片翼の恋


17.



「俺、先生のこと好きだよ」



やっといえた言葉。
これをいえるまで長かったと思う。
とても長く、苦しかった。
恵那川先生は少し困ったような顔をしたあと、教師の顔になった。
そこで答えはもう決まっている。

「ごめんね」

その答えが本当はききたかった。
本気にしてもらえただけで嬉しかった。
この人の声を聞くたびに好きだと思った。
この人を見つめるたびに愛していると思った。
それが伝わったのだ。
これ以上、嬉しいことがあるだろうか。
拓海はなきたいのを我慢して、笑顔で先生に言った。
「ありがとうございました」
と。他に伝えたい言葉はたくさんあったけれど、それでもいいたかったのはこの一言だけ。
ありがとう。
受け止めてくれてありがとう。
告白を認めてくれてありがとう。
返してくれないのはもともと分かっていたことだ。
「先生、先生の恋人のこと、教えてくれませんか?」
いつか言っていた先生のピアノが好きだといった人。
先生と婚約した人。
「そうね、森下君には聞く権利があるかもね」
先生はそういうとピアノの鍵盤を指でなぞりながら話した。
「その人はね、有名なピアニストさんなの。あの人の弾くピアノはとても綺麗で、とてもやさしい音がするのよ。同じピアノなのにね」
「でもその人は先生のピアノが好きって言ったんでしょ?」
「ええ、だからうれしかったわ。私のピアノはあの人にはかなわないけれど、それでも美しい音色がでることを教えてくれたから。それに森下君にも似てる」
「俺に?」
「そう、あなたに」
いつの間にかピアノをなぞっていた指は拓海の頬にあった。
「拓海君のこと、私は好きよ?でもその好きじゃないんでしょ?」
拓海は少し悲しそうに頷く。
その答えに満足したのか、先生はにこっとわらう。
「ごめんね、返してあげられなくて。でも、ありがとう。好きって言ってくれて、うれしかったわ」
拓海もそれに倣って、にこりと笑った。
「ありがとうございます。受け止めてもらえて、うれしかった」
そして拓海はドアのほうへ向かう。
ふと、思い出したように拓海は振り返った。
まだ聞かなきゃならないことがひとつある。
それは……。
「先生……今は幸せですか?」
先生は驚いた顔をしたが、次の瞬間には拓海に最高の笑顔を見せて頷いた。
「ええ、幸せよ」
「それはよかった」
拓海はその答えに笑って返して、失礼しましたとドアの向こうに去っていった。
そしてそこには、ピアノを弾く恵那川先生の姿があった。
それはあまりにも悲しくて、あまりにも美しい曲。
まるで拓海の気持ちを表しているような曲だった。


拓海が音楽室の外に出るとそこには宇美が待っていた。
宇美は何か言いたそうな顔をしたが、何も言わない。
ただ、そこに笑顔で立っているだけ。
「さっき、告白してきた」
「うん」
「見事玉砕」
「うん」
「でもありがとうっていわれた」
「うん」
「だから……」
だからいいんだと言おうとして、拓海は言葉に詰まる。
頷くだけだった宇美はそっと拓海に近づいた。
「だから」
「うん」
「だから、これでよかったんだよな?」
拓海がそう笑うと、宇美の手が拓海の頭の後ろに伸ばされる。
そして、そのまま抱きしめられた。
どうしてだか分からない。
けれど、それはとても暖かくて。
それがとても悲しくて。
「泣いても……いいんだよ」
宇美がそういうと、とたんに涙があふれてくる。
止めようとしても止まらない。
止めようとも思わない。

「ずっとずっと好きだったんだ」

「伝えられてよかったんだ」

「なのに……なんでこんなに辛いのかな?」

拓海の声は震えていた。
宇美は拓海の頭を抱えたままゆっくりと落ち着かせるように言う。
「大丈夫よ。そばに私がいるから。泣きたいだけ泣いて。私だけはそばにいるから」
拓海が顔を上げると宇美も涙を流していた。
それがひどく綺麗に見えて。
どんどん近づく顔。
この想いはあまりに共鳴していて。
けれどその想いはもう崩れていて。
壊れたままの想いを抱えている自分達。
この目の前の人物がまるで自分のように思えるこの瞬間。
気がついたら二人の唇は重なっていた。
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