貴方がどんなに辛くても、乗り越えなければならないものは絶対あると思うんだ。


「そうね、どこから話したら良いのかしら」
「そうだなー、最初から。あなたがその親友さんとどんな出会い方をしたかから」
 俺が沿う提案すると志津子さんはにこりとうなずいた。
 それはまるで普通に思い出話をしているよう。
 悲しみも苦しみも、寂しさもすべて閉じ込めてしまったよう。
「そのこ……加美とは中学校のときに出会ったの。一年のときに同じクラスで、ぜんぜん違うタイプだったのに仲良くなったわ」
「うん」
「加美は貴方のように明るかった。私の真っ暗な部分にさした太陽のようだった」
 そう言いながら、志津子さんは指輪を触る。
 それはまるで、何かを望んでいるかのように。
 そこに加美さんの魂が乗り移っているかのように。
「たくさんたくさん助けられたわ。私が落ち込んでいるときは笑ってくれた。大丈夫だって肩をたたいてくれた。だから私は加美には感謝しても感謝しきれない」
 それは俺も同じだよ。貴方には感謝して感謝しきれない。
 貴方の笑顔は俺に光をくれた。
 貴方の腕は俺に安らぎをくれた。
 だけど、俺には与えられなかったもの。それを加美さんは貴方にあげたんだ。
「だから……だから信じられなかったの。加美が死んだなんて。信じたくなんてなかったの」
 そういいながら、志津子さんは空を見上げる。その日は何の皮肉か、晴れ渡っていてそれがあまりに綺麗で。
 この太陽のように、志津子さんには加美さんが輝いて見えたんだ。
 だから、失ったのは太陽だったのだから、志津子さんはまだ悲しみから抜け出しきっていない。
「警察は事故だといったわ。遺書も何も残されていない、ただの交通事故。……だけど、加美のあれは自殺だと私は思った。あのこが故意に車の走るところに飛び出していったんだと思ったの」
 それは恐ろしい想像だったのかもしれない。
 俺にその想像の恐ろしさは分からない。
 志津子さんだって事故だって思いたかったのだろう。
 だけど、その考えが頭から離れないで。
「お葬式のときはその話題で持ちきりだった。加美は誰からも好かれるような子だった。……貴方のように、人を喜ばせたりするのがとてもうまい人だったし、誰にでも好意を隠そうとはしない人だったからみんな加美にあこがれた」
「志津子さん……」
 志津子さんは泣いていた。ただ静かに泣いていた。
 声を上げずに、嗚咽も漏らさずに。
 ただ、加美さんを思って泣いていた。
「みんな思ったわ。どうして加美が死ななければならないんだろうって。そしてみんな気づいたの。加美は自殺したんじゃないかって」
 そこにたどり着いた結論は、きっと取り除こうとしても取り除けなかった。
 だからこそ、この人はこうしてまで話してる。
 きっと身を切られるような痛さなのに、涙以外それを表さずに。
「その日は加美のご両親の離婚が決定する日だった。……良いご両親だったわ。少なくともわたしはそう思ってた。けど……それは加美にとっては幻だったのかもしれない。ただ、喧嘩する両親を加美は泣いて見ていたといったわ。嫌いあったわけじゃない。だけど……そうね、愛し合ったから分かれたのだと加美は言っていた」
 その意味は俺はよく知らない。けれど、志津子さんはそんな加美さんを見てどう思ったのだろう。
 ……悲しかったのかもしれない。
 苦しかったのかもしれない。
 俺は志津子さんの手を握った。
 志津子さんの手には爪の跡が残っていた。痛々しい、爪の跡。もう少ししたら皮膚が破れて血が出るんじゃないかって言うくらい、強く跡が残ってて。
 涙を拭きたかったけれど、それはなぜかもったいないような気がして。そんなことをしてしまってはいけないような気がして。
「ご両親の離婚の原因は……浮気だったの。加美のお母様はいつも泣いてらっしゃったって。もしかしたら離婚した後には死ぬかもしれないってぐらい、嘆いてらっしゃったって。ううん、加美は多分そう思ってたわ。自分の母親はきっと離婚したあと自殺でもなんでもするんだろうって」
 きっとその代わりに自分が死ぬことを選んだのかもしれない。
 何も知らない俺達かみれば馬鹿みたいだ。そんなこと、加美さんが止めればそんなことないかもしれないのに。
 ……だけど、俺は知っている。慧治の母さんも、浮気が原因ではなかったけれど仕事一筋の親父さんを見限って自殺したことを。
 慧治がもし、そうなることにかんづいていたのなら加美さんのようにするのかなって思ったら涙が出た。
 俺は知っている。大事すぎる人のために身代わりになろうとする心を。
 そうすれば、大丈夫かもしれないと思い込んでしまうことを。
 俺は……知っている……。
 俺は何も言えずに座っていた。
 抱きしめることもできずに、ただ手を握っていた。
「……今、考えてみれば馬鹿みたいかもしれない。そんなので何も変わるわけがないのに……。だけど、そのころ私達はあまりに幼くて、私達がどうにかしたらどんなこともできると思ってたの。……そして私はそう思ってる加美を救いたいと思っていたの」
 ああ、だから? だから罪悪感をかんじていたの?
 救いたかったのに救えなかった。
 もしかしたら救えたかもしれないのに。
 自分の力が足りなかったから。
 そんなことを思っているの?
 あのときの俺のように。
 あの時、貴方の腕で泣くしかできなかった俺のように。
 ああ、なんで気づけなかったんだろう。
 ああ、なんでそんな貴方に気づけなかったんだろう。
 俺は知っていたはずなのに。俺と貴方は似ていると。
 だから惹かれているのかもしれないと、思っていたはずなのに。
 なんて馬鹿だったんだろう。もしかしたら救いを求めてたのは俺だけじゃなかったのかもしれないのに。
 ごめんなさい、ごめんなさい。
 助けることなんてできなくて。
 ずっとわがまま言っていて。自分のことばかりで。
 あの時も傷ついていたかもしれないのに、そんなこと気づけないで。
「助けたかった。ずっと傍にいたのに、気づけなかった。ずっと思ってたわ。加美を頼ってばかりで、髪がどれくらい傷ついてぼろぼろなのかなんて気づけなかった」
「泣かないで、志津子さん」
 握った手に力を込めた。
 お願いだから泣かないで。いや、思う存分泣いて。
 相反する心。
 泣かないで。いつまでも加美さんを思って泣かないで。そうしたら加美さんも悲しくなるから。俺だったらすごいすごい悲しいから。
 泣いて。思いっきり泣いて。貴方が気が済むまでないてほしい。俺が支えてあげるから。これで前を向けるなら……泣いて。
 どちらが本当の心なのかなんて分からない。どちらも本当の心なのかもしれない。
 ただ、苦しくて。
 ただ悲しくて。
 涙を流している志津子さんを見るのは二回目で。
 だけど、自分のために泣いている志津子さんは見たことなくて。
 泣くのだったら自分のために泣いて。
 そしてできるのならば、笑って。
 笑ってほしいよ。だって俺は貴方の笑顔で救われる気がするんだから。
 俺のためじゃなくても良いから。加美さんのためでも良いから。
 笑ってほしいよ。貴方の笑顔が見てみたいよ……。
 気づいている、志津子さん。俺はこっちで貴方の笑顔を見ていないんだ。
 だから笑って。お願いだから笑って。
 貴方の笑顔はきっと加美さんを安心させるから。
 加美さんに似ている俺が言うんだから。まちがいないよ。
「志津子さん。だからって、だからって貴方が罪悪感を背負う必要ないんだ。俺だったら思うよ、志津子さんには幸せになってほしいって。楽しかった思い出を思い出してほしいって。忘れるわけじゃない、その罪悪を。だけど……貴方が悲しむのは嫌だ!」
 俺は、そういうことしかいえない。
 ごめんね、自分本位で。だけどこれが俺の大切な想い……。

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