片翼の恋



どうしていいのか分からない。
それはきっと、あの人のせいだ。
森下 拓海。
あの人と一緒にいると感情が表に出てしまうから。
感情を受け止めてくれたのはお兄ちゃんだけだったのに。
だからお母さんやお父さんの前では出さないようにしていた。
従順であれば、あの人たちは愛してくれた。娘と認めてくれた。
けれど、私はそれがほしかったわけじゃなかった。
けれど怖かった。あの人たちに見捨てられるのが怖かった。
お願い、見捨てないで。
そのためにはどうすればいいのかを私は知っていた。
だから感情を表に出さなくなった。
それに最初に気づいたのはお兄ちゃん……。



『わがままを言っても誰も責めたりしないよ。少なくても俺は宇美が好きだよ』



その言葉がうれしかった。
自分が認められた気がした。
だから私はお兄ちゃんにはわがままをいうことだってできるし、お兄ちゃんの前では素直に怒ったり笑ったりできた。
いつごろだっただろう。
お兄ちゃんにも言えない感情が芽生えたのは。
その感情は表に出たがっていた。けれど、私は扉を閉めてその感情を閉じ込めた。
そうでなければおにいちゃんのそばに入られなかったから。
そして、その扉を開けたのは森下君。



『俺たちお互いに甘えてもいいんじゃねーの?』



その言葉は私にとって救いだった。
本当は救いなんて、求めてはいけなかったのかもしれない。
そうすればますますこの想いが膨れるだけだと知りながらも、私は森下君の好意に縋った。
あの時、泣けば良かったのかもしれない。そうすれば冷静になれたから。
でももうきっと、この想いは育ち続けることを選んでしまうだろう。
私がそう仕向けたのだから。







「相沢さん!!相沢さん!!」
宇美を呼ぶ声が聞こえる。
とっさに宇美はその声の方向を振り向いた。
すると数人の女子が宇美に手招きをしている。
そんなに仲が良いわけではなく、本当にクラスメイトという名の関係でしかないのに。
(……まあ、呼ばれたら行くんだけどね)
宇美が手招きされている方向に向かう途中もなにやらひそひそと仲間内で話している。
そしてちらちらと海を見る。
それが宇美にとって不快以外のなにでもなかった。
「ねえ、相沢さん。相沢さんのお兄さんってさ、確かY大だよね」
いきなり質問をぶつけられて海はむっとする。
勿論それを表に出すことなんてないけれど。
「そうだけど?」
「キャ〜!!やっぱり!?」
なにがやっぱりなんだかわからないリアクション。
「やっぱりお兄さんが頭いいと勉強とか教えてもらえる?どうりで相沢さんが頭いいわけだよね」

なにがどうりで?
「やっぱり頭のいいお兄さんがいると得だよね〜」

なにが得?こんなにも苦しいのに。
「……そんな事ないよ……」

お願いだからもうやめて。
「ねえ、お兄さんってかっこいい?」

やめてよ
「かっこいいに決まってんじゃん。相沢さんだって美人だしさ」

やめて

「一回見てみたいな〜、相沢さんのお兄さん」

やめて!
「ねえ今度……」

やめて!やめて!
「しょうか……」
「相沢、ちょっといいか?」
「……え?」
肩を叩かれて、振り返ると岩本 修也が立っていた。
「い、岩本君。相沢さんに用なの?」
クラスメイトの子が岩本に恐る恐る声をかける。
岩本は慣れているといわんばかりに宇美の手をとり、
「こいつ、借りていくから」
と宇美の返事も聞かずに廊下へと連れ去っていく。
クラスメイト達はそれを見送るしかできなかった。


「どうしたの、いったい?」
宇美は苦笑しながらそう聞いた。
岩本が困ったような頭をかきながらそっぽをむく。
「……お前が困ってるみたいだったからな。あんまり干渉されるの好きじゃねーんだろ」
岩本のこういうところに宇美は好感を持っていた。
(何で皆怖がるんだろう。この人はこんなに優しいのに)
岩本と宇美があったのは入学式のとき。
入学式に寝ているのだから上級生なのだと思った。

『風邪・・・・・・ひきますよ?』

宇美が親切心半分、好奇心半分で声をかける。
岩本は、眠そうに薄目を開けながら宇美のほうを見た。
『……今何時?』
『えっと、9時半です。もうすぐ入学式が始まりますが』
『……あんたって新入生じゃないのか?何でいまここにいる?』
『え、私は少ししたら戻るけど……、ここには外の空気を吸いに』
『……』
『あなたは上級生なんですか?』
『……そんなにふけて見えるのかよ。お前と同じ新入生。ほら、入学おめでとうの花も付けてる』
『え!?あ……ほんとだ』
『……お前、変な奴』
『……あなたに言われたくないわ。入学式で寝ているなんて』
『無表情で驚いた声しているお前のほうが変だ。ってかそれって癖?』
『……』
『まあ、いいや。俺は岩本 修也。同じクラスになったらよろしくな』
『……相沢 宇美よ。よろしく』
こんな風に出会った二人。
けれど、そんなに長くは続かないと思っていた関係が今までずるずると続いている。
二人ともクラスにそんなに仲のいい友達などいない。
岩本は喧嘩三昧だし、宇美はクラスからは浮いていた。
だからだというわけではないが二人とも、それなりに話をするようになった。
宇美は知っている。
本当は岩本が結構優しいことを。
そして少し不器用な事も。
だから、皆も岩本の中身を見れば怖がらないのだと思う。
そう、中身で嫌われている自分とは違って……。
「そういえば、お前さ昼休みどこ行ってたんだ?」
「……え?」
宇美は岩本の言動に驚いた。
昼休みは拓海に呼び出されていた。
そのとき、岩本は自分を探していたのだろうか。
宇美は正直に話そうか迷ったが、あの拓海の言動からして知られるのは嫌なのだろうとおもい、ごまかすことにした。
「今日はちょっと外が気持ちよさそうだったから、外にいたの。何か用事でもあった?」
宇美が恐縮もしないで聞く。大体そういう風に岩本が言えば女子に限らず大抵のものは恐縮して、岩本の機嫌を損ねないように下手に出た。
それが宇美にはない。
きっと宇美はもともと約束されていなかったのだからいなくても謝ることではないとしか思っていないのだろう。
それが宇美なのだと岩本は思っていた。
だから対等なのだ。別に干渉しあうわけではない。どっちがどっちの言いなりになるわけでもない。
岩本にとって宇美との関係は居心地が良かった。
「ああ、俺じゃないけどな。隣のクラスの佐々木が探してたから、少しな」
「……佐々木君?私とあの人とはあんまり面識がないし、委員会も一緒じゃないはずなんだけど……」
本気でわからないという風な顔をしている宇美に岩本は苦笑する。
宇美は自覚していないのだ。
自分のことを深窓の美少女だとか、大和撫子だとか言われているのを。
しかしそれは宇美のことを知らない奴らが言うのだと岩本は思っていた。
宇美は慎み深いわけではなく興味を持つものが極端に少ないのだ。
それにおとなしいわけではなく無駄な事をしたくないだけ。
おてんばでは確かにないが、かなり見た目からかけ離れた性格をしているのだと岩本は思っている。
時々、宇美が何かに思いをはせていることを岩本は気づいていた。
けれど、それについては宇美には何も聞かない。聞く権利さえない。
宇美だって隠し事のひとつや二つはあるし、全てをさらけ出す関係ではないのだから。
宇美が聞いてほしかったら、話すだろう。しかし、話さないということは話したくないからなのだ。
それを聞けるほど、岩本は自分勝手なつもりはなかった。
「愛の告白なんじゃねーの?」
岩本がいまだに不思議がっている宇美にそう茶化すようにいうと宇美は眉を少し潜めながら
「岩本君……。そんなわけないでしょ?」
と岩本を睨む。
岩本はニヤニヤしながら
「ありえねーことじゃねーだろ。だいたいそんな事結構あるんだろ?」
と宇美の額を小突く。
宇美はそれに少しむっとしながらも
「確かになんかいかは告白されたけど……。でも、私はそういうのは困るわ……」
と少しうつむいた。
「何で困るんだよ」
「だって、結局受け取れないもの。受け取れない思いをぶつけられたって……。そういうのは勝手だってわかっているわ。でも……」
「……お前ってさ、好きなやついるわけ?」
岩本の何気ないセリフに宇美はドキッとする。
「だってさ、受け取れないって決め付けてるのは好きなやつがいるからだろ?まあ、いいんだけどな」
岩本は二十センチくらい低い宇美の頭をまるで子供にやるみたいにくしゃくしゃと撫でた。
「ただ、お前が話したくなったら聞いてやるからさ。俺は口が堅いほうだしな」
「……そういうあんたは小百合さんとどうなったのよ」
子ども扱いされたのが少し悔しいのか宇美は逆転を狙って攻めた。
結果は惨敗だったけれど。
「お前に心配されなくてもバカップルにならない程度にラブラブだ」
「あっそ」
宇美は呆れたようにため息をついた。
少し羨ましいと思いながら。
「せめて後悔する恋愛はするなよ。後悔しながらする恋愛は馬鹿がやることだからな」
岩本はそういいながらにっと笑った。
それが宇美の急所を突くことを知らないで。



宇美は岩本と別れると、窓から空を見上げた。
「これは……後悔する恋……?」
そう呟いても、その答えは出ないのだけれど。
宇美がしている恋は後悔をする恋になるのだろうか。
そう思わずにはいられない。
なぜこんな恋をしているんだろう。
何度も繰り返した問いを宇美はまた自問した。

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