6.家族と親

「……異端か……」
 アネットはさっきから気になっていた一言を呟いた。
 はっきり言って、ロイの翼を見ていなかったらさっきの話は信じられなかっただろう。
 綺麗だと思っていた漆黒の羽。
 それが、異端の印だなんて思わなかった。
 異端……。本来ならありえない形。
 正統とされないもの。
(馬鹿みたいだとは思うけど……)
 アネットは人間の数だけ形があると思っている。
 それがぴったり一致することなんてないのだ。
 だから人は全てを見通すことなどできない。
 心も何もかも、手探りでしかわからない。
 だれにもそれが間違っているかどうかなんてわからないはず。
 それでもやはり、正統なものとそうでないものがあるのだろうか。
(まあ、あるんだろうから異端って言葉があるんだろうけど)
 それを受け入れることはとても難しい。
 人は自分の理解できないことを嫌うから。
 それは理屈では説明できない。本能的に身を守るためにある恐怖。
 理解できないものは自分を害するかもしれない。それから身を守るための防衛手段。
 それはあたりまえにあるもの。――だからむずかしい。
(あの子達はどうやって受け入れたのかな……)
 ロイ以外の四人の顔が浮かぶ。
 真っ先に顔が浮かんだのはリーカルだった。
 彼女の問いに思わず顔がゆがむ。
(彼女、多分気づいたわよね。……なんであんな話になったんだろ)
 リーカルに悪意はない。
 きっと気を使って言ってくれたんだとは思うけど、それでもきついものがある。
(気にしてないつもりでも……結構気にしていたんだ)
 そのことが少しだけショック。
 あんな親を持つ自分でも、親の愛を無意識に求めていたなんて。
 求めて手に入るものではないからあきらめていた。
 今日だってどうせ帰ってこないだろう。
 だからこそ、あの五人をとめることができるんだけれど。
(なんとなく、あの五人のそばにいると安心するわ)
 見ているだけで楽しい。
 そのときアネットは自分の気持ちに気づいていなかった。
 アネットはその五人に家族を求めていた。
 ずっといてくれればいいと、考えているのに気づいてはいなかった。


 数週間後。ロイ達はいまだ、アネット宅に滞在していた。
 アネットはロイ達を追い出そうとはしないし、彼らもいくところがない。
 はっきりいって彼らはこの世界では奇異な存在だ。
 翼や羽や尻尾は服に隠れるし、天使族の輪も透けるようになっているのかあまり目立たない。
 けれど、お金も持っていないし働くにしてもこの世界の常識がまだ彼らには根付いていない。
 このまま放り出すのはいささか気の毒であるし、心配もある。
「ちょっと!ルーナ!これじゃあ、食べられないじゃない!」
「黙ってなさいよ!リリル!あんただってどっこいどっこいのくせに!」
「そろそろアネットの雷が落ちるぞ」
「リリル、ルーナ、もうそこら辺にしないと」
「……どうしてこう煩いのばっかり揃ってんのよ」
 五人がアネットに食事の用意を命令されてそれを遂行している。
 リリルは呆れたようにアネットを見た。
「あんたがこんなに人使いが荒いなんて思わなかったわよ。人には興味ありませんみたいな顔して、結構怒りっぽいしおせっかいだし。……猫かぶってたわね」
 そんな毒舌なリリルの意見にもアネットは慣れたようにかわしていく。
「あんたたちは居候なのよ。それなりに働いてもらわなきゃ割に合わないじゃない」
「まあ、そっちのほうが今じゃあんたらしいっていうのかもしれないけどね」
 リリルは少し面白くないような顔をして何かを書き混ぜている。
 意外な事にこの中で一番料理が得意だったのはゼルだった。
 ゼルは意外にも手先が器用で、この中で一番役に立っているといってもいい。
 しかし、中身はそうはいかなかったようで性格は不器用だ。
 少しの間しか一緒に過ごしていないアネットもゼルが誰を好きかを見抜くぐらいのわかりやすさ。
 あれでよく、本人はばれていないと思ってるものだと思う。
(あら、そういえばリーカルがいないわね)
 よくリーカルはどこにいるか分からないときがある。
 なぜか気がつくとそばにいるのにだ。
 この中でういているといっても過言ではないくらいに大人びてるし、アネットはなんとなくリーカルが苦手だった。
(やっぱり大人っぽすぎるからかしら。少なくともそばにいなかったタイプだし)
 アネットはそう思いながらもリーカルを探し始める。
 そろそろ暗くなるから戸締りをし始めなければならない。
 どうせ書庫か応接室だろう。
 アネットはそう見当をつけた。
 しかし屋敷内どこを探してもいない。
 もう外しか探す場所がない。窓からそっと外を覗く。
 すると森の入り口に風に髪をまかせているリーカルが目に入った。
(……なに見てんだろ?)
 リーカルはじっと何かを見つめている。
 アネットは不審に思い、玄関からリーカルの元へ走る。
「なにを見ているの?」
 アネットが不審そうに聞くとリーカルは今気がついたようにアネットの顔を見つめる。
 アネットにはそれが少し不快に思え、眉をひそめた。
「あいつらはまだ食事準備の途中なんだけど、あんたがサボるなんて珍しいじゃない」
 まあ、たしかに食事はアネットしか食べないし、やらなくてもいいのだが。
 アネットが茶化してもリーカルは意に介しない。
「誰かが来るのよ」
 リーカルは森のほうを指差した。
 だれだろう。
 アネットはリーカルの見ている方向を見るけれど、ただ木々はざわめいているだけ。
「……誰も来ないみたいだけど」
 アネットはわからないと首をすくめる。
「いいえ、精霊たちが騒がしいわ」
「……ああ、天使族は精霊と仲がいいってやつ?私には分からないわね」
 たしか精霊や魔獣だけがいる世界もあるけれど、ほかの世界にも生きる条件さえあればどこにでもいる……らしい。
 アネットにはほかの世界がどんなものか想像もできなかったからよくわからなかったが。
「人間にはわからないわ。大体魔獣や精霊は人間の目には映らないから。……まあ、私達はどこかに隠れているわ。いろいろと面倒な事が起こらないようにね」
 リーカルはそういうとすぐさま屋敷に入っていく。  天使とか悪魔とかは神話の中のものだと思っていたのだけれど、リーカルを見ていると天使だと確信させられる。
 (まあ、あの四人も天使だとか悪魔だとかなんだけど、いまいち神聖さにかけるのよね)
 アネットはなんとなしにリーカルの見つめていた方向を見る。
 確かにリーカルのいうとおり、足音が聞こえてきた。
 夕焼けでできた逆光で誰が来ているか分からないが。
(めずらしいわね。こんなときにお客さんなんて)
 そうおもいながら、だんだん見えてくる人影を眺める。
 その顔はだんだん険しくなってきた。
(……え?まさか……)
 影の正体を信じられない思いで見つめるアネット。
 しかし、それは忘れられない人。


「……お父様、お母様」


 それは信じられない思い。
 なぜいまごろ。
 なぜいま。
 帰ってくるのだろうか。
 しかも揃って……。
 アネットの姿を認めたのだろうか、二人は少しの間立ち止まる。
 しかし、歩き出してアネットのそばへと近づいてきても何も言わず、まるでいないものかのように無視して屋敷のほうへ歩んでいった。
 その顔は怒っているようでも、なんともおもっていないようでもある無表情。
 それがアネットには怖かった。
 これから何かが起こりそうで、怖かった。
 何か良くないことが怒りそうな予感はひたひたと後ろに迫っていた。


 ソファーにどっかりと座った父が葉巻に火をつけながら、アネットにとって衝撃的だと思っている言葉を発する。
「……そろそろ言おうと思っていたところだが、わしたちは別々のところに住むことになった。まあ、都合上のことだがな」
(もともと一緒にいたことなんてないくせに)
 アネットはそう思いながら聞いていく。
「それで、お前にどちらかを選んでもらいたい。母さんについていくか、父さんについていくか」
(どちらか選ばせて、運良くば相手に責任を押し付けようってわけ)
 アネットは心の中で毒づく。けれど、言葉には出さない。……だせない。
「まあ、どちらかについていきたいというのなら止めはしない。けれどこの屋敷はその場合売られることになるがな」
 世間の目がある以上、離婚などはしないだろう。
 しかし、これはていのいい厄介払いなのだ、どっちにとっても。
 どちらも愛人宅に住み着くに違いない。
(……最悪)
 どちらかを選ぶくらいだったら、きっとアネットは孤児になることを選ぶだろう。
 それくらいのプライドはアネットだってもっている。
 親の愛人の世話になるなんて冗談じゃない。
 呆れるくらいに世間体を気にする両親の板ばさみにあって苦しくないわけがない。
 この状態は政略結婚によって結ばれたので当たり前の結果が起きたということなのだろうか。
「では、お二人は別居という形になるのですか?」
 アネットは二人の顔を見ずにそういう。
 答えはわかっていても聞かずにはいられない。
「アネット!そういう言い方はやめなさい!これはお父様の仕事の関係上仕方のないことです!」
「……わたくしはここに残ります」
 アネットは母の言葉を無視してそう言った。
 父はそれを聞いてニヤリと笑う。
 まさにその言葉を待っていたというように。
「そうか……、それなら仕方あるまいな、お前」
「ええ、アネットがそういうならね」
(そういうことをわかってたくせに……しらじらしい)
 アネットは唇をかみ締める以外に、悔しさから身を守るすべを知らなかった。
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