係の呼び名は知らない。
「えー、だって好みじゃなかったんだもん」
「そうか、そうか」
 アキ兄はめんどくさそうに相槌を打つ。しかし、その視線は未だにテスト用紙に注がれたままだ。
 それを眺めながら、私はそのテストの内容を思い出す。
 しかしそれは私にとっては思い出したくない過去として記憶の引き出しにしまってあるのか、まったく覚えていない。
 いや、ただひとつだけ覚えていることがある。それはぜんぜんできなかったこと。
 確かにアキ兄は教え方がへたくそというわけではないが、平均は著しく悪い。最高点を取る生徒と最低点を取る生徒の差が激しいのだ。
 それは絶対アキ兄が悪い。英語のテストというと大抵教科書の例文から出したりするのが普通だろうけど、アキ兄のテストは大抵オリジナル問題だ。つまりそのまんまの文章は教科書を探っても出てこない。
 今まで丸暗記でやり過ごしてきた生徒はことごとくアキ兄のテストにひれ伏している。私もその中のひとりだ。
 まあ、理解せずに丸暗記というのはいけないだろうけどこっちは一日に何教科も覚えなければならない身なのだ。そこら辺をわかってほしいと思う。  入試に教科書そのまんま出るわけではないし、実践的だとも思う。英語が得意な子とか英文科や留学を考えている人たちにはためになると好感。だけど落ちこぼれ達にはやっぱり酷だと思うのだ。
 実際アキ兄もそんなに面白くはないんだろう。ため息ばかりが聞こえる。  私はやることがなくなってテレビをつけた。
 すると「彼氏にしたい芸能人特集」なるものがやっている。
 芸能人なんて彼氏にしてどうするんだよと思うのは私がひねくれているからなのだろうか。
 私はあまり顔が綺麗な人を彼氏にはしたくないと思う。友達ならいいが、彼氏だったら完全に引き立て役になるんだろう。やっぱり一緒にいて自然な相手と恋愛したい。
 前にアキ兄にそういうことを言ったら、アキ兄はフッと笑ってそういうところがガキなんだと頭を撫でた。
 こいつにとって私は一生近所のガキに違いない。
「それにしてもお前な、何度も言うようだが一応俺の親戚なんだからもう少し勉強しろよ」
 アキ兄はやっと終わったのか眼鏡を外しながらそう言う。
「何度も言うようだけど、アキ兄のテスト問題が難しいのが悪いと思うのよね」
 私はわざとアキ兄の言葉を真似した。アキ兄の目は眼鏡の奥で細くなる。
「ほほう、俺はちゃんと範囲内の問題を出しているんだけど」
「それにしてはクラスの平均点最悪なんだけど」
「その平均点の低さをさらに増長させているのはお前だ」
「私が一番悪いわけじゃないわ」
 私が思わずむっとした顔でアキ兄を睨む。アキ兄はしょうがないというため息をついた。それがアキ兄が年上なんだということを知らしめているようでむかつく。
「おまえは他の教科が悪くないのに何で英語だけ駄目なんだよ」
「私は理系なの」
「英語は文理どちらの学校に行くとしても使うものだぞ。大学行くんだろ?」
「私はまだ高1よ? そんな時期じゃないわ」
「それでもだ。だいたい英語と数学は暗記でどうにかなるものじゃないぞ。実践あるのみだ」
「けっ、教師ぶっちゃって」
「ほう、お前は俺にそんな口を聞ける立場なのか? まったく、邪魔ばかりして」
 そういいながらアキ兄は傍にあった新聞を読み始めた。
「アキ兄、暇暇暇!」
「だったら帰れ」
「送ってってよ。こんなくらい夜道にか弱い美少女がいたら襲われちゃうわ」
「そこに鬼の面があるだろ。それかぶってけば? 誰もそんな怪しい女子高生に近づかないと思うし」
「……そうかえしますか」
「そうかえします」
 うーん、私的には突っ込み待ちだったんだけど。
 仕方がないからもう一度テレビに視線を映す。
 どうやら特集が終わったらしく、今度はスポーツ情報なるものをやっている。
 ちゃかちゃかとチャンネルを変えてみる。
 どうせスポーツなんかに興味はない。体育でやるものさえあんまりルールとかわからないのに人の勝ち負けになんて興味がもてるか。
「ねえ、アキ兄ってさスポーツ駄目人間だったでしょ?」
「は?」
 アキ兄はそんなにひょろひょろしているわけではない。男としては中肉中背よりちょっと背が高いくらいだろう。
 でも私は確信を持っていえる。こいつは絶対運動音痴だったに違いない。
「何でそう思うんだよ」
「ん、だってこの部屋にスポーツ用品ひとつもないんだもん」
 彼氏なんかいないしいたときも部屋になんかいけなかったけど、友達のお兄ちゃんの部屋にはごろごろとスポーツ用品が並んでいるらしい。しかしこの部屋にはスポーツ用品どころかスポーツウェアやジャージすらもない。
「……っつーかありえないわよね。独身の男の部屋にエロ本のひとつもないなんて」
 ベットの下とか覗き込みながらそういう。しかし、そこは今掃除をしたといわんばかりに綺麗だ。アキ兄はまだ潔癖症が直ってないらしい。猥談は平気なくせに。
「お前ら高校生と一緒にするな」
 アキ兄は馬鹿にしたように笑った。ここで生意気な笑みというふうに映るのはきっとアキ兄が童顔だからに違いない。本人はあんまり気にしてないけど。
「……アキ兄の大人ぶるところって私嫌いー」
「嫌いで結構。さっさと帰れ」
 新聞から目を離さない。きっと私がいなくてもそうなんだろうと思う。
 アキ兄はずるい。
 そうやって私を見ない。私を直視したことなんて一日にほとんどない。見るとしても大抵睨んでいる。
 毎日会っているのに。長い時間一緒にいるのに。
 私はこの人に私の目を見て話してほしくてここにいる。
 恋なんて甘い感情じゃない。
 同情なんてかっこいい感情じゃない。
 ただ、意地をお互い張っているだけだ。
 だから私はアキ兄を見つめ続けて、アキ兄は私を無視する。
 お互い、傷つけあって、その傷を見ないようにして、一緒にいる。
 ああ、なんて自虐的な関係なんだろうと思う。けれど、私はこの関係を手放せない。
 手放してしまったらこの人は一人になってしまうと思うから。
 せめて、せめて私の傷をこの人が見るようになるまで。それかこの人が違う人を見つめられるようになるまで。
 一緒にいたいと思うのは私。アキ兄はきっと私に近づいてほしくないに違いない。
 だから私は笑う。傷ついていない振りをして。何も知らない振りをして。愚鈍な振りをして。
 この人の人生の始まりを見つめる。
 傷ついた鳥がやがて飛べるようになるまで、私はこの人の傍にいる。
 アキ兄は無理をして笑う私が嫌いだから、ここぞという時にしか笑えないけれど。
 それもぎこちない笑みだけれど。
 私は笑う。この人と一緒にいる私のために。
 私は綺麗なものの隣に並びたいとは思わない。
 だから、私はアキ兄には恋をしない。
 アキ兄は脆くて綺麗だから、私は隣に並べない。
 きっと私が綺麗な人と並びたくないのはアキ兄からきているのだろう。
 私は手をつないで歩きたいわけでもなく、支えになりたいわけでもないから。
 隣に並ぶ必要がない。いや、隣に並んではいけないのだ。私が私である限り。
 ただ、鳥が飛べるようになるまで見ているだけ。手を出してはいけない。どうせ傷は自分で治すしかできないのだから。
 きっと、遠くない未来、私達はお互い違う人と歩いているに違いない。
 けれど……もう少しだけこの空間を共有させてください。
 

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