生きててよかった。
 それはきっと生まれてきてよかったの同意義か、死ななくてよかったの同意義だろう。
 そして、この娘の言葉の意味は前者であるらしい。
 ということは瑛子の命はケーキを食べただけで実感するくらい安いものなのだろう。


「はー、幸せですね。生まれてきてよかった〜」
「そりゃ、よかった」
 俺はそういいながら、おとなしくコーヒーを飲む。
 瑛子はチーズケーキをうれしそうにほうばった。
 どうでもいいけど、さっきの映画館でも何か食べていなかっただろうか。
 よくそんなんで、食べる気になるよなと感心する。
 しかもその前に昼食をとったから。
 ……瑛子が今日一日で取った食事ってどのくらいになるんだろうか。
 瑛子はそんなことを俺が思っているとは知らず、本当に幸せそうに食べている。
 こいつは幸せは安いほうが得だと本気で信じているのだ。
「幸せっていつも思えたほうが、人間得なんですよ」
 そういいながら、そういえばあの時も何かを食べていた気がする。
 本当に幸せそうだと思う。
 こいつは表情をくるくる変え、まさに表情豊かというよりは大安売りというくらいだ。
 こいつといい、従姉妹といい女っていうのは表情豊かなのだろうか。
 それを考えて俺は少し考える。
 従姉妹は確かに表情豊かなほうではあるが、こいつほどではなかったと思う。
 我慢強い女だった。
 どんなにガキ大将に苛められてても泣くのは俺ばかりで、苛められた当の本人は泣かずに立ち向かっていった。
 なくことはプライドが許せないと思うような女だ。
 徹底的な違いはそこにあるのだと思う。
 かなり強烈な感じがするやつだったが、同時に我慢強い女だったのだと思う。
(いや、強烈だったのは手が早かったからか?)
 従姉妹はかなり手が早かった。とくに好きなものを馬鹿にするやつにはどんなやつにだって鉄拳制裁を食らわせたのだ。
 さすがに社会人になってからは理性がついたのか仕事上では抑えるようになったが、俺は昔彼女が大の苦手だった。
 中学高校は男子校だったし、周りに従姉妹と母親しか女がいなかったからみんな従姉妹のような正確なのではないかと内心びびっていた。
 けど、こいつは母親とも従姉妹とも違った女だと思う。
 両者とも男に手を差し伸べられたなら、それを突っぱねるどころかつねるぐらいの度胸とプライドがあったが、こいつはそれに気づかないですたすたいってしまうような女だ。
 かなり鈍感で、一生懸命前だけを見て、周りをまったく見ようとはしない女。
 不思議なものだと思う。
 実際男でも女でも、天然過ぎるやつは嫌いだった。
 どう扱っていいか、疲れるのだ。
 人との距離が図りにくく、すたすたと人の領地に足を踏み込むようなやつらだったから。
 でも何故かこいつとはそういうことがない。
 かなり図々しいと思うし、人の領地にどかどか入ってくることは間違いないんだけど、何故か心地よさは感じる。
 疲れるって思うときはあるけど、別にそれが不快ではない。
 今まで女と縁がなかった自分にはわからない。これが、どんな気持ちなのか。
 親しいやつに感じている、友情か。それとも甘い甘い恋なのか。
 だいたい、この女が年上だってことにすら疑問を感じている。
 こいつの前に立つと、ひどく自分が大人に見えたり子供に見えたりする。
 けれど、けしてこいつは年上だとは思えない。
「おまえって、俺と一緒にいて楽しいの?」
 ほら、そういう口調にしたって年下に対するあれだ。
 瑛子はきょとんとしたまま、
「楽しいよ?」
 と答えてチーズケーキのかけらをまた口に運ぶ。
 ……楽しいのはチーズケーキを食べているからじゃないのか?
 そう聞きたいのを我慢する。
 俺は結構人に対してなれていないらしく、表情というものが苦手だ。
 高校のときついたあだ名は鉄火面だし、それでも笑いながら近づく男はいたけれど、さすがに女の子は怖かったらしく初めて近づいてきたのは瑛子だった。
 おかげで俺はそれなりに怖がられないようになった。
 それはきっと瑛子のおかげだと思う。
 天真爛漫という言葉がいまだに似合う彼女の周りには常に人が集まるから。
「ああ、おいしかった!」
 食べ終わったのか、満足そうな顔を見せる瑛子に俺は珍しく微笑みかけたらしい。
 いや、自分の顔は見れないから定かではないが。
 瑛子はびっくりしたような顔で一瞬俺の顔を凝視するが、うれしそうに笑った。


「なんかね、洋哉君の笑みってすごいすきなの。こう、生きててよかった……って思うの」
 後の彼女はそう笑った。
 そのとき俺はチーズケーキと同じかと、ふてくされるのだけれど彼女は相変わらずの笑顔で否定した。
「だって、大好きな人と食べる甘いものって一番幸せなときじゃない?」
 生きててよかったって思うときは一番うれしかったときだよと笑う。
 ころころと相変わらずの表情豊かさで。
 あの時俺たちはまだ恋人同士じゃなかったけど。
 同じ空気の中で生きていたのだと実感する。
 口に出してなんていえないけれど、きっと俺もあのときの笑顔に生きててよかったと思ったのだろう。


 けれど、それは後の話。
 そのときの俺は、自分の感情に振り回されて分けわかんない状態にいた。
 

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