5.孤独の意味

「へえ、そういうわけだったの」
 アネットは紅茶を飲みながらそれだけを言った。
 アネットの横にはロイとリーカルが座り、ロイの隣にはゼルが、その隣にはリリルが座っ ている。リーカルの隣にはルーナがおとなしく座っていた。
 アネットは思ったよりも簡単に信じた。まるで疑いを知らない子供のように。
 けれど、さっきまでの言動からして警戒心は強いタイプだと思う。
 だからこそはっきりいって信じてもらえないかもしれないと思っていた。
 むしろ
「ねえ、何でそんなに簡単に信じてんのよ」
 リリルは戸惑ったようにいう。
 そう、この世界の人たちには信じられないことのはずだ。
 天使族と悪魔族は神が管理する世界すべてに配属できるほどいないのだから。
 新人とはいえいっきに五人が配属されることすらまれだ。
 世界は無限に存在する。
 そのため、一人も天使族と悪魔族がいないところだってあるのだ。
 掛け持ちだって当たり前のようにある。一度配属された世界に情が沸いて新しく配属され た場所と掛け持ちする者も大勢いる。
 それに天使族も悪魔族もめったに自分たちのことをばらそうとはしない。
 そのことによって仕事がしにくくなることも多いから。
 特に悪魔族は死を司る。ただ魂の運び屋なだけなのだが、それでもそんな彼らを嫌うもの も多い。
 死を怖がる種族が多いからそれは仕方がないことだが、それでも事故死などは彼らのせい だと思い込むものもいる。
 だからこそ、彼らは自分達に近い種族や――精霊族や魔物族など――信頼が置けると思わ れるものにしか明かさないようになっている。
 なので伝説などには残っているだろうが、実際にしっているものはあまりに数少ないはず なのだ。
 だから目の前の少女がすんなりと信じたことは全員信じられない思いだった。
 アネットはポケットから何かを取り出した。
「私はこれを拾ってたから。そして、そこのロイが翼を生やしていたのを見てたからね。何 かないほうが変でしょ」
 とロイのほうに漆黒の羽を渡した。
 それは、間違いなくロイの翼の羽。
 ロイは驚きを隠せないまま、アネットを見つめた。
 アネットもロイを見つめ返す。
 そして、その瞳は怯えに変わっていくのにアネットは気づいた。
「どうしたのよ」
 いくらか気を使うようにアネットは聞いた。
「……怖く、ないんですか?」
 ロイは少し躊躇しながら、恐る恐るといったように聞いた。
 リリルははっとしたようにロイに目を向ける。
 ルーナは心配そうにロイを見つめる。
 リーカルはじっとアネットを見つめた。
 ゼルは少し戸惑いながらもアネットを懇願するように見る。
 アネットはなんて答えようか少し逡巡しながらもまっすぐとロイを見つめる。
「それはあなたたち全員に対しての質問かしら? ……それともあなた個人に対して?」
 ロイはおびえを隠し切れていない目でアネットを見る。
「……僕自身です……」
 ロイは口ごもりながらもはっきりとそう言った。
 リリルはその答えを聞いて思わず唇をかみ締める。
 ルーナは思いつめたようにうつむいた。
 さっきの答えを目の前の少女は知っていたはずだ。
 アネットはあまり変わらずに自分達に接していたことをルーナは感じていた。
 だからさっきの質問の答えが自分たちであることはけしてなかったのだ。
 その答えはもうすでに出ていたのだから。
「……怖くないっていったら嘘になるわね」
 アネットの答えに思わずルーナは叫びたくなる。
 あんたになにがわかるのよ! あんたにロイのなにがわかるのよ!
 そういわなかったのは、リーカルがルーナの腕をつかんでいたから。
 きっとリーカルにはわかっていたのだ。そしてルーナだって本当はわかっている。
 アネットはロイのことを嫌いなわけではない。けれど、それは本能的な恐怖なのだろう。< BR>  それを否定するのはむなしいだけだ。どんなにがんばってもぬぐえない恐怖だってある。< BR>  恐怖がなければ危険を察知することなんてできないから。だから……仕方のないことなの だと思う。
 ロイは少し、悲しげに笑う。笑って欲しいと願っていた。けれど、その笑みはけして見た いものではなかった。


「そう……ですよね。当たり前ですよね。親を殺しておきながらのうのうと生きている僕は  自分でも怖いんですから。あなたが怖がって当然なんですよね」
 ゼルがロイの手をぎゅっと握った。
 ゼルの手から伝わってくる暖かさは少しロイの心を回復させる。
 けれど、それでもロイの心はガラスのようにひびが入っていた。


 なにを期待していたんだろう


 そう思わずにはいられない。
 けれどロイは期待していたのだ。
 この目の前の少女はきっと自分を怖がらないでいてくれるのだと。
 養父を知らなくても、きっと怖がらないでいてくれるのだと。
 それはけしてアネットが悪いわけじゃないことはわかっている。
 アネットは真摯に答えてくれた。けして眉をひそめるわけではなく、ちゃんと目を見て答 えてくれる。
 お愛想や嘘ではなく、ただ真実を口に出してくれる。
 アネットはいい人だ。得体のしれないロイ達を屋敷で看病してくれるのだから。
 だからこそ、それがとても辛かった。悲しかった。
 ロイはこころもちアネットから離れるようにする。
 しかし、アネットはゼルが握っているのとは反対の手を握った。
 その暖かさに、ロイは驚いたようにアネットを見る。
 そのアネットの瞳には恐怖や恐れなどまったくない。
 それどころか温かい目をしているような気がした。
「たしかに、あなたは怖いわ。だけど当たり前のことじゃない。だって、私はあなたを知ら ないんだもの。そんな話を聞かされて怖いと思わないわけがないじゃない。けどね……」
 ゆっくりと言い聞かせるようにアネットは静かに言う。


「多分あなたのことは嫌いじゃないわ。だからむやみに恐れたりする必要はないの。怖いと 思うわ。けど、それはあなたが――あなた達が私の知らない誰かだからよ。だからあなた達 を知っていけば私は恐怖は消えると思っている」


 ――それに、とアネットは続ける。


「あなたの親だってあなたを生みたいから死んだのよ。誰もいらないもののために死なない わ。あなたの親は禁忌を犯したかもしれない。でもそれは罪ではないと私は思う。あなたは 何で自分を生んだか悩んでいるようだけど、そんな理屈、きっとあなたの親には関係なかっ たのよ。あなたを愛したいから生んだだけなの」


 アネットの言葉はロイの心に光をもたらした。
 ああ、良かったとロイの瞳に安堵の色が浮かぶ。
 許されるのかもしれない。この何も知らない少女になら。
 
 けれど、なにかがひっかかる。
 そう言ったときのアネットはとても悲しそうに見えた。
 とても、辛そうに見えた。
 なぜなのだろう。なぜこんなにもつらそうなのだろう。
 孤独――ロイとはまた違う孤独。


「あなたは愛されていたのよ、親に。それはそれだけで価値のある人間になるわ。……私と 違ってね」


 そういうアネットの顔はロイには泣いて見えたのは気のせいではない。
 たとえ、涙を流さなくても泣いていることもあるのだと、今はじめてロイは知る。
 出口のない涙はアネットの体に留まり、最終的にどこへいく?


「……アネットさん、親は?」
 暫くの沈黙の後、そう聞いたのはリーカルだった。
 アネットに、無表情で聞くリーカル。
 全てを知っているかのように、答えを待つ。
「……暫くは帰ってこないと思うわ。だから別にどのくらいいても私はかまわない。食費も 私一人じゃ食べ切れないほどあるしね」
 その言葉には非難が含まれていた。拒絶が含まれていた。
 ――聞かないで。
 ――私のことはほっといて。
 それがロイの心にとげを刺す。
 それがロイに向かっているのではなく、自分を守るための鎧だからなおさら。
 そのとげに、ロイは昔の自分を思い出す。
 ――かまわないで。
 ――ごめんなさい。もう――
 育ての親、ナーリュスさえも拒絶した自分。
 心が痛まないように、ぎゅっと目を閉じて耳を覆っていた自分。
 ああ、この人は昔の自分にそっくりだ。
 ロイはそう感じた。
「……そうさせていただくわ」
 リーカルの声でロイはわれに返る。
 アネットは何もいわない。ただ、食べ終わった食器を片付けて食堂を去った。

 ルーナは何か言いたそうにしていたが、姉の決定を否定することはなく、おとなしくいけ てあった花をもてあそんだ。
 ルーナにはわかっている。
 姉がここまで誰にも同意を求めていないということは、これは何か意味を持つ行動なのだ ということを。
 誰かに同意を求めていたのならルーナは即座に反発することができただろう。
 けれど、リーカルはそうすることはない。ということはこれは正しいことのはずなのだ。< BR>  それなのになぜこんなにも変な気持ちになるのだろう。
 それはきっとさっきのやり取りが、不快だったからだ。いつものリーカルらしくなかった からだ。
 リーカルは自分と違って他人を優先することをルーナは知っている。けれど、さっきのや り取りでは自分の意見を推し進めようとしているようにしか見えなかったから。
 姉の真意が分からない。ルーナはただ、押し黙るしかできない自分が悔しかった。


「どうしたのよ、いったい」
 あてがわれた部屋に入った瞬間、リリルは不機嫌そうにリーカルに聞いた。
「あんたらしくないじゃない。あんただったら、ああいう時優しく諭すとかそういうふうに いうんだと思ってたわ」
 リリルは大げさに驚きを表した。
「……でも俺はあれでいいと思うぜ」
 ゼルは静かにそう言った。
 ただ、当たり前の事実を言うように声に変調はない。
 それがリリルの癇に障る。
「なんでよ?」
 リリルは不機嫌なのを隠さないまま、自分の弟を睨みつけた。
 ゼルはめんどくさそうに頭をかきながら、姉に言った。
「あのこってさ、一人にしておくと危ない感じがするんだよな」
「はあ?」
「つまり、ああいう状態がやばいってことよ」
 リリルがわけがわからないという風に聞き返すと、リーカルがゼルの変わりに答えた。
「あのこの目はなんとなく切り捨てられたことのあるような目をしているから」
「つまり、昔のロイみたいな?」
「ちょっと!!」
 ルーナは焦ったようにリリルを見た。
 リリルがそのときのことをいうのは初めてで、怒りよりまず驚きが先に来た。
 リリルはその事実をいつも嫌う。そうしたのは自分と同じ悪魔族だということに罪悪感を 覚えている。
 ロイが自分が悪かったかのように言うから、余計否定したくなる。
 その彼女がそのことを持ち出すのは今までなかったことだ。
「うん、僕もそう思った。彼女は昔の僕に似ているよ」
 ロイは肯定した。
 ただ、と言葉を続ける。
「ただ、違うのは彼女には親がいるってことだよ」
 親を知らずに孤独を感じていたロイ。
 親がいても孤独を感じているアネット。
 そのちがいはおおきい。
 いったいどっちがましなのだろう。
 それは考えても答えの出ない問いだったけれど。

 わかるのは、アネットが苦しんでいるという事実だけ。
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