片翼の恋 5 どうしようもなく、惹かれる。 そんな恋、あるわけがないと拓海は思っていた。 恋なんて、所詮は幻想にすぎないのだと。 だったら今の拓海は幻想を見ているのか。 どうして胸が高鳴るのか。 クラスの女子の腕が偶然当たったとしても、そんなにときめかない。 けれど、なぜ彼女だけに反応するのか。 くるしい。 そんな言葉で現せないほど苦しい。 誰かが言っていた。 『恋は所詮生殖反応でしかないのだ』と。 だったらこの高まりは本能的なのか? 本当にそれだけなら拓海はすでに恋などの幻想から覚めているだろう。 それができないのは、理屈でなんか説明できないから。 だって、ほら、 『恋の病はお釈迦様の草津の湯でも治せない』 これは本当に困った病気だと思う。 なぜこんなにも苦しめる。 吐き出せない想い。 「森下君」 そう呼ばれて振り返ったのがまずかったと自覚する。 優しげな声。 きっとどんな喧騒の中にいても聞き取れるだろう。 けして間違うことはない。 その声に無意識に反応してしまうこの心。 「なんですか?」 できるだけ平静を装う。 ちゃんとできているだろうか。 ちゃんと生徒の顔をしているんだろうか。 「今日の選択の時間のことなんだけど、吹奏楽の人たちが昨日から散らかしっぱなしらしいから音楽室が使えないの。だから特別二室でやるから連絡してもらえるかな?」 ただの連絡事項を伝えにきただけ。 それだけなのに、舞い上がる拓海の心臓。 それはきっと自分だけに向けられた言葉だから。それだけで簡単に気分は上昇する。 「……そんなところでなにするんですか?」 けれどそれを悟られてはいけない。 できるだけめんどくさそうに、できるだけ迷惑そうに顔を作る。 そうすれば目の前のこの人は必ず困ったように笑いながらそれでもいうはずだから。 「そうね〜、こんかい腹筋でも鍛えさせようと思って。ほら、合唱って腹筋が命だから。そんなに煩くできないしね」 その困ったような顔を最近も見たような気がして、拓海は少し思案する。 そして宇美の顔を思い出した。 宇美もよくこんな困ったように笑う。 けれど、こんなに心臓の鼓動は早鐘のように打たない。 きっとこの人だけに反応するのだといまさらながらに思う。 「あ、そろそろチャイムが鳴るね。森下君も早く教室に入りなさい。じゃあ、連絡忘れないでね」 そういいながら職員室に入っていく先生を見送る。 拓海はその姿が見えなくなるのを確認するとその場に力が抜けたように座り込む。 その顔は熱がでたのではないかと思うほど真っ赤だった。 「やっばいよな」 つい口に出てしまったセリフ。 ここが人通りのない廊下でよかったと拓海は思った。 そのまま、拓海は屋上に向かった。 機械的な音が授業開始を伝えたが、この赤い顔では出られないだろう。 どうせ、サボるの初めてではない。 拓海は勝手にそう理由付け、屋上のドアを開いた。 するとそこには先客がいた。 (岩本……) そこにいたのは岩本 修也。 ドアの音で岩本のほうも気づいたらしく、片手を挙げて挨拶をしてきた。 「よう、森下だったな」 「岩本……授業は?」 思わず自分にも同じことが言えるのだということを忘れて、そう聞いてしまった。 岩本は苦笑しながら 「授業はその気になんねーと受けねーよ。それよりどうにかしたらどうだ?立っていられるとこっちが気を使う」 といいながらも岩本はひっくり返った。 拓海は少しめんをくらいながらもそれに習う。 「……おまえさ、相沢と昨日の昼休み一緒にいたか?」 暫く無言でいた岩本が、何気ないという風に聞いてくる。 しかし、拓海にはその発言は唐突に急所を突かれたような衝撃をあたえるものだった。 「何で……?」 半ば呆然とそう聞く。それが肯定だといっているのも同じだと気づいたのはそう聞いてしまったあと。 「相沢探してたらお前と一緒にいるところを見たからな」 「……もしかして、聞いてたのか?」 拓海は睨みつけるように岩本を見る。 見られていたのなら聞かれているかもしれない。 あそこは防音設備がまったくないといっていいから聞こうと思えば聞こえるはずだ。 聞かれていたのなら……まずい。 まずすぎる。 あの時拓海と宇美はどんな会話をしていたのか。 それを考えるとやばすぎる。 岩本は必死になっている拓海を見て驚きながらも首を横に振った。 「別に誰かの話を立ち聞きするほど俺は趣味は悪くねーよ」 その言葉を聞いて、拓海の肩の力が抜けていくのが岩本にはわかった。 (そんなに聞かれちゃやばいことでも話してたのかよ) そう思わずにはいられないような拓海の極端な安堵。 どういう会話をしていたのか気にならないといったら嘘になる。 けれど、そこまで立ち入る気は岩本にはなかった。 話は終わりだという風に岩本は胸元から白い箱を取り出す。 そのパッケージを見て拓海は目を見開いた。 「岩本……、それ……タバコ……」 確かにいまどき高校生のタバコの喫煙は珍しくはないだろう。 噂では喧嘩をしたりして岩本は問題児扱いされているが、タバコをすっているという噂は聞いたことがない。それにいきなり出されるとめんをくらう。 驚く拓海に向かって岩本はにっと笑う。 「吸ってみるか?」 と拓海にタバコの箱の開け口を向けた。 拓海はそれを首を振ることで拒否する。 「いや、俺はタバコと薬物はやらねーことにしてんだ。くせになったらどうしようもないからな」 隣で女がタバコを勧めてこようと拓海はそれを拒否していた。 まあ、それは拓海の想い人がタバコ嫌いでそのにおいに敏感だと聞いたからだったが。 「ふ〜ん……」 岩本は適当に返事を返しながらタバコの煙を吐き出す。 それを見ながら、拓海はあまり意味を含ませないように努力しながら何気ない風に聞く。 「お前ってさ……相沢のこと好きなわけ?」 「……なんだと?」 口を開いた瞬間タバコを落としそうになり、慌てて岩本はそれを手で支える。 しかし、それでもそれを吸おうとはせず呆然と拓海を見つめた。 「いや、さっきから相沢のことを気にしているみたいだからさ。もしかしたらそうなのかなと思って」 拓海は言い訳をするようにいう。 それでも岩本は少し驚いたように拓海を凝視していたが、暫くしてフッと笑った。 「いや、俺はちゃんと恋人がいる。相沢は、気の合う友達だ」 「へぇ〜」 「だからお前が相沢を好きでも何の問題もねーよ」 岩本はいたずらっ子のような顔でにっと笑う。 それが意外にも可愛くて、拓海も自然に笑顔になった。 そして岩本が噂とはぜんぜん違う人物なのだと思った。 (だから相沢もあんなふうに話すんだ) 「でも俺は相沢が好きなわけじゃないよ。俺には好きな人がいるから」 拓海は空を見ながらそう答えた。 今日みたいな空を雲ひとつない青空というんだろうなと思いながら。 岩本は少し目を見開いて、それから目を閉じる。 「まあ、あの様子だと逢引って感じもしなかったしな」 口ではそういいながらも、期待はずれだと態度で示す。 なんとなくすねている岩本が可愛くてまた拓海は笑った。 「しかし、そんなに仲が悪いってわけでもないんだろ」 「最近まで話してなかったけどな」 「あいつ、とっつきにくいところがあるからな」 「ああ」 「詮索されるのも嫌いだろ。それに女子の中じゃ浮いてるしな」 「それってお前のせいでもあるんじゃねーの?岩本にそんなに気軽に話しかけられる女子なんてそんなにいねーよ」 拓海の発言に岩本は少し眉をひそめる。 「俺は売られた喧嘩を買ってるだけだ。断るのもメンドーだしな。そんなの、どいつもやってることだろ」 「じゃあ、その手に持ってるものはなんなんだよ」 拓海は岩本の手にあるタバコを指差した。 岩本はばつが悪そうに拓海とタバコを見比べる。 そして仕方がなさそうにタバコの火を消した。 「ここで以外は吸ってねーよ。大体噂も喧嘩のことだけだろ」 岩本が言い訳っぽくそういうとよっという掛け声とともに背を起こした。 拓海も一人でねっころがってるのはみっともないと思い、起き上がる。 「それだけでも女子にとっちゃコエーんだよ」 「あいつは怖がらなかったぜ。笑ってきいてやがった」 「相沢と一般の女子を一緒にすんなよ」 拓海はそう思いながらもだんだん自分の中の相沢像が変わっていくのがわかった。 (もうすでに「深窓の美少女」ってのはどこにもねーな) 最も深窓の美少女では岩本と話をすることはあるまいと思っていたが、それにしても外れすぎだ。 岩本も岩本で噂と違うし、最近噂の信憑性がとことんないことに気づかされるばかりだ。 「じゃあ、そろそろ俺、行くな」 拓海はすっと立ち上がると、会談に繋がる扉のほうへ向かって歩いていく。 すると、途中で岩本に呼び止められた。 「あ、そうだ。相沢にはお前と一緒にいたところを俺が見たって言うなよ。てっきり何か見られちゃやばいことでもあったのかと思ってごまかしておいたんだ」 「ああ、わかった」 拓海は頷くと屋上から姿をけした。 岩本はそれを見送りながら 「あいつらって何か似てるよな」 といったのを聞いたのはコンクリートの隙間から生えているぺんぺん草だけだった。 back top next |