いつも思っていた。 お姉ちゃんには勝てないのだと。 でもそれは違うことに気づけた。 勝ち負けなんか、アキ兄には通用しないのだと。 まあ、なんて言うのでしょうか。 私はただ今緊張しております。 考えてみればアキ兄とは生まれたころの付き合いだったけど、私が生まれた頃ってアキ兄が8歳の頃だからぶっちゃけアキ兄と同じ屋根の下で寝るのって初めてなんだよね。 まあ、私がまだ赤ちゃんの頃はあった可能性はないわけじゃないけど、それじゃあ意味ない。覚えてないんだから。 まあ、アキ兄は基本的に紳士だからこのふすまを開けてこないとは思うけど……ウーン、それに安心するだけでいいのかはまた別の問題だと思う。 多分明日には返されるのだろう。アキ兄はそれを許さないだろう。 大体、学校をサボってまで追ってくる義妹を許せるほどアキ兄は教師を辞めていない。 でも明日帰ったって、明後日帰ったって、週末だから学校には何の支障もないんだけど。 そういうところはかたいんだからなー、猥談は許せるくせに。 そうぐちぐちいっても仕方がないんだけどね。アキ兄って一回決めると梃子でも動かないし。 ああいう男、なんで好きになったかなーなんて今更ながらに思う。 大体、アキ兄ってタイプじゃないと思うんだよね! 綺麗な男の人って絶対観賞用には最適だけど彼氏にするにはちょっとだし、アキ兄は特別綺麗! ってわけじゃないけど……綺麗な部類には入るとは思う。 綺麗な男より、優しい男が好みだったのに。 だけど、ここまでホレ抜いているとちがうと自分に嘘がつけないと思う。 こういうところがお姉ちゃんと姉妹だと実感する瞬間だ。 お姉ちゃん、ねえ、お姉ちゃん。 本当は届いていたんじゃないかと思っている私は貴方を憎んでいるのかもしれない。 だって本当にバレバレだったんだもん。 お姉ちゃんはいつだって鈍かったし、私も気づいたのは私がアキ兄をずっと見ていたからだと思う。 けど、あの人は知った上でも微笑めるだろう。 だって、アキ兄は何も言わないから。言わないことはたいしたことじゃないんだと思うって言うのはお姉ちゃんの持論だ。 紗波さんに言いたくてたまらなくて告白した、お姉ちゃんらしい持論。 でもね、お姉ちゃん。 それでもアキ兄の想いはたいしたことないなんてないんだよ。 お姉ちゃんがアキ兄に彼女が出来た時一番喜んでいたのを知っている。 ふくれっつらで聞いていた私の隣で思いっきり心からの祝福をしていたことを知っている。 ねえ、今思うと、お姉ちゃん、その頃アキ兄の想い、知っていたんじゃないと疑った事がある。 勿論アキ兄が可愛かったからという理由は外れていないと思う。 それも確かにあったんだと思う。 でも、本当にそれだけ? その時ほっとしなかった? アキ兄はだんだん隠し方が上手くなってきたから、もしかしてお姉ちゃんを諦めたのだと思ってなかった? ……。 今、しょうもないこと考えているのはアキ兄の家に一人ぼっちな気がするからかな。 そう、しょうもないこと。 たとえそれが事実だとしても、悪いのはアキ兄なんだから。 お姉ちゃんは何も悪くない。 ……私はどうなんだろう。 アキ兄の気持ちもお姉ちゃんの気持ちも知った上で何も動かなかった私。 何も出来なかった私。 それに罪があってほしいっていうのは私が傲慢だからだろうか。 「……だー!! もう、うじうじすんな!」 自分が思考の迷宮に入りそうになるのを大声を出すことによって差し止めた。 隣にアキ兄がいることを忘れて。 アキ兄は私の声が聞こえていたらしく、呆れたような声で 「煩いぞ、何やってんだ……」 とふすまの向こうから呼びかけられてしまった。 「いや、自分の不甲斐なさにつっこみを……」 そういいながら、そのいいわけはどうだろうと自分で思う。 案の定アキ兄は呆れたのか、何も返してくれなかった。 「アキ兄! アキ兄! 外出ようよ、外! 絶対こういうところは星が綺麗だって決まってるんだから!」 いたたまれなくなった私は、口から無意識にそんな言葉が出てきた。 まあ、照れ隠しだったんだけどちょっと考えてみてもそれはいい案のように思えた。 「どうせアキ兄のことだからここにきてもあんまり星とか見てないんでしょ!!」 そう決め付けた私は布団から飛び起きてがばっとふすまを開けた。 驚いたように私を見るアキ兄は結構快感。 「お前な、俺がなにやってるか見えないわけ?」 よくよく見るとアキ兄の前の机には何かの用紙があった。 それは学生の悪夢であるテスト用紙を思い出させる。 「アキ兄、もう就職先見つかったの?」 これはけして落胆ではない。 確かに逃げられたのは屈辱だったし、それに気づかなかったのは悔しかったが別に一緒に帰ろうと言いに来たわけじゃないのだ。 だけど、まだここに来て2ヶ月くらいしかたってないと思うんだけど。 「まあ、探そうと思えばあるもんなんだよ、こういうのは。塾講でもなんでもエリートを目指させる実力ぐらいはあるからな」 確かにアキ兄のテストはアキ兄が手加減しなきゃ難しいし、傾向もちゃんと掴んでいるから無駄にはならない。 確かうちの三年生がアキ兄のテストをした際、アキ兄のテストをやった後のセンター模擬テストが15点やら30点あがったって言ってたから。 アキ兄は基本的に日本ならどこでも生きていける人種なのだと実感する。 というか教師という職業はこだわらなければ応用が効くということだろうか。 「ここはいいところ?」 私が聞くとアキ兄は余計呆れたような顔をしている。 「お前な、最初にいいところだって言ったのはおまえだろ」 「ええ、アキ兄からは聞いてないよ! ねえねえいいところ?」 「……星、見ていくか」 「あ、ごまかした! アキ兄サイテー!」 「あー、はいはい、星はじゃあ見ないのか?」 「見る!」 私って現金だなーと思うのはこういうときだと思う。 こんなことで喜んでしまうなんて、師原並の現金さじゃないだろうか。 ちょっと自分の頬が赤くなるのを自覚しながら、私は自分に与えられた部屋へと上着を取りに戻っていった。 「ねえ、アキ兄。南十字星ってどこ?」 「あほ、南十字星は沖縄の最南端しか見られないもんだぞ」 アキ兄はそうやって、静かにそう説明してくれる。 アキ兄の説明する姿は、さすが教師というだけあって様になっているような気がするのは身内贔屓なせいだろうか。 さすがに恋は盲目状態ではないと思うんだけど。 「でもやっぱりここは星が綺麗だね」 「……ああ、そうだな」 空気が綺麗なせいかとても光が澄んで見える。 こうやって見ると自己主張の激しい星々に埋もれそうになるような気がする。 ……このまま埋もれてしまえばいいのに。 そうすれば、先のことなんて考えずに一瞬だけでも幸せになれるんじゃないかとくだらないことを考えた。 「あ、てふてふ」 「お前、素直に蝶々って言えよ」 大体こんな寒いのに蝶なんて飛んでいるかよと言いながら、アキ兄は目でそれを探している。 そしてその正体に気づいて、苦い顔をした。 「お前、あれは蛾」 そう訂正してくるアキ兄の顔に馬鹿かお前という言葉が張り付いていてもおかしくないと私は思った。 そんなに軽蔑の目で見られるような間違いじゃないと思うんだけど! 確かにがが嫌いなアキ兄の前でこんな間違いは間抜けだって自覚してるけどさ。 「しかしなんで蝶はよくて蛾は駄目なのかね」 私が逆に呆れたように装いながら聞く。 その理由を知っていながらアキ兄に答えを求める。 私は卑怯だ。 何も言わないアキ兄よりも卑怯だと思う。 「……蛾は俺みたいだからな」 そう呟くアキ兄。 蝶は花に吸い寄せられるけれど、蛾は光に吸い寄せられる。 前に聞いた事がある。 光は火なのだと。 そこに吸い寄せられるものは火の粉が飛び移り、焼けて死ぬのだと。 それでもかまわないほどの吸引力があるのだと。 それを聞くたびに私はイカロスを思い出す。 私が聞いた話は、ただ調子に乗って高く飛びすぎたのだというけれどもしかしたらイカロスは太陽に触れたかったんじゃないかと思う。 じゃなかったら、蝋が溶けるほどの高温をためらわず、飛び続けただろうか。 ああ、蛾は何を求めたのだろう。 死を持って光と同一になることか。 それとも、ただ、光に惹かれて何も考えずに。 アキ兄は、だから皮肉って自分を蛾だといったのだろう。 けれどそれは違うでしょう? だってアキ兄は蛾のようにがむしゃらになれなかった。 どうしても、アキ兄はお姉ちゃん最優先で自分のことなんて顧みなかった。 もう知ってるよ。 子供の一ヶ月は結構長いんだよ。 知ってるよ。 あの「悪かった」の意味。 きっとアキ兄は無意識だったろうけど、だってほかに思いつかなかったんだもん。 今日いったのはただの意地悪にしか過ぎないし。 本人が分かっているかどうかなんて分からなかったし、分かってなかったなら気づかせたくなかった。 でも、アキ兄。 気づくべきだよ、自分の性格。 悪いと思わなかったら謝らないのに何で謝るのよ。 その理由を探るべきだったんだよ。 だって、アキ兄は今年中には部屋を出るって言ってたし、それでも私に対して悪かったっていうのは――。 「見つめられなくて悪かったって意味だと思うんだよね」 だって約束を破ったわけじゃなかった。 それなのにアキ兄は謝ったりしない。 謝るには理由が必要なのだ。 だからきっと――目を見られなくて悪かった。 ――それを望んでいる事を知っていた。 ――それがお前の姉貴に対する礼儀だということも知っていた。 ――でも、それでもお前は似ていた。 ――雰囲気すら違うけれど、ふとした瞬間似すぎていた。 ――だから俺は……。 ――重ねてみた事はないけれど、それでもお前を見るたびに千咲を思い出さずに入られなかった。 そういう意味なんでしょう? 何年一緒にいると思ってんのよ。 アキ兄って本当に複雑に単純なんだから! アキ兄は蝶の様だよ。 花に恋したアキ兄。 けれど、花のために花粉を運び、結び付けていく。 あんなに恋焦がれた花のために。 でもね、アキ兄。 あんなに綺麗な蝶が誰にも好かれないわけないじゃん。 まあ、嫌いな人もいるかもしれないけどさ。 少なくても私は好きだよ。 花よりも健気な蝶が大好き。 蝶の様な貴方を愛している。 ああ、認めてあげるよ。 子供は日々成長するもんなんだから。 貴方が好きよ。 大好きよ。 星空の下で誓おう。 貴方の幸せを願うことを。 |